第13話

3/6
前へ
/127ページ
次へ
「…改めて見ると、ホント…酷いわね。」 「うん…」 朝。 送検されてくる榎戸の取り調べをするために、警察から回されてきた書類を整理していた夏子は、事件直後に撮られた藤太と恋雪の亡骸の写真を見て呟く。 その言葉に、佐保子は静かに頷き、纏めた資料を、稔に渡す。 「稔君…ちょっと、良い?」 「えっ?」 瞬く稔の手を引いて、佐保子は夏子に作業の続きを頼み、検事室から出る。 「ど、どうしたの?佐保ちゃん。も、もしかして緊張してるんスか?大丈夫!ちゃんと僕フォローするから。」 「違う。」 「えっ?」 狼狽する稔に、佐保子は寂しく笑う。 「気づいてるんでしょ?私の、ホントの気持ち…私がホントは、誰を好きだって事…だから、別れよう?こんな中途半端な気持ちで私、あなたと一緒にいるなんて、できない…」 「佐保子…」 「話はそれだけ。ごめんね、大事な職務中に。でも、送検前に、ケジメつけておきたかったの。じゃあ、戻ろ?笹井君。」 「馬鹿野郎!!」 「!!?」 突然発した、普段穏やかな稔からは想像もつかない怒声に、佐保子は目を丸くする。 「そんなの…佐保子が最初からあの人を…棗検事を好きだって事、知ってた。俺には見せたことのない笑顔で、いっつも楽しそうに仕事してて、叶わなくても側にいれる幸せ噛み締めて、自分に冷たくなってからも、健気に尽くして、そして今回は、大事な髪まで切り落として、刑事部長に直訴してここに来て、涙必死に堪えて仕事して!仇を討とうとしてる!そんなお前を、1人にしとけるかよ!痛々しくて、見てられるかよ!頼れよ!縋れよ!あの人の身代わりでも良い!俺はお前を愛してる!!忘れろなんて言わない!ずっと思ってて良い!その気持ちごと受け止める!だから、さよならなんて、言うな!!」 言って、稔はスーツの内ポケットにずっとしまっていた、恥ずかしくて中々彼女に渡せないでいた水色の小箱を出すと、戸惑う佐保子に握らせる。 「結婚しよう。検事の奥さんが回復して、この事件が全部片付いたら、棗検事に仲人お願いして、あのチャペルで、俺たちも式挙げよう?見せつけてやれよ。綺麗な花嫁姿。そして言ってやれ。いつもの口調で。こんなに近くで、ずっと想ってやってたのに、ちっとも気づいてくれなかった、バカ検事!ってさ。」 「稔…」 瞳に僅かに涙を浮かべながら、そっと箱を開けてみると、小ぶりだが、藤次が絢音に贈ったのと同じ、いつか彼女が幸せそうに藤次に指に嵌めてもらっていた、ハートのダイヤモンドが輝く、ティファニーの婚約指輪。 「あ…」 「事務官の安月給だから、全く同じものは買えなかったけど、奥さんが指にしてたのと、同じだろ?佐保子の気持ち考えてたら、ずっと渡せなくて…プロポーズ、こんな形になっちゃったけど、受け取ってくれるかな?」 「…良いの?ホントに、忘れなくて…思い続けて…こんな、身代わり…当てつけみたいな結婚でも、良いの?」 問う佐保子に、稔は静かに笑う。 「良いよ。言ったろ?幸せにするって。お前があの人にしてたように、お前を精一杯愛して、愛して、いつかきっと、俺の方を振り向かせて見せる。それに…」 「それに?」 涙を流す佐保子のそれを拭ってやると、稔は優しく彼女を抱き締める。 「俺はきっと、棗検事を好きな…あの人と一緒にいる時の笑顔のお前を、好きになったんだ。だから、さっきもいったよな?その…棗検事を好きだって気持ちごと受け止めるって。だから、気の済むまで、想っていろよ。俺も負けないくらい、お前を想うから。」 「ありがとう…プロポーズも、嬉しい。こんなにまで想ってくれてたんだって、見つめててくれてたんだと思うと、ホントに…。いつかきっと、あなただけを想う、私になる。なるから、それまで…待っててね?」 「ああ…」 優しく強く抱き締められる稔の腕に藤次を重ねて、彼に…こんな風に抱き締めて欲しかったと思いながらも、稔に渡された婚約指輪を左手薬指に嵌めてもらい、やはり藤次との行為を頭に思い浮かべながら、稔とキスを交わした。 「まったく…あんな軽薄でお調子者の、何処が良いんだか…」 筒抜け状態だった稔と佐保子のやりとりを聞きながら、夏子は小さくため息をついて毒づいたが、やや待って、刑事部長との約束だと、長く伸ばしていた髪を切り落として、短くなった髪の毛の裾に手をやり、クスリと寂しく笑う。 「私も、同じか…」 * 太陽が中央に登り始めた正午。 京都市内の斎場で、多くのマスコミが詰めかける中、藤太と恋雪の葬儀が行われた。 松下が気を回して、所轄を警備に行かせたので、マスコミ達に邪魔されず、藤次は静かに、綺麗に化粧を施され、色とりどりの花で包まれた我が子の棺が並んだ祭壇を見つめる。 金に糸目はつけんと葬儀屋に言い、京都中の花屋の白菊をかき集めて作り上げた純白の祭壇に飾られた遺影を一瞥したのち、藤次は列席した同僚達や真嗣、更に葵と安河内に深々と頭を下げてから、弔辞を述べる。 「藤太、恋雪…初めて書く手紙が、さよならなんて、お父さん、本当に辛いです。本当は、いつもの口調で読んでやりたいんだけど、偉い人が沢山いるから、我慢してくれな?」 涙を堪えながら、パラリと便箋を開き、一晩かけて書き綴った我が子への思いを読み始める。 「お父さんの子供に産まれてきてくれて、本当にありがとう。そして、お父さんの大切なお母さんを守ってくれて、本当にありがとう。君たちのおかげで、お母さんは日に日に元気を取り戻してます。直に意識も戻るだろうとのことです。本当に、ありがとう。今日は、お母さんは来れないけど、きっと病院で見守ってくれてると思うから、安心して、天国に…お母さんのお父さんとお母さん…君たちにはおじいちゃんおばあちゃんになる人の待っているところに、旅立って下さい。」 言って、藤次はそっと…2人の棺を開ける。 「藤太…恋雪…お前達の勇気ある行動、悪に屈しない正義の心に、刑事部長…君たちも知ってる度会のおばあちゃんが、もっと偉い安河内検事正に頼んでくれて、こんなすごい贈り物、してくれました。受け取って下さい。」 そうして、葵と安河内が壇上に上がり、2枚の紙を、2人は読み上げる。 「辞令。棗藤太殿。京都地方検察庁検事に任命する。」 泣きながら藤太の頭を撫でて、葵は読み上げた辞令と真新しい紀章を、彼の棺に入れる。 「辞令。棗恋雪殿。京都地方検察庁検事、棗藤太付きの検察事務官に、任命する。」 涙をグッと堪えて、今度は安河内が、恋雪の小さな棺に、辞令と花束を入れ、2人は深く藤次と子供達に一礼して、祭壇を後にする。 「藤太…恋雪、これで君たちは、お父さんのかけがえのない、一番の同僚です。一緒に机は並べられないのが非常に残念ですが、どうか天国へ行っても、生まれ変わっても、その正義の心は、忘れないでください。お父さん…いや、京都地方検察庁皆んなからの、お願いです。」 参列者からシクシクと泣き声が聞こえる中、藤次は更に手紙を読み進める。 「藤太…僕をお父さんにしてくれた、最初の可愛い息子。産まれるのに時間がかかって、お父さんもお母さんも、本当に心配しました。でも、元気に産まれてきてくれて、大きな病気もせずすくすくと育って、一歳になって、二歳になって…そして、忘れもしません。去年の夏…6月12日。初めて僕を、パパと呼んでくれましたね?あの時は、本当に嬉しかったです。父親として未熟者だった僕を、漸く認めてくれたんだなと思い、感謝と嬉しさの涙が止まりませんでした。本当に、僕の子供に産まれてきてくれて、ありがとう…」 深々と頭を下げて、今度は恋雪の棺に向き直る。 「恋雪…僕の初めての娘。藤太の時とは逆で、びっくりするくらい安産で産まれてきてくれましたね。けど、産まれて3ヶ月目でしたでしょうか、梅雨の寒空のせいか、身体が弱かった君は高熱を出して、お母さんと2人で雨の中救急車で病院に行って、どうにか助けてやって下さいと、お父さんは先生に頼み込み、ずっと側にいました。そうしたら、辛いはずなのに、君は僕に向かって笑いかけて、指を握ってくれましたね?心配しないで。アタシ元気になるからと慰めてくれてるようで、本当に…情けない話、声を上げて泣いてしまった弱いお父さんで、本当にごめんなさい。初めての言葉も聞けなかったし、花嫁姿も見れないのは非常に惜しまれますが、本当に、僕なんかの子供に産まれてきてくれて、ありがとう。」 そう締めくくり、藤次は参列者の方に向き直る。 「今日は本当に、ご多忙な中、お時間を割いてのご列席、感謝のしようもありません。殊、度会刑事部長、安河内検事正においては、言葉では言い表せないお心遣いを賜り、恐縮の限りです。どうか皆さま、袖振り合うも多生の縁、藤太と恋雪を、僕の最愛の子供達を、暖かく見送ってやって下さい。本日はどうも、ありがとうございました…」 そうして頭を下げた瞬間、張り詰めていたものが切れたのか、藤次はその場で泣き崩れ、姉恵理子と真嗣に支えられながら、手向けの白菊で埋め尽くされた小さな棺と共に、遺影と位牌を手に、火葬場へと向かった。
/127ページ

最初のコメントを投稿しよう!

148人が本棚に入れています
本棚に追加