第13話

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「ほんなら、その離婚届持って、役所行くんやで?間違っても、病院には来たらあかんえ?…全ては、アンタの為や。姉ちゃんが責任持って、あの娘の後見人になってくれる人探すさかい、アンタはアンタで、事件もなんもかんも忘れて、別の幸せ探し。ええな。」 「う、うん…」 絢音が目覚めて1週間。 彼女が桜山病院に転院の決まった朝。 散々恵理子にそう説き伏せられ、藤次は彼女が代筆し埋められた妻の欄を見つめながら、離婚届の夫の欄に必要事項を記入して判子をついていた。 出かけにもう一度、病院に来るなと釘を刺されて部屋を後にして行く姉の背を見送りながら、藤次は手の中の離婚届を見つめる。 「これ役所に出したら…絢音と、他人になるんか…」 ぼんやりと、ダイニングの椅子に座ってそれを眺めていると、絢音との思い出ばかりが頭をよぎり、涙が溢れてくる。 離れたくない。 側にいたい。 けど、絢音は自分のことを父と呼び、ひょっとしたら一生…藤次さんと呼んでくれないかもしれない。 あの身体を抱くことも、キスをすることも許されない、偽りの父子関係を演じることになる。 ならいっそ、他の…適当に若い女を見つけて、ここで暮らせば良いではないか。 どうせ自分は何もできない。 何も守れない。 なら、若い女を金で買って、せいぜい余生を面白おかしく過ごせば良いではないか。 そう、この場所で… 「……ッ!!」 ガタンと席を立ち、藤次は離婚届を手にすると、財布を持って家を飛び出した。 * 「ねぇ、おばさん。お父さんは?それにアタシ、どこ行くの?」 花藤病院の正面玄関。 ストレッチャーに乗せられ、救急車に運び込まれる絢音の不思議そうな顔にそっと触れて、恵理子は静かに笑いかける。 「お父ちゃんな。お仕事で遠いとこいかなならんようなったんや。せやからおばちゃんと、今から行くお家で良い子して待ってような?大丈夫や。皆んな優しい人ばあやから、すぐ慣れるえ?」 「ホント?お父さん、すぐ迎えに来てくれる?」 「うん。絢音ちゃんがええ子にしとったら、お土産ぎょうさん持って、迎えに来てくれるえ?」 「嬉しい!じゃあ、あやね良い子にする!!」 「うん。うん…」 何おねだりしようかなぁと、心をときめかせている絢音を見ながら、恵理子はポツリと寂しく呟く。 「堪忍え?義理の妹より、実の弟がやっぱり、可愛いんや。もし、元に戻ったその時は、ウチのことどんなに恨んでもええさかい、藤次の事はもう…諦めてや…」 「ほんなら長山さん、閉めますよ?」 「あ、はい。宜しゅう…」 そう言って、救急隊が車の扉を閉めようとした時だった。 「絢音ッッッッ!!!」 「!!!」 「お父さん?!!」 瞬き、ストレッチャーから顔を上げて、絢音はパァッと笑顔に、恵理子はサッと青ざめ、慌てて救急車から降りて二人を遮る。 「アホゥ!!あれほどキツう来たらアカン言うたのに、何しに来てん!!もうアンタはあの娘とは他人やろ?!さっさと帰り!!!早よ!!」 そう言って身体を押す恵理子を払い退け、藤次は救急車に乗り込み、絢音に優しく笑いかける。 「ごめんな。お父さん遅くなって。ほら、お前の好きなイチゴのショートケーキ。病室戻って、一緒に食べよう?」 「お父さん?お仕事じゃないの?お仕事で遠くに行くって、あのおばさんが…」 その問いに、藤次は優しく笑いかける。 「どこにもいかないよ?絢音とずっと一緒にいる。今まで寂しい思いさせて、ごめんな?」 「お父さん…」 「藤次!!!この大馬鹿!!何遍も言わすんやない!!この娘と一生親子演じとったら、アンタまで狂ってまうで!!?アンタがこの娘好きなんはよう分かってる!!せやけど…」 「せやったら、もう邪魔せんでくれ!!!俺ははこの女が好きなんや!!誰よりも、何よりも、愛しとんや!!!もう、とっくの昔に、俺はコイツとの愛で狂うてる!!今更や!!他の女なんて石ころ以下や!!石ころと恋愛ごっこするくらいなら、惚れた女と親子ごっこの方が、なんぼもマシや!!!!!」 言って、藤次は離婚届を恵理子の前でビリビリに引き裂き、戸惑う救急隊に告げる。 「すんません。京橋先生に取り次いでもらえますか?転院は無しの方向。身体が回復したら、彼女は僕と生活しますて。色々話詰めたいさかい。」 「藤次!!!!」 「五月蝿い!!!何年も連絡してこんかったクセに、今更出てきて姉貴風吹かすな!!気に入らんなら、縁切ってくれてもええ!!とにかく、もう俺はアンタに守られて泣いてたとーちゃんやないんや!!自分の人生くらい、自分で決める!!せやからもう、口出さんでくれ…ワシから絢音まで、取り上げんでくれ…」 「藤次…」 頼むと土下座する弟に、恵理子は何も言えず、結局…藤次の希望通り、絢音は身体が回復し次第、彼と生活する運びとなり、邪魔虫は退散するわと告げて、恵理子は京都を後にした。 * 「谷原先生、榎戸事件の被害者の会の件、まとまりそうですか?」 別の日。京都のオフィス街にある丸橋法律事務所。 書類の束を真嗣に手渡しながら、倫太郎は彼に問う。 「うん。なんとか…後は、アイツに話すだけなんだけど、他の被害者…特に山根さんが反対してて…実績はあるから必ず良い方向に行きますって説得してるんだけど…」 「まあ、榎戸の動機が動機ですからね。被害者の方々が良い顔しないのは、仕方ないですよね。」 「うん。まあ、とりあえず、第一回公判は、山根さんを代表にして臨むよ。藤次もまだ、心色々整理ついてたいだろうし、しばらくは、伝えないでおくよ。」 そうして手にした書類をデスクに置いて、真嗣は丸橋の元に行く。 彼がデスクに置いた書類には、こう書かれていた。 −榎戸事件被害者の会による、裁判への被害者参加制度の適応について−
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