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 小学六年の夏休みは、みいなにとって最悪なものだった。すべては休みの直前にプールで起きた、早瀬花音失踪事件のせいだとみいなは思っている。  (早瀬花音のせい・・・・・・)  もともとみいなは、早瀬花音が好きではなかった。上梨小学校では、転校や転入は滅多になく、みいなの学年も一年の頃から全く顔ぶれが変わらない。そのため、学年全員がなんとなく馴染んでおり、よく色々な地域で聞かれる酷い虐め問題などは聞かれないままだった。しかしそれは、みいなの学年がお行儀のよい良い子ぞろいというわけでは決してない。どんな学校でも「何か」があるもので、みいなの学年にもやはり、じれじれとした陰湿なものはあった。特に大事にならなかった、というより、大事にならないように伏せて、やり過ごしてきたと言ったほうが良い。それに、いじめといっても暴力で体を傷つけるような種類のものではなく、もっと巧妙で分かりにくいやり方で、それは行われる。  「やっだあ、匂うぅ」  通り過ぎざま、聞こえよがしに言われるとか。  「ほら、まただよ、くすくす」  なにが「また」なのか決して明らかにしないまま、特定の対象を定め、肝心の部分をぼかしたまま、ひそひそと言い合うとか。  「うわあ最悪、俺、隣の席だわ」  本人にとって理由が分からないまま、席替えで近くになったら、悲劇的な叫びをあげられるとか。  みいなの学年の中で、そういった馬鹿馬鹿しい意地悪があまり問題にならなかったのは、その対象者がくるくるとよく変わったからかもしれない。えんえんと一人に集中していたら、もしかしたら大きな問題として扱われたかもしれない。  (いえ、そうじゃない)  みいなは学習机のドリルに集中できないまま、もやもやと考え続けていた。  頭の中では、あの、陰湿で、なんでそんなことばかりするのか意味の分からない、早瀬花音のにやにや笑いが克明に広がっている。  早瀬花音と仲間たちが意地悪をする対象は、誰でも良いわけではない。何人かがピックアップされており、嫌がらせのローテーションがあるようだった。その不運な子たちは、学年の中で、成績が目立って悪いとか、いつも同じハンカチばかり持ってくるとか、はなくそをほじるとか、みんなの前でおならをしたとか、十分間の休憩の間、みんなが並ぶトイレで、誰もが分かるほどの痕跡を残し、排便をしたとか、そういった理由でピックアップされた。他、親が他の親たちから疎まれているとか、非常に太っていて足が遅いとかも、選ばれる要素である。要するに、早瀬花音たちは学年の中の「はみ出し者」を目ざとく拾い上げ、「粛清」すべき対象にしてしまう。  粛清。  みいなは鉛筆を噛んだ。  そうだ。問題はこれだ。早瀬花音たちは、悪気があって意地悪をしているわけではない。早瀬花音たちにとって、それはいじめではない。いてもらっては迷惑な者に、それと知らせるための警告。その警告が無駄だと分かったら、次にくるのは粛清だ。  「おまえなんかいらねえんだよ、みんなが迷惑してんだよ」  早瀬花音らは、児童や、教師ら、果ては地域の人々を代表し、鉄槌を下しているーー少なくとも、早瀬花音らは、自分たちのことをそう思い込んでいる節があった。  一度など、みいなは「あたしたち、良いことしてんだもんね」と、早瀬花音が胸を張っているのを聞いたことがあった。狂っている、と、みいなは思った。けれど、そんなことを口に出してはならないこともよく分かっていた。学年の中で、早瀬花音とその仲間たちは、皆から恐れられていた。皆が早瀬花音らと仲良くしたり、早瀬花音らが喋ることに大うけし、楽しい連中だと思っているかのようにもてはやしているのは、つまり、恐怖心の裏返しだった。  みいなはこれまで何とか早瀬花音らのグループに目をつけられずに済んでいた。しかし、ついに自分に順番が回ってきたことを最近知ったばかりだ。  早瀬花音が失踪した後、女子トイレで、内心早瀬花音を憎んでいた女子らが早瀬花音の悪口を言い合った。悪いことに、みいなもその集団の中にいた。みいなは進んで悪口は言わなかったものの、場に流されて相槌くらいは打っていた。  誰がどう告げ口したのか分からないが、その翌日から村八分が始まった。  「あいつら、早瀬さんがいなくなったのは当然だとか、いいきみだとか言っていた」  「うわあ性格悪う」  「早瀬さんかわいそう」  最初、みいなは何か変だなと感じた。妙に皆がよそよそしい気がしたのだ。  そのうち、上梨小学校の児童が色々と書き込む「裏サイト」で、自分を含めた何人かの女子の名が晒されていることを知った。  「実はこいつら、早瀬さんの事件に関わっているんじゃね」  とまで書き込む者まで現れ、事態はどんどん深刻になった。みいなは泣きながら両親に打ち明けた。両親はもちろんすぐに学校に直訴したが、学校側の対応は頼りなかった。それで、ついに両親は警察に訴えることまで考え始めている。みいなとしては、そこまで大事にされるのは本意ではない。しかし、事態が切迫したものであるのも確かだった。  (あー、夏休みがあけても学校いきたくない)  それでみいなは、夏休みが始まった途端に、ひきこもりのような生活を始めた。ラジオ体操はおろか、プールにすら行かず、友達の家に遊びに行くこともしない。勉強部屋に閉じこもり、うつうつとしているだけだ。    そこに、まるでマイペースな救世主のように、帰省中の叔母、高峰怜が現れた。両親や祖父母が留守の、みいなだけになった家に、おみやげのお菓子を持って、ふらっと訪ねてきてくれたのだ。  みいなは昔から叔母が好きだった。母に言わせると、「お姉ちゃんは表情がなくて何考えてるかわかんない」というらしいが、みいなから見て、叔母ほど自分の心を理解してくれる人はいないのだった。  「自由研究、決まったぁ」  桃のゼリーを持ってきた叔母は、淡々と尋ねた。叔母はごく当たり前のように台所に入り、みいなの分のアイスコーヒーも入れてくれる。あさごはん食べた、と聞かれて、みいなは曖昧に頷いた。「さては食べてないな」と言われ、思わずにやっと笑ってしまった。  食卓のテーブルに向かい合って座り、アイスコーヒーを飲みながら、叔母はさくっと「何かあったん」と聞いた。みいなはそのとたん、泣いた。今までせき止めていたものが暴走したようだった。  黙って静かにそこにいる叔母に、しゃくりあげながら、みいなは全てを自白した。自分がした悪いことを含め、いろいろないきさつや、今の状況を誰に打ち明けたよりも詳しく叔母に語ったのだった。  語り終えて目を泣きはらしたみいなに、叔母は一言、「それは大変だ」と言った。その、妙に距離感のある言い方は、返って救いになった。みいなは、自分が置かれている状況や、こんな具合にだらだら現実逃避している場合ではないことを強く悟った。叔母は、ゆっくりと言った。  「まあ、何とかなると思うよ、本気で解決したかったら。インターネットって匿名のようで匿名じゃないのよ。学校の子供だって分かってるんだから、誰が書き込んだのか調べやすいだろうし」  叔母は、みいなの悩みを見透かしたように言った。  「本名まであげてるわけじゃん、これ犯罪なので。警察に言っても良いと思うよ」    よく考えて決めな。みいながそうしたいと思うなら、わたしも一緒に行って話してあげるから。  叔母は頬杖をつきながら、そう言った。  決定権は、書き込まれた被害者のみいなにある。叔母はそう言っている。  やった連中に一矢報いたいなら、そうするのも良いだろう。そこまできつい報復をしたいわけじゃない、自分も悪いから耐える、というのも、ひとつの選択だ。  叔母と話しているとどんどん冷静になるのが不思議だった。みいなはぼろっと最後の涙を一滴落としてから「考えてみる」と言った。叔母は静かに頷いた。  「そうだ、あのさ」  突然叔母は話をかえた。  夏休みの自由研究なんだけど、ひとつ、誰もしなさそうで、面白そうなやつがあるんだけど。  「えっ」  みいなも一気に気分が変わった。自由研究のことなど考える余裕すらなかったのだ。  叔母は軽く微笑んだ。その、どこか陰気で考えの読めない微笑みが、みいなは気に入っていた。  「上梨町の歴史をさ、調べてみない」  町立図書館に、資料館があるの、あんた知ってた?  みいなは、ふるふると首を横に振った。 **
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