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踏み消すように強くペダルをこいで、俺も彼女に名前を聞いた。
なぜか一拍間を置いて、「マチです」と彼女は名乗った。
「マチ」
向かいくる風にとかすようにつぶやきながら、真智、麻知、万智……と脳内で好き勝手に漢字変換する。
正解は聞かなかった。なんとなく。
でも、いい名前だと思った。これは俺の持論だけど、かわいすぎる名前は中年になった頃にキツイと思う。
「あ、その先の公園で大丈夫です」
しばらく走ったあと、少し体を動かしマチが言った。暗くてすぐには分からなかったが、木に囲われた公園らしきところがある。奥まったところに白い明かりがぽつぽつ見えた。
「近いの、家」
「もう少し先ですけど、着替えなきゃいけないので」
「着替え……って、トイレで? コンビニとかの方がよくない?」
「あー……でも、コンビニは人がいるので、ちょっと」
驚く俺に、遠慮がちにマチは言った。俺の感覚では暗くてひと気がない方が怖いんだが、あえて避けるのなら何かしら理由があるのかもしれない。
ちょうどコンビニも過ぎたばかりだったし、俺はマチの要求通り公園の入り口で自転車を止めた。
マチがそろりと地面に足を下ろす。とたんに深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。今度お礼します」
「いいよ。それより着替えた方がいいんじゃないの?」
「あ……はい。すいません、ありがとうございます」
店長が言ったとおり、マチは礼儀正しかった。時間がないくせに律儀に礼を言って、こっちが急かしても何度も頭を下げながら公園の中に消えていく。
すぐ横の道を、大型トラックが轟音を立てて駆け抜けていった。
俺はサドルにまたがったまま緩慢にペダルを動かして、自転車ごとゆらゆらと前後に揺れる。もう帰ってもいいはずなのに、気が向かない。
結局、近くの自販機でポカリを買った。のどが渇いていたのは確かだ。三分の一くらいいっきに飲んで、スローペースに切り替える。そうしながら、ライブハウスで秘密のバイトとかロックだな――とか、今日ちょっと星出てるな――とか、いやなに夜空なんか眺めてんの俺――とか、脈絡もなく考えた。
数分後、思ったよりもずっと早く、軽い足音が戻ってきた。
俺は何の気構えもなく振り返って、そして固まった。
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