第13話

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「とーちゃん。今日は大役お疲れさん。姉ちゃんと抄子ちゃんに後任せて、今夜は久しぶりに家で寝たらええわ。チビちゃん達とも、ゆっくり話したいやろ?」 藤太と恋雪の葬儀を終えた夜の花藤病院の待合室。 暗がりの中、小さな遺骨になった2人を抱き締めてぼんやりしている藤次に恵理子は語りかけたが、藤次は首を横に振る。 「嫌や。一般病棟移った言うても、まだ油断できん。今日も寝ずに、看病する。」 「そやし…」 そう言った時だった。 廊下の奥から、絢音の看病をしていた抄子が、血相を変えて走ってきたのは。 「藤次クン!恵理子さん!絢音ちゃんが…目を覚ましたの!」 「えっ!!」 「ほ、ホンマか?!ホンマに絢音、目覚めたんか?!」 パァッと、嬉しそうに顔を綻ばせる藤次と恵理子だが、抄子は何故か動揺を隠せない表情で言葉を続ける。 「意識は戻ったんだけど、なんだか様子がおかしくて…私のこと誰って、知らないって言うから、取り敢えず、藤次クンならって思って呼びにきたんだけど…」 「わ、分かった!すぐ行く!!きっと事故で記憶が混乱しとるだけや!!ワシの顔見たら、安心して思い出すに決まっとる!!良かった… ホンマに良かった!!」 そう言って嬉しそうに、藤次は絢音のいる個室をノックし、中に入る。 「絢音!ワシや!!大丈夫か?!」 そう声をかけた瞬間だった。 半身を起こしていた絢音がパァッと笑ったので、藤次も一緒に笑う。 が、出てきた言葉は、意外なものだった。 「お父さん!!帰ってきてくれたの?!!」 「………えっ?」 一瞬、何が何やらとポカンとしていると、絢音は不思議そうに首を傾げる。 「お父さん。お母さんは?あやね、良い子にして待ってたよ?だから約束、大好きなイチゴショートケーキ!買ってきてくれたんでしょ?」 「な、何言うとんや絢音。ワシや!藤次や!夢でも見て、寝ぼけとんか?!ホラッ!お守りのクローバーのネックレス!いつも一緒につけとったやろ?!」 そうして首につけていたネックレスを示して見せたが、次の瞬間、絢音の口から藤次を奈落に突き落とす一言が発せられる。 「とうじってだあれ?お父さん…」 「えっ………」 純真無垢な瞳で不思議そうに自分を見つめる絢音に愕然とし、藤次はその場にへたり込む。 「と、とにかく、精神科…京橋先生だっけ?呼んでみよ?藤次クンが言ったみたいに、事故のショックかもしれないし…ね?」 「せや!抄子ちゃんの言うとおりえ?しっかりし!とーちゃん!!」 「う、うん…」   動揺しながらも、藤次はお父さんと縋る絢音に戸惑いながらも、ナースコールを押し、京橋が来るのを待った。 * 「今が何年か、分かるかい?」 「うーん…1990年?」 「君は、幾つだい?」 「9歳!もうすぐ10歳になるの!!」 「そうかい。じゃあ、ここはどこかな?」 京橋に問われ、絢音は辺りをキョロキョロしながら、不思議そうに口を開く。 「病院?アタシなんで、ここにいるの?お家でみーちゃんと、お父さんとお母さんの帰りを待ってたのよ?」 「そっか…じゃあ、この人達は、誰だい?」 言って、京橋は背後にいる藤次と恵理子と抄子を示す。 「お父さんと、知らない人…」 「そっか…とりあえず、今君は怪我をしているから、もう少し入院しようね?今から眠くなるお薬の注射するけど、良いかな?」 「いやぁ…アタシ注射きらぁい。お父さん。助けて…」 「あ…その…」 どうしようかと戸惑っていると、京橋が囁く。 「落ち着かせるためです。辛いでしょうが、ここは合わせて下さい。」 「は、はい…」 そう言って、藤次は絢音の手を取り見据える。 「絢音はええ子やろ?せやったら、先生の言うこと聞いて、ちゃんと寝よ?お父ちゃん、明日もちゃんときたるから。せや!好物のイチゴショート、ご褒美に買うたる。せやから、な?」 「お父さん…なあにその変な話し方。からかってるの?」 「あ、いや…」 「まあいいわ。お父さんちゃんと帰ってきてくれた!あやね嬉しい!!早く元気になって、おうち帰ろうね?お父さん!」 「あ、うん…」 「じゃあ、処置しますので、お部屋の外でお待ちください。詳しい話は、後ほど…」 「は、はい…」 そう京橋に促され、藤次はまたねお父さんと手を振る絢音に見送られ、恵理子と抄子と共に部屋を後にした。 * 「退行?」 「ええ…記憶障害も考えられますが、恐らく事故のショックと、元からあった統合失調症の影響で、ご両親を亡くされた頃に精神が逆行してしまった状態なんでしょう。ご主人をお父さんと言われることに、心当たりは?」 花藤病院の精神科の診察室。 京橋の口から出た言葉に、藤次は口を開く。 「あ、その…なんか、似てるんです僕。彼女の亡くなった父親に。」 「あぁ…それで、お父さんが帰って来たと、思ってるんですね。」 「そ、それで先生!内方…絢音は治るんですか?!…まさか、ずっとこのままやなんて、ないですよね?」 その問いに、京橋は顔を曇らせる。 「残念ながら、今の医療では、この状況を打開する手立てはありません。一応催眠療法などを試してみますが、可能性は低いと思って下さい。もし、在宅での看護が困難な場合は、こちらの療養施設のある病院への入院も、ご検討下さい。」 そうして出されたパンフレットを見るなり、恵理子は声を上げる。 「あら!これうちの勤めとる奈良の桜山病院やん!!偶然やねぇ!せや!師長に話して、姉ちゃんが担当になるわ。面倒みるさかい、とーちゃん、絢音ちゃんと、離婚し。」 「なっ!?」 急に発した恵理子の言葉に、藤次は瞬く。 「な、なんでや姉ちゃん!ワシ、絢音支えて生きてく。その内フッと思い出すかもしれへんやろ?!その時側におらんと…」 「そんな神のみぞ知るみたいな確率に縋って、一生お父はん言われながら過ごすんか?!そんな生活続けてたら、アンタまで狂ってまうで?!生半可な覚悟はやめよし!悪いこと言わん!別れて他の娘探し!これは姉ちゃんとしての命令や!!聞き!!藤次!!」 「ッ!!」 恵理子に正論を吐かれ、言葉を詰まらせてると、彼女は袂から名刺入れを取り出し、一枚取って京橋に渡す。 「改めまして、奈良の桜山病院の主任看護師してます。長山恵理子です。棗…いえ、笠原絢音さんの転院手続き、よろしくお願い出来ますか?空き病室については、明朝師長に問い合わせますので…」 「…分かりました。離婚などについては、ご家族でよく話し合ってご検討下さい。転院に関しては、こちらで進めておきます。」 「お願いします。離婚届の妻の欄は、私が代筆しますので…ええな?藤次。」 「姉ちゃん…」 「恵理子さん、いくらなんでも強引過ぎますよ。藤次クンの言う通り、何かの弾みで思い出すかもしれないじゃないですか?」 「抄子ちゃん、散々面倒みてもろて悪いけど、これはウチら家族の問題え?悪いけど、口挟まんといて。」 「そんな…ねぇ、いいの藤次クン?!このままだと、絢音ちゃんと離れ離れになっちゃうんだよ?!ホントに良いの?!」 「ワシ…ワシは…」 「(お父さん。)」 脳裏に、純真無垢な瞳で自分を父と呼ぶ絢音が過ぎる。 このまま、ずっと…藤次さんと呼んでもらえない。 彼女と一緒に、偽りの父子生活を送って行く。 そんなの、心が保つのか… 藤太と恋雪の死で憔悴し切っていた藤次の心に、その現実は辛すぎて、彼は唯唯諾々と、恵理子の指示に従った。
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