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第14話
「…被告人は、◯月×日正午。京都市花藤区花藤町三丁目の大通りの歩道を、およそ100kmで500m暴走。通行人12名を跳ね、乳幼児を含む3名を死に至らしめ、9名に重軽傷の加療を与えた。動機は、京都地方検察庁検察官棗藤次氏への怨恨と供述。よって検察は、この事案には個人的怨恨…つまり、明らかに被害を受けた棗氏の家族の命を狙った犯行であると認定し、危険運転致死傷、道路交通法違反の他に、この罪状を追加致します。」
京都地方裁判所321号法廷。
粛々と起訴状を述べていた賢太郎は、証言台でニヤニヤとこちらを見ている榎戸をキッと睨め付け、口を開く。
「追加する罪名及び罰条は…殺人。刑法199条。」
騒めく廷内に、裁判長は静粛にと告げた後、更に口を進める。
「被告人、今の検察官の起訴状に、異議はありませんか?」
すると、榎戸は不敵な笑みで裁判長を見据える。
「殺人上等だ。俺は本気で殺してやりたかったからやったんだ!女房が生き延びたのだって、ムカついてしょうがねぇ!俺はやった事は後悔してねぇし謝罪もしねぇ!!さっさと死刑台に送れ!!」
「コイツ…」
ギリッと、遺影を握る藤次の手に力がこもる。
許されるなら、今すぐこの場で縊り殺してやりたい。
そんな殺意すら覚える榎戸の態度に、担当弁護士は辟易しながら口を開く。
「このように、被告人は起訴内容を全面的に認めております。しかしながら、被告人は免許を習得して1ヶ月もなく、加えて、慣れない左ハンドルでの走行に、戸惑いがあったとも申しております。ですので、危険運転致死傷罪ではなく、あくまで自動車運転過失致死傷罪を、弁護人は主張致します。」
「(なんやねん。争点は危険運転か過失致死傷かい。まあ、殺人は認めたんや。死刑は免れんやろ…)」
そうして、何人かの目撃者が証言台に立ち、藤次の読み通り、危険運転だったか否かが議論され始めた。
もし、自動車運転過失致死傷罪なら、懲役7年以下または罰金100万円以下。危険運転致死傷罪なら、懲役15年以下または罰金100万円以下。
殺意を持って突っ込んだ…自動車を凶器に人を殺そうとしたのだ。危険運転と言っても良いだろう。
勝てる。
必ず、藤太と恋雪の無念を晴らせる。
そう思っていたら、被害者家族の被告人質問になり、山根が立ちあがる。
「では、被害者一同を代表して、山根安彦氏が、尋問を始めます。」
真嗣にそう言われて、山根は口を開く。
「わ、儂は、可愛い一人娘を、あんたに殺されました。なんでもっと、他の被害者が出ないような手段に、しなかったんだ!あんたのせいで、靖子は死んだんだ!この人殺し!!娘を返せ!!!」
その言葉を聞くや否や、榎戸は深々と山根に向かって土下座する。
「なっ?!」
狼狽する山根に、榎戸は口を開く。
「本当に、山根さんを始め、巻き込んでしまった皆様には、心よりお詫び申し上げます。私の私怨で、大切な娘さんを亡くされた事、深くお悔やみ申し上げます。その上で、できうる償いを、他の被害者の皆様には金銭という形ではありますが、償わさせていただきます。」
そうして、榎戸の弁護士は、裁判長と関係者に、数枚の書類を渡す。
「手元の文書によると、被告人は、死亡した山根靖子氏に、損害賠償と慰謝料で1億。棗絢音氏を除く他の被害者にも、加療具合に関わらず、1人5000万を支払うとありますが、被告人、間違いありませんか?」
「はい。僕の出せる全財産です。これで、精一杯、償わさせて下さい。本当に、申し訳ありませんでした。」
そうしてまた深々と土下座するので、山根は提示された賠償金額の額にも驚いていたが、目の前で誠実な態度を取る榎戸に、僅かに顔が緩む。
他の被害者達も、これなら無理に死刑にしなくても…と言う空気が漂い始め、藤次と真嗣と賢太郎は焦る。
「(阿保!金に目ぇくらませて許す気か!?お前の娘の命の価値は、1億で満足なんか?!ワシは違う!!1億やろうが2億やろうが、絶対許さへん!!……ああ、もどかしい!!!!)」
あそこに自分が立っていれば、榎戸に追及の言を飛ばし、徹底的に責めてやるのに…
歯痒くて悔しくて涙を滲ませていると、隣にいた瑞穂がハンカチを差し出してきたので、受け取り涙を拭う。
「すみません。僕、あんまりにも悔しくて…」
「そうですよね。棗さんには何一つ、謝罪がありませんものね。被った事は同じなのに、あの人ったら…」
「ええんです。お金で償う言われたら、誰でも許そう思います。けど、僕は、どうしても許せません!」
「棗さん…」
その時だった。それまで大人しくしていた絢音が、藤次の背広の裾を引く。
「お父さん。いつまでこんなとこにいるの?あやねつまんない。ねぇ、本屋さん行こう?」
「えっ?!…今、奥様棗さんの事…」
狼狽する瑞穂に、藤次は寂しく笑う。
「事故のショックで、内方心壊して、僕を…亡くなったお父さんだと思い込んでるんです。辛いですけど、僕は彼女を心から愛してますから、生涯…父として支えていく覚悟です。」
「棗さん…」
「お父さん。ねぇってばぁ。」
腕を取り揺さぶる絢音に、藤次は優しく笑いかけ頭を撫でてやると、彼女と一緒に傍聴席を立つ。
「申し訳ありませんが、これで失礼します。僕の代わりに、裁判を見届けて下さい。そして、一言だけ…ご主人に伝えてください。」
「伝えるって…何を?」
問う瑞穂に、藤次は深々と頭を下げる。
「この度は本当に申し訳ありません。ですがどうか、奴の要求に惑わされず、奴を極刑にしてやりたいと言う気持ちだけは、忘れないでください。…と。」
「棗さん…」
悲しげな表情をする瑞穂にもう一度深く一礼して、藤次は絢音に引っ張られながら、裁判所を後にした。
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