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「ええ。事情聴取中もずっとやって無いの一点張り。本当、強情でしたよ。」
ーー京都市内のとある警察署。
応対に出た若い刑事に促され、署内の小部屋に案内された藤次は、鞄から書類とメモを取り出す。
「せやけど、送検した言う事は、指紋以外になんや証拠があってんやろ?」
「ええ。目撃者がいましてね。彼女が鞄に入れるところを見たって。」
言って、刑事は目の前の小型テレビのスイッチを入れる。
映し出されたのは、何処かの店内で買い物をする、絢音の姿。
その近くには、眼鏡を掛けた同い年くらいの青年。
「この男性です。見たって証言したの。名前は榎戸修二、フリーター。」
「ふぅん…」
言って、刑事は映像を早回しする。
「ここです。この…すれ違う瞬間。」
確かに、絢音の背後を通る男性。
これなら見えるか。
何度も巻き戻し、その瞬間を確認する藤次に、刑事はぼやく。
「障がい者だからって、何でも許されると思ってるんですかねぇ。」
「……障害?」
不思議そうに見つめる藤次に、刑事はきょとんとした表情をする。
「あれ、供述調書に書いてませんでした?彼女、統合失調症っていう精神障害者だって……」
「ああすまん。見落としとった。」
言って、藤次は書類をめくる。
被疑者の身の上話には極力触れない。それがポリシーだった。
被疑者を人と思うな。それが、死んだ父親の口癖だった。
だからこそ、今まで冷静に粛々と、案件をこなしてきた。
きっとこれからも、ずっと……
「笠原絢音……20代から統合失調症……かぁ……」
*
統合失調症は、思考、知覚、感情、言語、自己の感覚、および行動における他者との歪みによって特徴付けられる症状を持つ、精神障害の一つである。
一般に幻聴や幻覚、異常行動が見られる。日本では2002年(平成14年)まで、精神分裂病(せいしんぶんれつびょう)と呼称されており、2002年から「統合失調症」という呼称に改訂された。
発症のメカニズムや根本的な原因は解明されておらず、また、単一の疾患ではない可能性が指摘されており、症候群である可能性がある。様々な仮説が提唱されているが、未だに決定的な定説が確立されていない。
「異常行動なぁ……」
図書館でいくつかの書籍やネット検索を漁ってみたが、画一的な治療法はないと記載されており、発症も原因不明。
結局は、よく分からない。それが答えだった。
「(精神障害による責任能力も考えられるか……一度、相手の弁護士にも連絡して……)」
そんなことを考えながら、図書館を後にしようとした時だった。
「あ……」
児童図書のスペースに、彼女……笠原絢音がいたのだ。
子供たち数人と仲良さげに本を読む姿は、傍から見てもどこにでもいる子供好きの普通の女性にしか見えない。
それに……
「あんな顔……できるんや……」
楽しそうに笑う彼女の表情を見つめている内に、何となく、自分は絢音にとって恐怖の対象でしかないという考えが浮かび上がり、藤次の心は僅かにチクリと軋んだ。
*
ーー結局、反省の色がないという点を除き、被害品が返還されていたという被害弁償と、初犯である事も加味され、絢音の処分は略式起訴……罰金刑でまとまりかけていた。
しかし、決め手となる防犯カメラの映像を何度も見返している内に、藤次の中である疑問が浮かびあがった。
そして……
「い、一体何ですか?こんなとこに呼び出して…」
翌日、藤次はあることの確認のため、榎戸を地検に呼び出した。
気の小さい男なのか、居心地が悪いのか、もぞもぞと椅子の中で動く彼に、藤次は小さく息を吐いた後、単刀直入に切り出す。
「あなたですよね?被告人の荷物に、商品入れたの。」
「!…な、何を言うんですか!?ぼ、僕は見たって証言してるだけで何も…」
「そうですね。見た。そう証言されてますね。だったら、なんで彼女のバックに手を入れてるんです?」
言って、藤次は榎戸の眼前に、用意していたパソコンの画面を向ける。
そこには、例の……榎戸が絢音の犯行の瞬間を目撃したとされるシーン。
「ここ。このカメラだと分からないんですが、別のカメラで見たときなんです。あなた、彼女のバックに商品入れてますね?」
マウスで手元を拡大してみると、僅かだが榎戸の手が、絢音の白いトートバッグに伸びているのが確認できた。
瞬間、榎戸が席から立ちあがる。
「ぼ、僕はやってない!!彼女がやったんだ!!その、赤いピアス……」
「赤いピアス?」
「そう……そうだよ!見たんだ!赤い……猫のピアスを、彼女がカバンに入れるのを……」
「これですか……?」
言って、藤次はビニール製の小袋に入った、赤い猫のピアスを差し出す。
「そう!それだよ!あったんだろ?!彼女のカバンの中に……」
「なかったんです……」
「へ?」
呆ける榎戸に着席を促し、藤次は別の書類をめくる。
「このピアス……あなたと被告人がいた場所にあった商品棚の下から見つかったんです。指紋を照合した結果、被告人ではなくあなたのものだけが検出されました。推察ですが、あなたが彼女のカバンに故意に入れようとしたとき、何らかの弾みで落ちたんでしょう。そして、あなたはこれが万引きされたものだと言った。どう言うことですか?」
「いや……それは……」
口ごもる榎戸に、藤次は小さくため息を付く。
「後日、警察から正式に呼び出し来ますから、その時までに、ちゃんと話せるようにしておいてくださいね。」
「あの女が悪いんだ!!」
「!!?」
その言葉で何かが千切れたのか、榎戸は思い切り席から立つと、堰を切ったように話し始めた。
「みんな、みんなあの女が悪いんだ……メンヘラだからとか、寂しいからとか言って、僕の自由をどんどん奪って、あまつさえ、寂しいからと言って、平気で他の男と……!!」
言って、榎戸は力なく椅子にへたり込む。
「だから、復讐してやったんだ。あの女と同じ……偶然、赤い十字のヘルプマークを付けたあの女を見つけて、彼女が手をつけてた商品を取ってバックに入れて、見たって証言して、復讐してやったんだ……」
ボロボロと涙を流し嗚咽する榎戸を冷ややかに見つめながら、藤次はゆっくり眼鏡を外す。
「警察に連絡して。京極さん……」
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