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急に冷たい風が吹き、昼間だというのに薄暗くかげりはじめ、腕に一粒、頬に一粒。
大きな水滴があたる感触に空を見上げた。
モクモクと真っ黒な雲から、最初はポタ、ポタと。
そして、すぐにザァっという大きな音を立て本格的に降り出した夕立に追われるように走り出す。
ダメだな、家まで帰るには距離がありすぎる。
とっさに思い出したのは、家と学校の中間にある今はもう使われていないバス停のこと。
小雨になるまでは、と人が三人入れば満室になりそうなバス停に駆け込んで、その一分後。
ついさっきの自分のように、煙る雨の中、逃げるように走ってきた女の子。
バス停の入り口に俺がいるのに気付いて足を止めた。
え?! マジで?! あの子、だよな?
名前も知らない他校の女子。
毎朝、それと時々帰りにも、すれ違うだけの俺が一方的に知ってる彼女だった。
もしかして、彼女も雨宿りなのか?!
1秒、2秒の目が合うだけの沈黙で気付く。
俺が入り口塞いでたんじゃ入れないだろうが!!
少し左に避けてスペースを開けると「ありがとうございます」とホッとしたようにお辞儀をしてバス停の中に入って来きた。
俺の横に並び、まだまだ降りやまない雨空を、見上げる彼女。
気付かれないように盗み見た横顔に、やはりあの子だと確信する。
雨の中で微かに香って来る花みたいな甘い匂い、それはバス停の横で咲く紫陽花からではなく、きっと彼女の髪の毛の匂いだ。
普段男子校にいる俺には最も無縁な匂い。
待って、俺さっきめっちゃ走っちゃったじゃん、汗かいたよな? 臭くないだろうか?
そっと自分の肩付近に鼻を寄せて、自身の匂いをクンと嗅いだその時だった。
ヒッと息を飲む彼女の声に、何事かと見上げた空。
雲の中で派手に光る雷、積乱雲だ。
彼女はきっと苦手なんだろう、首をすくめて不安そうな顔をしていたから。
「嫌だよね、雷」
気をそらせるために声を振り絞ってみた、が!!
朝一の声みたいにガラガラしてんじゃん! 緊張してるのバレてんじゃないだろうか?!
彼女は、声の主が俺なことに驚いていたけれど。
「ですよね」
と同意し、恥ずかしそうに微笑んだ。
なにか、気の利いた返事を、会話を、と模索して。
ずっと模索して、模索して……、いたけれど女子と会話することなんて中学を卒業してからなかったのだ。
いや、中学の時だってほとんど話していないから小学生以来? いや、幼稚園時代?!
そんな俺に、なにも見つかるわけがなくて絶望しかけたその時、目の前が少しずつ明るくなっていくのに気付いた。
もしかして、虹の出る瞬間が撮れたりして。
スマホを構えてその瞬間を待つ。
キラキラと小さな雨粒がミストのように煙る向こう、夕日に照らされて虹が浮き出てくる瞬間を連続して写真に収める。
「虹、だ」
ふと彼女を見たら、さっきまでとはまるで違う、満面の笑みをたたえて虹を見上げている。
ただすれ違うだけの時には見たことのないその笑顔が眩しすぎて、直視してらんない。
何も見てないふりで俺も虹をみあげた。
青春映画ならば、きっとここで気の利いた台詞の一つも出るだろう。
『じゃあ、またね』なんて、イケメン俳優は白い歯を覗かせて笑うだろうが、生憎俺はただの銀縁眼鏡モブ。
このチャンスをモノにできるわけなんかなく、彼女に置いて行かれる前にバス停から足を踏み出した。
「あ、あの」
「え?」
声をかけられた気がして、振り向くと。
何も言いださない彼女が、困ったように唇を噛んだり緩めたりしていて。
声をかけられたと思ったのは、体の良い幻聴で気のせいだったのかも? と首を傾げた。
「気を付けて」
やっと口を開いた彼女の声に「はい?!」なんてすっとんきょうな返事をしてしまった間抜けな俺。
「気を付けて帰ってね、もう降らないとは思うけど」
労わるような微笑みと優しい声に、慌てて頭を下げて背中を向けた。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。
今顔見られたら絶対バレるだろう。
夕日に照らされたからとか、そんなもんじゃないほど耳まで火照ってるから。
ドキドキの音が彼女に伝わる前に早足で逃げて。
家まで逃げてから。
彼女のことを何も知ることができなかった、大チャンスを潰した不甲斐ない自分にガックリと項垂れた。
次こそ、と必死に祈った俺の願いが通じたのは。
その夏、二度目の夕立と。
三度目の夕立が上がった後のこと。
――雨が上がったら――
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