第8話

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それから四季は目まぐるしく過ぎていき、2回目の結婚記念日を迎えた4月。 すっかり大きくなったお腹を抱えて、絢音は帰宅する。 「絢音ちゃんお帰り。どうだった?散歩。」 「あ。はい。大分気分転換になりました。すみません。夕飯の支度…」 「ああ!良いの良いの。藤次君の口に合えば良いんだけど…」 言って、抄子は絢音のそばに座る。 「大分大きくなったね。もうすぐ?予定日。」 「あ。はい。1ヶ月後の5月…」 「そっか。それじゃ藤次君、落ち着かないでしょ?」 「はい。毎日佐保ちゃんから、苦情のメール来てます。仕事増えたって。」 「あっはっは!!そりゃあ、これから先が前途多難だねー。で?新居は、もう決まった?」 「はい。北山の中古マンションが安かったので。リホームもされてるし、良いだろうって。中古だけど車も買うし、出産費用もあるし、落とし所かなって…」 「へぇー。北山かぁ、ウチから近いじゃん!じゃあ引っ越しも手伝うよ!来週でしょ?」 「でも、さすがにそんな…」 「良いの良いの!どーせ暇なんだから、こき使って!!誰かに頼るのも、母親への第一歩よ!!」 母親… その言葉に、絢音は頬を染めてお腹を撫でる。 「じゃあ、お言葉に、甘えちゃいます。」 「うん!素直でよろしい!!じゃあ、後はお風呂だね。準備してくるから、ゆっくりしてな。」 「はい…」 頷き、脱衣所へ向かう抄子を見送った後、絢音はもう一度、お腹を撫でる。 「もうすぐ会えるね。小さな藤次さん…」 我慢できずに、自分だけ医師に聞いた子供の性別は男。 藤次そっくりの、元気でわんぱくな子供が産まれて来るのかと思うと、嬉しくて嬉しくて、密かに名前も、既に決めていた。 そんな事を考えていると、引き戸が開く音がして、一直線に居間にやってくる足音がする。 「た、ただいま!」 「おかえりなさい。お疲れ様。」 「うん。今日もぎょうさん歩いてくたびれたわ。せやけど、この子目の前にしたら、そんなん吹き飛ぶわ…」 言って、藤次は絢音のお腹に触れる。 「今日もお母はん困らせんと、ええ子にしとったみたいやな?エライエライ。」 「夜になると、時々動いて目が覚めるけどね。」 「そっか…まあ、家事や引っ越しの片付けは抄子ちゃんに任せて、ゆっくりし。引っ越し当日は、いつもの面子が来てくれる言うてるし、予定日近なったら姉ちゃんも来てくれるし、そろそろ入院の準備とかも、しといたらえんちゃうの?」 「お義姉さん…本当に良いのに…お仕事大変でしょ?」 「大丈夫や。デカい病院やさかい、代わりはぎょうさんおる。可愛い弟夫婦の出産の方が一大事やぁて、こないだ電話で言うてた。」 「それなら良いんだけど…」 「あと、とりあえず予定日前後の3日。休みもらった。無理くりやけどな。せやから、ずっと側に居れるからな。…一緒に、頑張ろ?…まあ、ワシは見守る事しか、出来へんけど…」 「良いのに…お仕事、大変なんでしょ?」 「まあ、上司の部長には渋い顔されてんけど、同僚の楢山と柏木…あと、意外にも大塚が、気ぃ回して、色々フォローしてくれてん。せやから、何とか3日…ワシが側におるときに、産まれてや?」 言って、愛おしそうにお腹を撫でる藤次をうっとりと見つめていると、背後から咳払いが聞こえたので、2人は瞬く。 「お2人さん。盛り上がってる所悪いけど、お風呂と料理、準備できたよ?」 「あ、ああ。ホンマにおおきにな抄子ちゃん。あとやるさかい、座って。」 「バカ言わないでよ。帰るわよ。結婚記念日邪魔する程、野暮じゃないわ。」 「でも、ならせめて、ご飯持って帰って下さい。こんなに沢山…」 「良いの良いの。明日来れないからさ、常備菜。それにミートソース多めに作ったから、それだけ持って帰るわ。ウチは楢山君と波子の3人だけだから、それでちゃちゃっと作れるし、余裕余裕。」 「流石、歴戦の主婦やな。」 「まあね。惚れた?」 「アホか。楢山に殺されるわ。」 そうして2人で笑い合っていたが、絢音が不安そうな顔をするので、藤次は苦笑いを浮かべる。 「阿保。言うたやろ?コイツに手ェ出したら、黙っとらん奴おるて。長い付き合いからくる、ほんのじゃれあいや。せやから、そない不安な顔しなや。」 「だって…」 「あらあら。大した惚れられっぷりね。ま。そうでなきゃ妊娠なんてしないか!ご馳走様!じゃあ、後は2人で、ごゆっくり〜」 「ああ、そこまで送ってくわ。」 「いいよ。まだ明るいし街灯もあるし、ていうかいい加減、女に見境なく優しくするその癖、直しなよ?自分では気づいてないようだけど、キミ結構、魅力あるんだからさ。ま。楢山君には、負けるけどね。」 そう言って軽くウィンクすると、抄子はヒールのある白いサンダルに足を滑り込ませ、颯爽と去っていったので、藤次は軽く頭をかいて絢音を見やる。 「なあ、ワシってそんなに…魅力あるんか?」 「……知らない!」 プイッとそっぽを向く妻の耳が僅かに赤かったので、藤次は徐に近づき、彼女に囁く。 「なあ言ってや。カッコエエとか、男前やとか。」 「知らない…抄子さんに、言ってもらえば?」 「なに拗ねとんねん。折角の可愛い顔、台無しやで?」 「いいもん。八百屋さんの善吉さんや、お豆腐屋の幸助さん。花屋の拓実さん。みんな可愛いって…言ってくれるもん。」 「ワシかて、事務官の原口さんに山根さん、葛城さん、同僚の青柳姐さんに下妻さん櫻井さんに、イケメンやて、言われとんやで?」 「…なによ。最近お腹出てきて、老眼のケも出てきたクセに。」 「お前こそ、食欲戻ってきたのはエエけど、食い過ぎちゃうんか?肥えて子豚みたくなっても、知らんで?」 「なによ…バカァ…」 遂に根負けしたのか、ポロポロと泣き出した絢音を、藤次は優しく抱き締める。 「チンケな悋気で気ぃ引こうとするからや。そない慣れへん手管使わんとも、ワシの心も身体も、全部お前のもんや。なんも心配すな。阿保…」 「だって…職場の人…」 「みんな既婚者の年増や。良い歳して独身やったワシを揶揄うとっただけや。おべっかや。お前こそ、なんやぎょうさん男の名前滑らせよったけど、変な気ぃ…起こしてへんやろな?」 「八百屋さんの善吉さんはお爺ちゃんだもん。お豆腐屋の幸助さんは、5人の子のお父さん。花屋の拓実さんは…時々オマケしてくれたり、荷物運んでくれる、お友達。」 「お友達…なぁ〜。ほんなら一回、挨拶行かんとな。いつも嫁がお世話になってますぅて。」 「ヤダヤダ!!アタシ…嘘ついてるから…」 「ほぉ〜。何をや?」 「………」 「絢音。」 「…単身赴任で、家にいないって…だから、寂しいって。」 「お前…そんなん軽々しゅう独り身の男に言うなや。…で、ソイツとワシ、どっち取るんや?」 「藤次さん…」 「ほんなら、約束守ってぇや。余所見せんといてって言う約束。せやないとワシ、本気で仕事も何も放り投げて、お前の側から、離れんで?そしたら生活、どないすんや。」 「だって、アタシ…仕事の事も、分かろう分かろうって思ってるもん。だけど、そんなに物分かり良くないから、だから…」 「だからって、余所見すなや。約束した時言うたよな?ワシ、お前に捨てられたら、本気で気ぃ…狂うてまうて。」 「だって…」 「いい加減、分かれよ。俺がどんな思いで、毎日大事なお前家に残して、仕事行ってるか。離れてる間…どうしょうもなく、辛くて、苦しくて、外で証拠集めてる時、何度職務放棄して、お前のとこに帰ろう思うたか…数えきれん。毎晩の残業かて、今まではなんとも思わんかったけど、今はもう、辛うて仕方ない。そんだけ、俺はお前に、夢中なんや。分かれや…」 「…ごめんなさい…」 涙を流す絢音を更に強く抱きすくめ、藤次は大きく息を吐く。 「せやけど、この仕事選んでなかったら、俺はお前に出会えんかった。因果なもんやな。運命っちゅーのは。」 「…ごめんなさい…」 「謝らんでエエから、もう…花屋に嘘ついて気ぃ引くのは止めや?若い男と比べられたら、ワシ…勝ち目なんてないんやから。それに…」 「それに…?」 問いかける絢音に、藤次は優しく笑いかける。 「なるんやろ?母親に。可愛いから許しとったけど、いつまでも、そんな汚れ知らずの少女のままは、あかんで?」 「じゃあ、藤次さんも…」 「うん。ワシも、ちゃんと父親として、お前の夫として、一家の大黒柱として、責任ある行動する。お互い、成長しような?大事なこの子、守るために…」 「うん…」 そうして涙を拭いて笑顔を作ると、絢音は台所へ向かい、抄子の料理を皿に盛り付け、2人は気持ちを新たに、2度目の結婚記念日を迎えた。
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