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 マチは制服姿だった。よく見る――というか、俺が毎日見ている制服だった。さっきまでかけていた黒ぶちメガネははずされている。頭の上で丸まっていた髪はほどけて肩にかかっていた。  唐突に、英単語帳をめくったような気分になる。激変したマチの姿と対になって、『瀬戸小町』という名が浮かんだせいだ。  雲の上のクラスメイト。主席で特進科に合格して、入学式で新入生代表あいさつをした人。瀬戸小町。 「……まだいたんですね」  マチは俺に目を留め、浅い息の間でつぶやいた。その顔に少し焦った様子を感じて、俺はペットボルのふたをきつく、きつく閉めながら、「あーうん」とあいまいな返事をした。そして一瞬たりとも間を空けないような勢いで、 「放っとくのもどうかと思って」  と言い訳した。暗いし、ひと気ないし、なにかと物騒だし――と続けざまに並べ立てたものが、言い訳の一部なのか本気の心配なのか、もう自分にもよく分からない。ただ、黙りこんだら負けだと思った。――誰との勝負かは分からないが。 「……ありがとう」  マチは言った。ひどく落ち着いた声だった。きっと気づかれたことに気づいたんだろう。  いつから気づいてた? 最初から? 急に面白くなくなった。 「急いだ方がいいんじゃない?」  俺は、縁石とかそこに転がっている空きカンとか、自分のスニーカーのつま先なんかを次々と目に映しながら、言った。できるだけ温度の変わらない声を出したつもりだが、思惑通りにできていたか分からない。  さっきから分からないことだらけだ。  はい――と彼女は返事をする。 「本当に、ありがとうございました」  丁寧に言って、マチは――瀬戸小町は、最後まできっちり頭を下げた。  それからあとは、もう、一直線だった。リュックを揺すって、いっそ見事なほどの全力疾走だった。それだけ必死に見えた。  当然だろう。なにかと自由を制限される特進科だが、『ライブハウスでアルバイト』は、ルール違反としてはかなり重い方にカウントされるはず。秘密の男女交際など比ではない。バレたら停学不可避。受験にもダメージがくる。  俺はハンドルに手をかけたまま、しばらくその、必死な後ろ姿を眺めていた。  そうしたら、気がすんだ。  ふいの共感でひそかに歓喜したことを、すみやかになかったことにする。  二十一時、車どおりの少なくなった国道を、さっきより軽くなった自転車でのろのろと走りだす。明日からの自分の動き方をシュミレーションする必要があった。なにしろ向こうの出方次第だから、考えるべきパターンはいくらでもある。  そう言えば数学の課題が大量に出ていたが――まあいいか。俺は特進科だが、とくべつ勉学に熱心な生徒ではない。
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