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①壊れたダイヤル
「別れよ」
同じ大学の先輩後輩。サークル飲みで仲良くなったのがきっかけ。出会って三ヶ月で告白して、付き合って一ヶ月。
昨日初めて彼女の家で結ばれた。
順調に愛を育んでいたはずだ。
清潔を心がけたし、毎日の連絡だってウザくない頻度と、放置にならない程度をいつも考えて欠かさなかった。
シャイな日本人ではダメだと、今日も可愛いね、好きだよも安売りしない程度に口にしていた。
俺にはどこかで拾ってきた恋愛指南の教科書に載っているような知識しかないが、それでも初めてできた彼女で、初めての相手に必死だった。
何とか満足してもらおうと頑張ったのに、結ばれた次の日にフラれるなんて……。
これじゃ……
これじゃまるで……。
「な…なっ…なんでだよ。俺の…俺のどこが悪かったんだよ!」
「だってさ、優希先輩って。声、大きいんだもん」
「………は?」
「だから。アノ時の声のこと! 男の人がって……私にはちょっと無理。そもそも女々しくて頼りないし…ずっとくっ付いてきて…そういうのキモかったんだよね。もう連絡しないで」
殴られたわけでもないのに、衝撃で後ろに飛びそうになり震えたのは初めてだった。
いや、心が殴られたのと同じようなものかもしれない。
休み明けの月曜日、それだけ言って彼女は賑やかなキャンパスの波の中へ消えていった。
俺は口元に手を当てて、地面に膝から崩れ落ちた。
「そ…そんな……そんなことって……」
衝撃的すぎて涙も出ない。
俺、水無月優希が人生で初めて付き合った彼女にフラれたのは、悲しすぎる理由だった。
「あっはっははははっ! アノ声って……! ひぃぃはあははは…」
「おい! ちょっと! お前が声大きいって!」
慶太は涙を流しながら腹を抱えて笑い転げていた。
決して涙を流して一緒に泣いてくれているわけではない。
彼女にフラれて一週間。
俺は何も聞かないでくれと、一人で悶々と絶望のまま過ごしていた。
しかしついに見かねたのだろう、講義が終わった後、どうした? 話聞くぞと一年の時から仲のいい友人の伊藤慶太が声をかけてきてくれた。
さすが三年間熱い友情を作り上げた関係である。これはきっと一緒に泣いてくれると思ったのに、帰ってきたのは大爆笑という傷を抉られる結果だった。
講義室は人もまばらになったが、まだ残っているヤツもいるので、大声を出されたら聞かれてしまう。
慌てて口を塞いだら、悪い悪いと慶太は謝ってきた。
「だけどよ…、そんなフラれ方したヤツいねーぜ。ちょっとどんなのか興味湧くじゃねーか」
「最悪……もう話さない」
「悪かったって! 女の子紹介してやるからさ。元気出せよ」
浅黒くてスポーツ刈りのよく似合う男らしい慶太は、男女ともに顔が広い。頼めば飲み会も開いてくれるだろう。
しかし……それではだめなのだ。
「…………だめだよ」
「は?」
「だって根本的な原因が解決していないじゃないか!! 新しい彼女ができても……もし…もしまた…そういうことになったら……俺もう自信ない」
「あぁ、完全にトラウマになってんな……」
この一週間、俺はずっと悩んでいた。
確かに彼女のことは好きだった。好きだったはずなのに、フラれた原因の方が頭の中で大きくなって、ちっとも悲しむことができない。
付き合って一ヶ月。
正直なところを言えば、俺はいつだって全力だったけど、彼女はいつもどこが引いていた。
引かれれば引かれるほど振り向かせたくて夢中になって、気がついたらこのザマだ。
それに彼女にフラれた後、ダメだと思っていても、諦めきれなくて連絡をしてしまった。もうかけてこないでと怒鳴られて電話を切られた。
繋がっていたものは全てブロックされてしまい、もう完全にストーカー扱いだ。
というか、もうそうなのかもしれない。
自分でも分かっている。俺は好きになると一直線で重いんだ。
本当はずっとくっ付いていたいし、どこでもイチャイチャしたい。
バカップルみたいなの大歓迎だし、実は彼女に甘えたかったなんて、今考えても重いしキモいし最悪だ……。
そしてアノ事が決定的になったのだろう。
彼女に嫌われたくなくてこれでも我慢した方だった。
すっかり恋愛の迷路にハマってしまった。
完全なストーカーになる前に早く彼女を忘れたい。
しかし、この問題を解決しなければ、傷を癒すことも次に進むこともできない。
「慶太、そっち系の話の相談とか……イケる?」
「いや…無理だわ。俺童貞だし」
そうだ思い出したと俺は机に突っ伏して頭をぶつけた。慶太は近所に住む幼馴染の子が好きで、その子に捧げるためになぜか童貞を守り続けているという変わったヤツだった。
俺だって、彼女とが初めてだったわけで、ネットで検索したモテ講座を見まくって、その辺り勉強したのだが、実践ではあまり役に立たなかった。
童貞と半童貞みたいな俺達では何一つ解決できなくて二人で頭を抱えた。
「あ……そうだ! 俺達と正反対みたいなヤツに相談すればいいんじゃね?」
ポンっと手を叩いた慶太が、良い事を思いついたみたいに顔を上げた。
さすが顔の広い友人だ。隠キャの俺なんかには思いつかない策をプレゼンしてくれるのかとワクワクしながら慶太を見たが、その口から思いも寄らない名前が出てきて、思わず顔を顰めてしまった。
「遊佐睦月って……あの?」
「そーそー、あの四年の有名な人。遊び人でさ」
とんでもない、俺とは地球と太陽くらい距離がある人の名前が出てきて目が点になってしまった。
一学年上の遊佐先輩は、学部が違うが有名人で下層の俺まで知っている人だ。とにかくものすごいイケメンで、日替わりで連れている女性が違う。そもそもモテすぎるから付き合う必要がない。大学中の女は一度は食べられていて、見つめられただけで妊娠したなんてアホみたいな噂が立つほどのモテ男だ。
なんでも親が金持ちで、将来を約束されていて、モデルの仕事までしていて、SNSのフォローの数が俺の数万倍……。
とにかく別世界の人間なのだ。
もちろん話したことなんてない。
「なんで遊佐先輩……」
「あの人さぁ、噂あるんだわ。どっちもイケるって」
「そっ…それが俺に何の関係が……」
「よく考えろ、遊佐先輩はどっちもできるって事だろ」
慶太の自信満々の発言に俺は顔をはてなマークにしながら、首を捻って考えてみた。
あれだけモテるのだから、女性を楽しませることはもちろんだ。男も楽しませることができる、それはつまり……。
「下世話な話だけどさ、男役も女役もできるってことだろう。と、いうことは、どっちの気持ちも分かるなんて人は遊佐先輩しかいない!」
「な…なるほど。確かに浮世離れした綺麗な人だから、男も相手にできるのか……というか、女も抱けるし、男にも抱かれる? 未知の世界過ぎてよく分からない……」
俺は自慢ではないが、どこにでもいる平凡な男だ。特別頭がいいわけでもなく、平均的な身長で短髪黒髪と、黒目が小さいのがコンプレックスの平均的な顔。
遊佐先輩は遠目にしか見た事がないが、高身長で色白の綺麗な肌をしていて、整った相貌で垂れた目が色気のある人だった。かと言って女性的過ぎず、体はがっしりして鍛えていそうだし、金色に近い長い髪が抜群に似合っていた。
俺が同じ髪型をしたら、田舎のヤンキーのなれの果てか、間違えたコスプレの人だ。
「そうだよ! だから、優希の悩みにも多角的に答えてくれるだろ!」
「い…ま…まぁ、そうかもしれないけど、だって…どうやったらこんな俺がお知り合いに……」
「それは顔の広い俺に任せておけよ。確か、天上人達がよく集まるクラブで働いてるダチがいる。会員制だけど特別に潜り込ませてくれるかもしれない」
「い…いや…そこまでして……」
「優希! しっかりしろよ! 初めての彼女でトラウマなんてこれから先どうするんだ? 一生一人で抱えて生きていくのか?」
すでに家に帰りたくなっていた俺の気持ちは、慶太の一言でグワっと飛び起きた。
そうなのだ、このまま何も知らずに次の人を好きになっても、また同じ理由でフラれることが目に見えている。
「どうすれば上手くいくか…教えてくれるかな……」
「よし! その調子だ!」
ニカっと笑った慶太に肩をガッと組まれて俺は、謎の力が湧いてきて拳を突き上げた。
どん底にいた気分がぱっと明るくなっていくような気がした。
週末、慶太の友人からチケットをもらって、クラブに行けることになった。
とりあえずイケている格好をして繰り出すぞと言われたが、まさか成人式のスーツを着るわけにもいかず、普通にTシャツとジーンズで待ち合わせ場所に行くと案の定慶太に顔を顰められた。
「なんで普段着なんだよ。俺だって、気慣れない格好なのに」
柄シャツに革のパンツでキメた慶太を笑ってしまったが、その場に立ってみたら場違い感に打ちのめされたのは俺の方だった。
クラブというからやかましい所をイメージしていたが、そこはジャズとかムーディーな音楽が流れるどちからというと妖しいムード漂う場所だった。
女の子達はドレスコードがセクシードレスなのかと思うほど、胸やお尻を強調したセクシーな格好をしていた。
男は高そうな服と金時計にアクセで全身をキメた連中が多い。間違っても首が伸びたTシャツで突っ立っているのは俺しかいなかった。
通り過ぎた男女の視線を感じた後、クスクスと笑われてもう逃げたくて仕方がなかった。
「優希、ほら少し気分上げて行けよ。遊佐先輩、あっちのボックス席にいるって」
カウンターで働いている友人のところへ行っていた慶太が帰ってきた。
手にはグラスを持っていて、どうやら酒が注がれているようだった。
俺は酒に弱い方だ。飲めないわけではないが、一杯で結構酔う。すぐ寝てしまうから、よほどのことがないと外では飲まなかった。
しかし、今日みたいな日は、素面ではノリに付いていけない。
一口二口くらいは必要だろうとグラスを受け取った。
友達になって、ちょっと話を聞いてもらうだけ。それは別に今日でなくても構わない。
まずは仲良くならないといけないのだ。
俺はぐっとグラスを傾けて酒を流し込んだ。
気合は入ったが、さすがに大勢の仲間で飲んでいる中に突入できるはずがない。
カウンターに座りながら、ボックス席をチラチラと眺めて、遊佐先輩がトイレに立つなど一人になるところを待った。
薄暗い店内でも、遊佐先輩は輝いていた。全てが完璧に作られていて人間離れした彫刻のように見える。
突然その辺に転がってる石ころみたいな後輩に話しかけられて、まともに対応してくれるとは思えない。
そこで、慶太と考えた作戦は、遊佐先輩のフォロワーで、ライフスタイルに憧れているファンという設定で近づくことにした。
一応過去一ヶ月分くらいの投稿はチェックしてきた。ムカつくくらいキラキラした日常に、イライラして吐き気を覚えたが師匠の指南を受けるにはこれくらいの努力は必要である。
誰でも自分のことを褒められて尊敬されれば悪い気分にはならないだろう。
「おい……、優希。遊佐先輩、トイレに行ったぞ。俺も行こうか?」
「いや、ぞろぞろ行って警戒されたら困る。自然に隣に並んで用を足しながら接近する」
軽く飲んだ酒の勢いもあって、俺は手に力を込めて遊佐先輩の後を追った。
「あれ? おかしいな…。この辺にいたはずなのに……」
気づかれたくなくて、距離を取っていたら、見失ってしまった。トイレにもいなかったので、喫煙ルームなども覗いてみたがいなかった。
席に戻ったのかもしれないと、ホールへ戻ろうとしたら人気のないスタッフ用の通用口の方から話し声が聞こえてきた。
まさかと思いながら、俺はそっと足音を立てないように近づいた。
「いいの? こんな事をして…」
「そんな事を言って……。大丈夫よアイツ今日は来ないし……。ねぇ、早く…ここなら人も来ないから……」
ピチャピチャと水音が聞こえてきて、俺はまさかと思いながら、そっと覗いてしまった。
そこには壁に背を預けている遊佐の首に絡みつくようにしてキスをする女性の姿があった。
なんて事だ。
恋人とのラブシーンを見てしまった。
これではファンどころか、ただの覗き魔の変態になってしまう。
絶対に気づかれてはいけないと、震えながら足を戻してとにかく離れようとしたら、お約束なのか足元にバケツが置いてあってそれを盛大に蹴飛ばしてしまった。
「わわわっやべっ!」
しかもガッジャーン! と大きな音を立ててバケツは二人の方へ転がってしまった。
「なに? うそ!? アイツ来ちゃった!? ヤダ! わ…私行くから!」
ロングヘアの女性が慌てたように口元に手を当てたまま走って逃げて行ってしまった。
フローラルな香水の匂いが残っていて、それがやけに俺を絶望の淵へと連れていってくれた。
「ねぇ…君、よくも邪魔してくれたね」
終わったと思った。
これでは仲良くなるどころの話ではない。
とにかく、自分は無害な存在なのだと最後の抵抗をすることにした。
「いいいっ…いえ、そんなつもりは…! と…トイレを探していて…迷ってしまったというか……邪魔するつもりは一ミリもありませんでした!」
額に汗をかきながら手を上げて、パニックでなぜか武器を持っていないことのアピールみたいなのをしてしまった。
遊佐はそんな俺を訝しんだ目でジロリと見てきたが、やがてどうでもいいというような顔になって壁にガタンと音を立てて背を預けた。
「まっ…いいよ。別に乗り気じゃなかったし」
「……乗り気? いいんですか? 彼女さん、走って行ってしまいましたけど……。俺が心配するのも余計なお世話ですけど」
「ああ、彼女じゃないよ。向こうは彼氏がいるけどね」
そう言って遊佐は笑った。
たっぷりと悪い顔をしていたが、やけに沈んだ暗い瞳をしているのが印象的だった。
こんなに綺麗な人なのになぜ、と思うとその瞳から目が離せなかった。
「ねぇ、君、恋人はいる?」
どうして急にそんな事を聞いてきたのかサッパリ分からなかった。
でもこの質問が遊佐に近づく鍵になるように思えて、俺は唾を飲み込んだ後、ゆっくりと頷いたのだった。
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