第14話

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…2月28日。 運命の日。 藤次は真嗣に導かれながら、証言台に立ち、宣誓の誓いを立てると、ギリギリと歯痒そうに自分を睨む榎戸を冷ややかに見つめた後、裁判長に向かい、口を開く。 「…初めに言います。これから私が話す論告は、事件とはかけ離れた内容になるかもしれません。ですが、皆様にどうしても知ってもらいたくて、そして私が今、被告人の死をどれほど切に願っているかをご理解してほしいためです。長くなりますが、耳を傾けて下さい。…そして、被告人にどうぞ、極刑を下して下さい。お願いします。」 そう口火を切って、藤次は傍聴席に不安げに座っている絢音を優しく見つめてから、手元の原稿用紙に…今の自分の思いのたけを語り始めた。 「私は、産まれて45年間、人を愛する、人に愛されると言う事を知らずに育ちました。不器用なりの父母の愛情表現を、幼かった私は理解できず、私はただただ、この世に存在する意味を、探していました。…そんな時です。私の最愛の妻と、出会ったのは…」 「…………あ、た、し……」 「絢音ちゃん?どうかした?」 急にカタカタと震えて頭を抱える絢音に抄子は語りかけるが、絢音の頭の中には、藤次と出会った日の…冬の終わりの京都地検の光景が甦る。 「初めは戸惑いました。彼女を愛し、また、彼女に愛される生活に。愛と言う目に見えないものに畏れ、不安になり、時には衝突し、何度か別れを考えたこともありました。けれど妻は、そんな私に、ただひたすらに、惜しみなく愛を注ぎ、支えてくれました。そうしてとうとう、私のようなどうしょうもない男を、父親にしてくれました。」 「アタシ…あ、イヤ…」 フッと、長男藤太と、長女恋雪が産まれた時のことが頭によぎり、いよいよ絢音の頬に涙が伝う。 …そう。 違う。 今、目の前で語る、痩せて少し小さくなったが、変わらない広い背中の男性は、父ではない。 そう、彼は… 自分にとって、彼は…… 「最初の子は、藤に太で藤太。食いしん坊の甘えん坊で、散々抱っこをねだられました。桃太郎が大好きで、本がボロボロになるまで、私や妻に読み聞かせもねだられ、今ではすっかり、内容を覚えてしまいました。」 廷内のスクリーンに、藤太の写真が映された瞬間、あの日の言葉…藤太と交わした最後の言葉が絢音の脳裏に浮かぶ。  「(ママ!ご飯美味しかったね!!)」 「と、う、た…?マ、マ…?」 「次に生まれたのは、恋に雪で恋雪(こゆき)、初めての娘でした。安産で産まれてくれたのは有難いことでしたが、病弱で、何度も不安な夜を過ごしましたが、すくすく育ち、もうすぐ満一歳…藤太は3歳になろうと言う時でした。彼に、榎戸修二氏に、その命を奪われたのは…」 グッと、拳を握り締めて、涙を堪えて、藤次は続ける。 「霊安室で、2人と面会した時は、夢なら覚めてほしいと、何度も何度も、神に祈りました。けれど、奪われた命は戻らない。そう気づくまで、たくさんの時間を要しました。それは勿論、巻き添えになった山根靖子さんのご両親も、同じだと思います。」 言って、藤次は傍聴席にいる山根夫妻に頭を下げる。 「この事件は、私への私怨だと、被告人は散々と言っておりますが、私は、マスコミの取材にも何度も申し上げた通り、検察官として、綿密な捜査の裏付けの後、犯した罪に相応の罰を与えました。誓って誤審であったとは、思っておりません。しかし、私のこの裁きが、若き彼の人生を狂わせてしまった事も、また事実です。が、」 そこで一区切り付き、藤次はグッと、胸元の父の検察官紀章を握りしめる。 その姿を見た瞬間、絢音の中で何かが揺らめく。 自分はずっと…ずっとこの背中を、支えてきた、見守ってきた。敬愛してきた。 この男(ひと)、この男(ひと)は… 絢音に異変が起きているにも拘らず、藤次は言葉を更に続ける。 「罪には罰。それが…法治国家の現代社会。私は、その一端を担う検察官。今日(こんにち)まで裁いてきた被告人の人生で、彼らが罪を償い、再び前を向き、再び幸多き人生を掴むことを願い続けていました。けど…その願いをこのような形で裏切られ、再び法を犯した被告人を、私と被害者家族会の皆様から家族と日常を奪った被告人を、私は許せません。どうぞ裁判官、裁判員の皆様、被告人への極刑の審判を、よろしくお願いします。」 そう締めくくり、証言台を降りた瞬間だった。 「藤次さん!!!!!!」 「!!!?」 いきなり廷内に響いた…数ヶ月ぶりに聞く、愛しい妻…絢音の声に、藤次は瞬き傍聴席を見やる。 「あ、や、ね?」 そこに居たのは、抄子に体を支えられながら、席を立ち、柵に手を掛け身を乗り出す、涙で顔をくしゃくしゃにした…最愛の女(ひと)… 「あやね…ホンマに、絢音…か?」 「当たり前じゃない!!!ごめんなさい!!!アタシのせいで、藤太が!!恋雪が!!!!」 そうして、ワアアッと泣き崩れる絢音を、藤次は自分達を隔てる柵越しに抱き締める。 「阿保!!!お前のせいやない!!ワシの、ワシのせいや!!!お前は何も悪ない!!わるないんや!!良かった!!ホンマに…良かった……」 「藤次さん…」 そうして抱き合う2人を一瞥した後、賢太郎は徐に立ち上がり、裁判長に言葉を放つ。 「一時休廷を、検察は申請します…」
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