149人が本棚に入れています
本棚に追加
賢太郎に渡された映画のチケットを絢音に話すと、彼女は思いの外喜び、二つ返事で一緒に行くことを了承した。
時刻は夜の帳も落ちた、金曜日の夜。
映画館の前で待ち合わせ。
側から見れば、立派な花金デートではないか。
行き交うカップル達に紛れてしまえば、自然と手ぐらい握れるのではないかと思案していると、桜色のワンピース姿の絢音が現れる。
「ごめんなさい!バス乗り遅れちゃって!」
僅かに頬を紅潮させ、息を切らせて自分に駆け寄る彼女が可愛らしくて、自然と口角が柔らかくなる自分がいる。
「かまへんよ。時間余裕あるし。ほな、行こか?」
言って、ごく自然に手を差し出してみたら、絢音は少し躊躇いながらも、ゆっくりと藤次の手を取り、2人は肩を並べて歩く。
「映画終わったら、どっかで飲まへん?鴨川沿いに良いバーがあるんやけど…」
沈黙が苦しくてそう切り出すと、絢音はすまなさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい。私、薬の影響でお酒は…」
「ああ!せやったな。すまんすまん!ほんなら、えっと……」
折角会ったのだ。出来るだけ長く一緒に居たい。
そう思い、あれこれ思案していると、その仕草が面白いのか、絢音が小さく笑う。
「一杯くらいなら、いいかな?」
「ほんまか?!よっしゃ!決まりやな!」
嬉しそうに笑う藤次につられて、絢音もまた笑う。
そうこうしていると、緊張も解れてきたのか、2人で映画のパンフレットやフードを買ったり、展開を予想し合ったりと、徐々に話に花が咲き始め、映画が始まる頃には、すっかり周りのカップルと同じ雰囲気で過ごしていた。
−ムードを演出するのも、たまには良いんじゃないか?−
たまには人の意見も聞いてみるものだと、藤次は心の中で賢太郎に謝辞を述べる。
横目で隣にいる絢音を盗み見れば、すっかり映画の世界に入り込んでおり、楽しそうに目を輝かせている。
邪魔はしたくないと思いつつも、欲求には抗えず、肘掛けに置かれた彼女の手をそっと握ると、絢音は僅かに驚き、視線を藤次に向けたが、彼が静かにと人差し指を口元に当てて見せたので、絢音は何も言わずに、映画に視線を戻す。
手のひらから感じる、少し熱いくらいの藤次の体温。
静かに、確かに、胸がドキドキと高鳴っていく。
それが、この状況に対してなのか、それとも映画の展開を気にしてなのか…
分からないけど、切なくて……
そっと絢音も、藤次の横顔を盗み見た。
*
「映画、結構面白かったなぁ〜」
河原町通りを南に下りながら、当たり前のように手を握りしめて歩く2人。
寄り添い、重なり合うカップル達を見やりながら、次は肩に手を回そうかと言う欲望を抑えながら藤次が言うと、上映後の興奮冷めやらぬ表情で、絢音はうっとりとため息混じりに口を開く。
「ホント、面白かった。ああいう恋愛、憧れるなぁ〜」
その言葉に、藤次の胸はドキリと鳴る。
今なら、言っても良いのでは?
むしろ、彼女は待っててくれてるのでは?
そう思いはじめたら、もう止まらなかった。
「笠原さん!ワシ…いや、俺と」
「あー!!藤次クンだー!!」
「!!」
瞬間、藤次の声を遮るように響いた嬌声。
何事かと振り返ると、そこには馴染みの飲み屋のホステス真理子が居た。
「まっ、まりっ…おまっ!なんで!」
「お客さんとぉ、近くで飲んでたの〜!って言うかさぁ、最近なんで来てくれないのさぁ〜」
「いや、それはその…ちゅうかお前、離せや。」
しなだれかかって、狼狽する藤次の巧みに掴む真理子と、呆然とする絢音の視線がかち合う。
「あれぇ?だれそれ、カノジョォ?可愛いじゃん!!」
「いや、まだその…」
照れ臭そうに口ごもる藤次。しかし、絢音は思わず、握っていた彼の手を振り解く。
「か、笠原…」
「違います!」
「!」
短くそう言って、絢音は作り笑いを浮かべる。
「棗さんとは、そんなんじゃないです。ただのお友達です。だから私、これで失礼します。」
早口でそう言うと、踵を返して、人混みの中に消える絢音。
「笠原さん!ちょ、待って!!」
慌てて、藤次は乱暴に真理子を振り払うと、その背中を追う。
…今、自分は何を言おうとした。
彼女の笑顔さえ見れれば満足だと、心に決めたばかりではないか。
それ以上を望めば、待っているのは苦しみしかないのだぞ。
でも、この、胸を焦がす熱い想いに、もう…嘘はつけない。
目を、そらせない。
追いかける脚も、止められない。
その一心で、人混みのごった返す夜の河原町を、小さな背中を求めて、ただひたすら、走った。
*
夜の河原町通りは、眩しくて儚くて…
行き交う人々の群れをかき分けながら進む絢音の目には、僅かに涙が滲む。
あの時、真理子が遮らなかったら、藤次はなんと自分に言ったのだろうか。
それはきっと、いま自分の心の中にある気持ちと、同じもので…自分はいつの間にか、こんなにも藤次を…
「笠原さんっ!!!」
「!」
強く腕を握られ、絢音は瞬く。
振り返ると、そこには真剣な顔をした藤次。
少し熱を帯びたその眼差しに、身体の芯がジンと熱くなり、堪らなく恥ずかしくて、逃げ出したい衝動に駆られる。
「話、ちゃんと聞いて…」
少し低い、痺れるような優しい声。
このままその胸に飛び込めば、受け止めてもらえる。
けど…脳裏にチラつく、真理子の姿。
自分以外にも、親しくしている女がいる。
そう思うと、憎らしくて、素直に飛び込めない。
そしてなにより、一番この気持ちへの足枷になっているのは……
「話す事なんて、なにもないです!今日は楽しかったです!さよなら!」
瞬間、目の前が暗くなり、暖かい温もりが全身を包む。
「好きや…」
耳元で低く囁かれたのは、今一番欲しかった言葉。
手を伸ばせば、その背中に腕を回せば、この人に愛されて、幸せになれる。
けど、
脳裏に過った…あの日の出来事…
「(ホラどうした!もっと気持ちいいですって言え!!!)」
「(歯なんて立てるなよ?!!そんな事して逃げようなんて、許さねぇからな…)」
「…いや…」
違う。
この手は違う。
分かっているけど……怖い!!
トンと、絢音は勢いよく藤次の胸を叩き、距離を取る。
「絢音!?」
「もう、連絡しないで下さい…」
「な、なんで…俺、君とずっと…」
「迷惑です。」
「!」
顔を歪める藤次。
本当は、こんな顔させたくない。
けど、自分といると、この人をもっと傷つけてしまう。
そう思い、精一杯の気持ちで別れを告げると、絢音は人混みの中へと消えていった。
最初のコメントを投稿しよう!