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「…と言うわけで、棗から事件を引き継ぎました。楢山です。棗はやりたがってましたが、事件関係者は、裁判には参加できませんからね。」
「は、はい…今日は、よろしくお願いします。」
それから暫くして、京都地検楢山検事室。
件の盗撮事件の聴取の為、絢音は再び、事件関係者として地検の門をくぐった。
「藤太クンなら、心配しなくて大丈夫ッス!!既婚の女性事務官が、ちゃんと見てますからっ!!リラックスッス!!被害者なんスから!!」
「ありがとうございます…」
「…では、お聴きします。あなたは本当に、撮影された事に、気づいてなかったんですね?」
「はい。警察の方…鑑識さんが指紋や足跡見つけるまで、まさか人が昇ってくるなんて思いもよらなくて…日当たりも良い部屋でしたから、カーテンも開けてましたし、本当に、不注意でした。申し訳ありません。」
「では、被告人に挑発的な行為を行ったとか、自分から乳房を見せつけて撮影を強要したなどは、ないと仰るのですね?」
「は、はい!本当に、子供にお乳をあげていただけです。楢山さん…検事さんがおっしゃるような事は、一切、ありません。」
「…わかりました。裁判を開くことになりましたら、その主張をお願いします。まあ、起訴猶予…示談という手段もありますが…」
「はい。藤次さん…主人と相談して、裁判は考えてません。私の不注意も原因ですし、お金で償ってくださるなら、無理に事を大きくしたくないです。子供もおりますし…」
「分かりました。では、双方弁護士と相談して、落とし所を探って下さい。そちらの弁護士は…」
「はっ、はい!丸橋法律事務所の、谷原真嗣さんです。」
「では、谷原弁護士と相談の上、示談金などを決めて下さい。」
「はい…本当に、ご迷惑をお掛けしました。」
「いえ。仕事ですから…まあ、個人的には、棗に同情しますがね。」
そう言って笑いかける賢太郎に、絢音は複雑そうに微笑んだ。
*
「絢音!!」
「!」
地検を後にしようとロビーを歩いていたら、藤次が息を弾ませて駆け寄ってきたので、歩みを止め、彼を見やる。
「楢山から聞いた。ホンマに、起訴猶予の方向で、ええんやな?」
「うん。画像もネット上に拡散されてないみたいだし、そんなに重い罪じゃないんでしょ?だから、わざわざ楢山さんの仕事増やす真似、できないわ。藤太もいるし、あなたにも、迷惑かけたくない。」
「迷惑やなんて…アホか!ワシが、どんな思いで…」
言って、藤次は絢音の手を握る。
「ごめんな。守る言うといて、この体たらく…ホンマに、ごめん。」
「良いのよ。私も不注意だったんだから。そんなに謝らないで?」
「けど…」
詰め寄る藤次に、絢音は静かに笑う。
「一方的に降り注ぐ不幸を、全部を受け止めようだなんて、思わないで?こういう事も、あるわ。」
「絢音…」
「私、これから谷原さんのとこに行かないといけないから…ね?」
「うん。真嗣に、よう言うとくから、示談金…ぶん取れるだけ、ぶん取ってもらい。」
「分かった。それなりの償い、してもらうから、だから…ね?そんなに自分を責めないで?私は本当に、大丈夫だから…」
「ごめん…」
それでも項垂れる藤次に何度も大丈夫と言っていると、ベビーカーで眠っていた藤太が泣き始めたので、絢音は彼を抱き上げる。
「ホラ…お父さん元気ないから、心配して起きちゃったじゃない。大丈夫よ藤太。お父さん、直ぐに元気になるから…そうよね?藤次さん…」
「藤太…」
絢音にあやされ、ヒクヒクと肩を震わせながら、涙目で自分を見つめる息子を見ている内に、藤次は此処が職場である事を忘れて、2人を抱き締める。
「お前等は、ワシの宝物や。大事な、家族や。何があっても、守るからな?」
「ありがとう…藤次さん。」
*
それから暫くして、真嗣の的確な立ち回りもあり、絢音は慰謝料を含めた示談金を受け取り、楢山はこの件を起訴猶予…不起訴とし、事件は幕を閉じた。
しかし、手にした金銭…償いの証を見ても、藤次の心には、2人を守ってやれなかったという罪悪感が付き纏い、いつしか彼から笑顔は消え、約束していた夫婦の夜の営みも避けるように仕事に打ち込み、2人への約束とは裏腹に、家族を避けるようになった。
そうして季節は冬を迎え、空は重い雲に覆われ、白い雪が舞い、京都の街が、雪に包まれた。
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