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九条 優(くじょう すぐる)。38歳。現在、会社員として働いている。 妻のあまねが死んでも、優の社会生活は変わることなく過ぎていった。 事の発端は6年前。かなり話題の事件となった。 当初は、あまねがいつまでも帰ってこないので、警察に捜索願を出した。数十人にも及ぶ捜索を続けていたが難航。数か月後、ある山中でたまたま登山客があまねの死体を発見した。しかし、あまねの死体は明らかに事件だとしか言いようのない悲惨な状態で見つかった。死体は頭部と子宮の二か所が切り取られており、切り口が異様なほど美しかったため、犯人は専門職の人間によるものではないかと考えられた。また、あまねが生前から容姿端麗であったことからもニュースやマスコミに取り上げられ、事件は大きくなっていった。 当然、事件被害者の夫としても報道され、優の身体も心も生活も徐々にすさんでいった。心休まらない日常に嫌気がさしていたが、毅然とした態度を続けた結果、やっと現在の平穏な生活を手に入れることができた。 あまね、事件、犯人……それぞれに対する様々な感情が交錯し、それらをコントロールすることは簡単なことではなかったが、事件がゆっくりと風化されていくようにようやく優の生活も落ち着きを取り戻していった。 それなのに……。 翌朝、優が起きると、あまねは何事もなかったかのように自宅で自分の好きな紅茶をおいしそうに堪能していた。 「あ。優、おはよう。一緒に紅茶のむ?」 どうやら昨日見たあまねは紛れもなく存在している。あまねは生きていた時と変わらぬ手際の良さで優の紅茶を入れていく。 「はい。どうぞ。」 優の前に温かな紅茶を運びながらにっこりと優しく微笑むあまね。相変わらずの屈託のない笑顔を見て優の心はかき乱されていく。聞きたいことは山ほどあったが、聞いたところで現状を快く受け入れるほどの心の余裕がなかった。心の乱れを悟られないよう平常心を保ちながら一緒に朝食を摂り、優は職場へと出社した。 ここから死んだはずの妻との奇妙な生活が続くこととなる。
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