最終話

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「た、ただいまっ!!」 時間は少し戻り夕刻、東京都内のマンションの一室。 事務官にあらかじめ指示をして、家に入れていた人間に会うため飛んで帰ってきた相原藤司(あいはらとうじ)は、部屋の中いっぱいに広がる唐揚げの匂いに、呆然とする。 「あら、お帰りなさい。事務官さんが言ってたより早かったわね?お夕飯まだなの。お風呂先入って?洗濯物沢山あったから一気に洗って、布団と一緒に干しちゃったわよ?部屋中ゴミまみれで、掃除のしがいもあったわ。でも、仕事関係のものは触ってないから、安心して。鞄預かるわ。あとはい、これでしょ?部屋着。」 「そうやない!!なにしれっと女房みたいな態度とってんねん!!事務官…山際から話聞いて、行くとこないていうから部屋上げたけど、オッサン…藤次さんはどないしてん!!!お前が尽くすんはあの人やろ!!事件で色々ありすぎて、気ぃでも違えたか?!」 その言葉に、絢音は静かに笑う。 「…なによ。いつまで経っても迎えに来てくれないから、こっちから押しかけてきてやったのよ。東京地検特捜部のエース。十分な土俵じゃない。あんな地方の窓際ヒラ検事より、ずっと素敵になったわ。だから、あの窓際ヒラ検事に三行半、付けてきただけよ。」 言って、絢音は、テーブルに置いていた…かつて藤司が自分に送ってきた婚姻届と、何も嵌められてない左手薬指を示す。 「あの窓際ヒラ検事が、素直に離婚に応じるとは思えないけど、裁判でもなんでもして、必ず別れるから、ここに頂戴?あなたが前、手紙でこっそり教えてくれたもの。いま、ここで…」 「絢音さん…本気なんか?本気で、ワシと…」 狼狽する藤司に、絢音は優しく笑いかける。 「あなたこそ、こんなおばあちゃんで、まだ良いの?もう若く無いから、ウエディングドレスは勘弁してね?窓際ヒラ検事の件が全て片付いたら、明治神宮だっけ?そこでしっとり、和装でしましょ?2人だけで、結婚式。」 「…や。」 「ん?」 「嫌や!!!2人きりなんて嫌や!!地検中の人間呼んで、検事総長に仲人お願いして、京都から親呼んで紹介して、友達も…地方の検察で世話なった人…とにかく、集められるだけ人集めて、帝国ホテルで盛大に披露宴やるんや!!ワシの待ちに待った…晴れ舞台なんや…ええやろ?」 「藤司さん…」 「…なんや。年下のワシをさん付けなんて、おかしやろ?藤司て呼んで?ワシも、絢音て呼ぶから…」 言って、藤司は部屋に上がり、戸棚に大切にしまっていたブルーの小箱を取り出し、中身を出すと、向き合う絢音の左手薬指を取り、そっと…指に中身を…瀟洒なデザインと周りに煌びやかな小粒の宝石を散りばめられ、中央に確かに輝くダイヤモンドの婚約指輪を嵌めようとする。 が、リングのサイズは絢音の指より小さくて、思わず絢音はプッと吹き出す。 「ほら、だから言ったでしょ?号数も聞かないで指輪なんて作るもんじゃ無いわって。それ、一点物のデザインリングでしょ?お直しできないじゃない。どうするの?」 「…あ、その……せや!ほんなら今から買いに行こ!!ここは腐っても東京や!東の大都会や!宝石屋なんて、いくらでもある!!金に糸目なんてつけん!!とびきり上等な婚約指輪と、あと…結婚するまでに付けるペアリング!それも買お!!ほかにもぎょうさん買うたる!せやからなんでもねだれ!な?!」 そう言って笑う藤司の顔に、フッと、藤次の顔がダブる。 「(お前の欲しいが…ワシは一番嬉しいんや。せやから、なんでもねだれ。叶えたる…)」 「絢音…?」 反応がないので藤司が訝しんでいたので、絢音はすぐさま笑顔を作り、彼に抱きつく。 「嬉しい…世界中で一番素敵なリング、頂戴ね?」 「ああ。勿論や…」 そうして優しく、けれど若々しく逞しい藤司の腕に抱きしめられたが、絢音の心は…いつまでも冷え切ったままで、埋まっていたはずの穴が、静かに開き始めていた。 * 「ここやな。」 時刻は戻り、夜の10時。 東京都内のマンション…藤司の部屋の前に、藤次はいた。 室内の灯りは灯っておらず、不在かと思いながらもインターフォンを鳴らすと、暫時の沈黙ののち、シャツに下着姿の藤司が現れ、自分を見るなり目を見開く。 「オッサン…なんで…」 「なんでもへったくれもあるかい。ワシかて検察官…捜査はお手のもんや。絢音おるんやろ?さっさと荷物纏めさせて連れてき。まだ最終の新幹線あるさかい、一緒に京都帰るんや。」 そうして強引に中に入ろうとする藤次を、藤司は体で阻む。 「おい!邪魔すんな!……絢音!!おるんやろ絢音!!迎えにきたったで!!ワシはなんも怒ってへん!!藤太と恋雪のことで、話したいことぎょうさんあるんや!!せやから、一緒に帰ろ!京都に!」 「五月蝿いわ。何時やと思っとんねん。近所迷惑や。……それに、絢音気ぃ遣って寝たばあやから、起きへんで?」 「えっ………」 気を遣る。 その言葉に、藤次は青ざめ、パタリと涙を零す。 「お前…まさか…絢音を…」 問う彼に、藤司は不敵に嗤う。 「…丁度さっきや。3回目が終わったん。散々仕込んでくれて、おおきに。めちゃくちゃ気持ち良かった。ご馳走さん。せや、なんなら聞かせたろか?ワシと絢音の…」 そこまで行った瞬間だった。藤次の拳が、藤司の頬を、思い切り殴りつけたのは。 「な、なにすんねん!!」 「それはこっちのセリフや!!こんの恩知らずのクソエロガキ!!人の女房…よくも犯しよって!!」 「犯したんやない!合意や!!約束やってん!ワシの初めてもろうてくれて!アンタと違うて、ワシは正真正銘…アイツ一筋や!!せやから、アイツ応えてくれて、ワシを頼って来てくれたんや!!もう、婚約もした!せやから、さっさと離婚して、アイツ自由にしてやれ!!アイツかて、アンタみたいな地方の窓際ヒラ検事より、ワシの方がエエて言うてくれたんや!」 「アホか!夢も幻想も大概にせい!!絢音がそないなこと言うはずないやろ!?俺と絢音は、永遠に一緒なんや!愛し合うとんや!お前みたいなガキ、お呼びやないんや!!さっさと中入れさせ!!叩き起こして連れ帰る!そんで、悪い夢やったなて慰めて、精一杯愛したるんや!!どけ!!!やないと投げ飛ばすぞ!!」 「上等や!住居侵入と暴行、誘拐の現行犯で警察呼んで、ブタバコぶちこんだる!!ええ気味や!榎戸事件で散々愛を語っとった代表が、惚れた女に三行半された挙句痴話喧嘩で裁判沙汰。とんだ醜聞や!アンタみたいな男には、それがお似合いや!」 「こいつ…言わせておけば…」 そう言って、得意の合気道で投げ飛ばそうと腕を掴んだ時だった。藤司の腕が、脚が、自分の身体を薙ぎ払い、その場に叩きつけられたのは… 「……ッ」 痛む半身をなんとか起こし、それでも中に入ろうと食い下がる藤次の胸ぐらを掴み、藤司は凄む。 「ええな?これは最期通告や。二度とワシと絢音の前に、姿見せるな。離婚届さっさと役所に持ってて、受理された言う連絡を、事務官の山際に伝えたら、お前との連絡は今後一切取り次がん。後で弁護士経由で正式に絢音とワシに付き纏わん言う念書作って送りつけるさかい、それにもサインしてもらう。とにかく、もう絢音はワシのもんや。潔う諦め。そしたら、今夜のことは、全て水に流す。分かったら、とっとと1人で京都帰れ。」 「…………分かった。絢音の為や。騒ぎ大きしたないから、今夜は引き下がる。その代わり、絢音が目覚めたら伝えてくれ。新橋のビジネスホテル「桂花(けいか)」の305号室に、ワシはおる。日雇いでもバイトでも、財産切り崩してでもなんでもして、お前と京都帰るまで、ワシは東京におる。待っとる。なんも責めん。全て受け入れる。いつまでも待っとる。今もこれからもずっと…愛しとる。それだけ伝えてくれ。後生や…」 そう言って土下座をする藤次を冷たく見下ろした後、藤司は静かに扉を閉め、鍵をかけた。 1人になった藤次は、痛む身体を引き摺りながら、ゆっくりと、マンションを後にした。
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