最終話

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「トウジさん?」 「なんや…起きとったんかい…」 寝室に戻ると、絢音が乱れた黒髪を整えながら、藤司から与えられた寝巻きを着ていた。 「誰か来てたの?話し声らしきものが聞こえてたけど…それに、そのほっぺ…」 「ん?あー…ちょっと、な。寝ぼけて柱にぶつけてん。人もな?仕事の関係の人が来てたんや。守秘義務あるさかい詳しく話せんけど、お前が気にするようなことやないから。それより、なんか夜食作ってぇな。腹減った。」 「ダメよ。夜中に飲食なんて。体に毒よ。ホットミルクにハチミツいれて飲みましょう?リラックスできるわよ。」 「………」 「トウジさん?」 「ワシ…牛乳嫌いやねん。」 「(ワシ…肉、嫌いやねん…)」 その渋い表情をする藤司に、またも藤次の顔と声がダブるので、絢音は困ったように笑って、ポツリと呟く。 「頼むから、忘れさせてよ…もう、一緒にいられないんだから…」 「なんか言ったか?」 「ううん別に!!それよりホラ、好き嫌いしないで飲みなさい!ハチミツ入れると美味しいから。ね?」 そう言って絢音は笑いかけ、拗ねる藤司の腕を取りながら、2人は台所に向かった。 一つの嘘を、互いに相手に吐いて… * それからと言うもの、絢音は毎日、多忙な藤司の為にご飯や弁当を作り、部屋を掃除し、洗濯や布団干しに精を出し、不慣れな東京の地理に齷齪しながらも、買い物を済まして帰宅する。 そうして帰ってきた藤司を暖かく迎え、食事を共にし、彼が求めるなら共に風呂に入り、ベッドで睦み合い眠りに落ちる。 そんな、京都で藤次と生活していた時と同じ1日を過ごしていたが、どれだけ藤司に尽くしても、尽くしても、彼に抱かれて、愛されても、愛してると囁かれても、心の穴は広がるばかりで、乾いていくばかりで、どうしょうもない虚しさを埋めるかのように、藤司から与えられた金銭で本を買い漁り、隙間時間は読書に打ち込んだ。 「(新橋のビジネスホテル「桂花」の305号室に、ワシはおる。)」 「藤次さん…」 ここにきて間もなく、藤司と初めて情を交わした夜に、藤次が自分を迎えにきてくれていたことを、絢音は密かに気づいていた。 しかし、藤司と情を交わしてしまった事と、彼から家族と言う大切な宝物を奪ってしまったと言う2つの罪悪感から、結局…最後まで彼の元へ、胸に飛び込む勇気は出なかった。 しかし、藤次がまだ東京で、この慣れない土地で、一体どんな生活をして自分を待っているのだろうと思うと心配で涙が止まらなくて、散々苦しみ考えあぐねいた末、藤司に内緒で、絢音はとある場所を調べて訪れた。 * 「ただいま!」 「おかえりなさい。トウジさん。」 金曜日。 いつものように作った笑顔で藤司を出迎えると、藤司はやおら怪訝な顔をする。 「なんや…目ぇ赤いやん。なんかあったんか?」 「えっ?!そう?昨日買った小説のせいかしら。なんだかひどく感動しちゃって…」 「…………」 「トウジさん?」 「あ、いや、なんでも…それより、小説でそない感動するやなんて…絢音はホンマ、情が深うて優しいな。」 そうして戸惑う絢音を抱きしめて、藤司は、ずっと心に引っかかっていたことを口にする。 「なあ、まだ…生理きてんやろ?入籍や結婚式こそしてないけど、もう実質夫婦や。そろそろ子供作る為に、避妊…ナシにせえへん?」 「えっ…」 突然の申し出に瞬く絢音に、藤司は複雑な、しかし照れ臭そうに笑う。 「子供亡くして辛いん分かるけど、ワシもそろそろ、父親になりたいんや。亡くなった絢音の子の写真…テレビで見たことあるけど、あない可愛いんやったら、ワシも欲しいんや。なあ、ええやろ?」 「トウジさん…」 戸惑う絢音の口から名前を紡がれた瞬間、藤司の顔が一瞬陰ったが、直ぐにまた笑顔になり、彼女を見据える。 「あのオッサン、未だに離婚した言う連絡してこんねやろ?エエ加減ワシも辛抱たまらん。せやけどスケジュールパンパンで…せやから、来月の月末まで待たしてまうけど、日曜日。一緒に弁護士んとこ行って、離婚調停の手続きしよ。その道の専門の弁護士見つけたから。せやから考えとって。子作りと離婚調停。」 「う、うん…」 「ん。ほんなら腹減ったわ。飯にしよ。今日も好物、作ってくれてんにゃろ?」 「えっ!あっ!…うん!トウジさんの好きなもの、いっぱい作ったから、たくさん食べてね!」 「うん。」 そうして2人で食卓を囲み、風呂に入った後、いつものように抱かれるのを待っていたが、藤司は疲れたと言って先に眠ってしまったので、その日は情を結ぶことなく、ひとつのベッドで眠りに落ちた。
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