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 山越香織は、結局、なにも食べなかったし飲まなかった。勝手にビールを注文されたが、ジョッキを触れもしなかった。故に、代行を頼む必要もなく、来た時と同じように自分でメルセデスを運転した。通り沿いに、まばらに街灯がともっていた。営業中の店のネオンは、なおさらまばらだった。遠くから見たら賑わっているように見える色とりどりの明かりも、町の中で見るとこれほどまでに寂しく心細いものだ。  いつもの県道だった。昼間はそれほどでもないのに、夜になるとすれ違う車もなく、異様に寂しい道なのだった。  (馬鹿馬鹿しい)  ハンドルを握りながら、香織はなるべく心を荒立てないようにしていた。運転席では洋楽のプロモーションDVDが無心に流れている。心地よい音に耳を傾けながら、意識的に口角を釣り上げるーーニイ、ニイイッ、細い三日月形になるように、ニイイイイイッーー作り笑いの効果は馬鹿にならない。面白くないことがあったとして、しょんぼりしたり、無暗に苛立ったりするのは負け犬の所業である。何に対する負けかーー全てよ、誰に対してもよ、と、自問自答して、香織はさらに笑みを広げた。ニイッ。  小学六年時代の仲間の集まりに呼ばれて、ノコノコ出て行ったこと自体、気の迷いだった。  暇なせいだろうと、香織は思った。暇はじわじわと脳を犯す毒である。またサロンで茶会を開こう、今度はネイルアーティストを呼んで、ネイルパーティをしても良い。いろいろな楽し気な企画が香織の頭の中をよぎった。きらきらとした計画は数知れない。小さな日帰り旅行をしてみるのも良い。これはひっそりと自分だけで行こう。メルセデスで、ちょっとしたドライブになるだろう。温泉につかり、良いものを食べて、夫に土産を買って帰ってくる。良い考えだ。香織は微笑んだ。今度は本物の微笑みだった。  もう、香織は小学六年の夏休み以降のことを考えることはしない。  あの時になにがあって、仲間たちが急に変わってしまったのか、探ることもない。興味の対象外となった。香織にとって、彼らは人生における路傍の石となった。もう一生関わることはないだろうし、多分、町であっても気づかず素通りしてしまうことだろう。ざまを見るがいい。香織はますます微笑んだ。  人生は黄金のように輝く。  自分がしたいことをしたいようにする。それの邪魔になるものはどんどん省く。子供時代からそうしてきた。香織はクラスの代表格として、学級活動や、団結が必要なことや、いかに自分たちがチームワークのある良い集まりであることを主張する重要さを十分に感じてきた。だから、いらなかった。だから、懲らしめなくてはならなかった。だから、「嫌われ組」ができた。  (というより、目障りだった)  心の中の小さな声が静かに呟いたが、香織は敢えてそれを無視した。    仲間たちと一緒に、同級生たちをまとめ、引率し、だめなもの、腐ったもの、不要なものをえりわけたーーそんなふうじゃ困るから、ちょっと懲らしめて反省してもらわなくちゃ。もちろん、あいつらが普通にわたしたちに見合うようになったなら「嫌われ組」から出してやっても良かった。まあ、そんな改善ができるくらいなら、最初からあんな邪魔くさいふうじゃないと思うけれどねーーそういう心がけは、発展、進歩、自分のための幸福のために、必要なことだ。それは未だに強くそう思う。香織は、これはいてもらっては困ると判断した相手を、容赦なくサロン仲間から切り離した。そして、切り離した理由を、包み隠さず自分の取り巻きに伝えたーー山本さんの旦那さんは、お仕事でミスなさるのよ。それに、荒川さんのお子さんは、こないだコンビニで万引きしたんですってーー汚いもの、暗いものは、近づいてもらっては困るのだ。そういうものは病原菌のように侵食してくる。黄金の輝きが陰る可能性がある。迷惑なのだ。  香織はなんとなく、洋楽のDVDがうるさくなった。画面を切り替えて、地上波のテレビにした。ちょうど夜のニュースが流れていた。香織は明日の天気が知りたかったのだ。  「上梨小六年女児失踪から二週間が過ぎようとしています。依然として手掛かりはつかめず、警察は地元住民の協力をあおいでいます」  女性アナウンサーが機械的に喋っている。画面が切り替わり、女児の顔写真がアップになった。香織はちらっとそれを見た。早く天気予報になればいいのに、と、思った。  早瀬花音さん。11歳。失踪した時は紺色のスクール水着に水泳帽を着けただけの姿でした。その日はピンクの半袖Tシャツと白いキュロットスカートで通学しています。花音さんの情報がありましたら、どんな小さなものでも構いませんので、こちらの連絡先にお電話お願いします・・・・・・。  ショートヘアの、勝気そうな女児だ。目鼻立ちは整っているが、眉はきつく吊り上がっており、口元はにいっと笑っている。嫌な目つきだ、と、香織は思う。  「あっ」  思わず声が漏れた。  どこかで見た顔だわ、と、香織は早瀬花音の顔写真について感じた。どこのお嬢さんだったかしら、お会いしたことはなかったと思うけれど、と頭を悩ませているうちに、写真はふっとーーこんなことがあるのだろうか、と、香織は目を疑ったーーすげかえられた。  顔写真が、すげかえられたのだ。早瀬花音の顔が、違う顔に。それは、香織が最もよく知っている顔だった。  (わたしはどうかしている)  ニュースで紹介されている失踪女児の顔は、セミロングの髪を綺麗に整え、美しい目鼻立ちに吊り上がった口角、そして強い目に吊り上がった眉の女の子ーー田中香織ーーになっていた。唖然とする香織の前で、テレビ画面に映し出された田中香織は、ニイッと目を細め、口元を三日月形にゆがめたのだった。それは一瞬のことで、すぐに画面は切り替わった。ニュースは終わり、天気予報が始まっていた。  (どうかしている。幻覚だわ)  香織はテレビの音量を大きくした。  そしてまた、ニイッと口元を意識的に吊り上げ、作り笑いを続けた。負けない、負けるもんか、わたしはわたしのままだ、揺さぶることができるなら、やってみるといい・・・・・・。  「キミって、ひとりぼっち」  耳元で、ぽつんと小さく囁かれた気がしたが、聞こえなかったふりをした。そんな、ありもしないことを信じるほど、香織は弱くもなければ不幸でもなかった。 **
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