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 暗い路地に自転車の灯りがゆらゆらと揺れ、自転車は進んでいく。けっこうな距離を走って心拍数はあがっているが、当初のスピードは保てている。俺は中学時代サッカー部だったから、足腰は強いのだ。 「大丈夫すか」  しばらく沈黙が続いたので訊いてみた。 「えと、はい。まだ余裕あります」 「じゃなくて、バイト。門限厳しいのにライブハウスでバイトって、親知ってるの? 違ったら申し訳ないけど……高校生でしょ?」  いちおう訊いたがほとんど確信していた。彼女はCode‐9の中にいる誰よりも若く――いや、幼く見えた。案の定、はい、とかぼそい返事が聞こえる。 「ナインに行くのは、兄以外知りません。だから絶対時間までに帰りつかなきゃいけなくて。ほんとにありがたいです」  感謝の言葉がくり返される。箱入りとまではいわないまでも、ちゃんとした家で育ってるんだろうなと思った。と同時に、どうしてあえてライブハウスでバイトなのか、興味が出る。 「ライブハウス、怖くない?」  音はデカいしフロアは暗いし、出演者によっては客の民度が低い。ライブはだいたい夜にあるし、女の子ひとりでは抵抗がありそうな気がする。 「正直怖いときもありますよ」  素直な答えが返ってきた。 「でもはじめて来たときにすごい衝撃で、わたしこの場所好きだなって思って。音楽好きだし、なんていうか、自分がよみがえる感じがするんですよね。ライブハウスって」  俺は思わず振りかえった。ちょうど信号待ちだったのだ。  うっすら伸びる赤信号の光の下、黒ぶちメガネのレンズ越しに目が合う。  暗いながら、彼女がハッとして前髪を押さえ、苦笑いしたのが分かった。 「ごめんなさい。今ヘンなこと言いました」 「いや、分かる。俺も生き返るために爆音浴びに来てる。電気ショックみたいな感じ」 「――え?」  信号がかわり、前を向いた。  再びペダルを踏みこむ。なぜかそれまでよりも力が入って、スタートからぐんと加速した。  心拍数に合わせて脚を動かせば、どんどんスピードに乗っていく。  風を切るようで気持ちいい。――でも、息が切れる。 「……あの、ジュニアさん、わたし代わります。疲れますよね」 「べつに平気。ていうか、ジュニアさんはやめて。芸人ぽい」 「あ……えっと。お名前って……」 「――メグ」  どうしてか、そのとき誰も使わない呼び名が口をついていた。  中学にあがった頃、女みたいで嫌だと主張したらいっきに廃れた愛称。いつまでも俺を子ども扱いする叔母ですら、もう使わない。――メグ。 「メグ?」  自分の中で反芻するのと同時に、彼女の声が慎重にその二文字をなぞった。とたんに腹の底がざわつくような感覚がした。  やべ、と思った。なんだかよく分からないが、とにかくやべ、と。
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