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 ところで俺は筋金入りのことなかれ主義である。  喧嘩になるくらいなら引き下がるし、平穏に過ごすためなら軽い嘘くらいいくらでも言える。  平和主義というのとは違う。どちらかというとただの面倒くさがりで、もちろん褒められはしないが、責められたこともない。  そういうわけで、俺は俺なりのルールにのっとりマチのことを忘れることにした。  口止めされれば気軽に応じるつもりだったがそんな気配もなく、瀬戸小町は翌日からずっと、すがすがしいほど通常運転。  すなわち、粛々と授業を受け、日々の課題を軽やかにこなし、模試ではクラス順位で上の下あたりの成績を残し、水曜日の昼は教室を出るのだ。変化ゼロ。見事に。  唯一変わったことといえばキチキチの髪型で登校する頻度が増えたことくらいだが、それが絶妙にダサいことは変わらなかった。そして、俺との接点のなさも変わらない。  瀬戸小町と正反対で、俺は急激に忙しくなったのだ。模試の出来が悪かったやつにだけ課される制裁――特別課題を頂戴したから。いつもボーダーラインの少し上にはとどまるようにしていたのに、配点の大きい問題をとりこぼしていた。悲劇だった。  二週間が駆け足で過ぎた。  その間、朝イチの教室の前で一度だけ瀬戸小町と鉢合わせたが、「おはよう」のあいさつは、実につつがなくかわされた。お互いへんに噛むこともなく、早口になることもない。優等生の面の皮の厚さには驚かされたが、頭がいいってそういうことだろうなと妙な学びを得た俺である。そして、完全スルーを成功させた俺もなかなか優秀だと思う。  二十日たった頃には、おだんごメガネのことは本気で忘れつつあった。思い出したのは、その日仕事帰りの父が帰宅するなり俺の部屋までやってきたからだ。 「(めぐる)、ナインの店長からこれ預かったぞ」 「なに?」  古文の現代語訳と格闘していた俺は、ヘッドホンをはずし、シャーペンを握ったまま振り向いた。机の上に紙袋が置かれる。クラフト紙の、無印良品の袋だ。 「なにこれ」 「こないだ人助けしたんだろう? そのお礼だって話だった」 「ああ……」  マチだな、と直感した。ほかに心当たりがない。  ちら、と袋に目をやる。小ぶりな袋だが、口のところまでお菓子でいっぱいだ。べつによかったのに、とも、なんだ今さら、とも思ったが、冷ややかな感情に反して心の端がそわりと浮き立つ。 「……人助けって言うほどたいしたことしてないんだけど」 「店長は助かったって言ってた。家が厳しいんだってな、その子」  俺は黙った。父が――もっというと店長もだ――マチのことをどこまで正しく把握しているか分からない。ヘタなことを言って大ごとになるのも面倒だ。  俺は紙袋を棚に置き直した。向こうがこれでカタをつけるつもりなら、黙ってそれに乗るだけだ。まっすぐ座り直し、シャーペンを握る。 「これ全部宿題か? 大変だな」  父がシャツの袖のボタンをはずしながら苦笑いする。  特進科の生徒の親は教育熱心なタイプが多いが、うちはだいぶゆるい。いい大学に行っておくと後々いいぞ、くらいの助言はしても、躍起になるほどではない。最低限やるべきことをすませれば、休みの日に一日中寝ていようが、ライブハウスに入り浸っていようが、構わないタイプ。そのくせ小学生にするように俺の頭をかき回して、 「次にその子に会ったらちゃんとお礼を言っておくんだぞ」  なんてことを、もっともらしく言うのだ。
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