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怜はそのニュースを知らないまま、数日を過ごした。図書館でみいなと険悪になって以来、大山家に訪れる頻度が落ちたーーとは言っても、まだあれから一週間もたっていないのだが。ともあれ、前は三日に一度くらいのペースで訪問していたのが、五日に一度くらいの頻度に落ちている。しかも、それは妹の奈津や、実母に会って茶を飲みながら話をするくらいのもので、みいなとはほとんど喋っていない。流石に奈津は、みいなと怜の冷戦状態に勘付いたようだ。茶を飲みながら、実母が怜に「洋平さんとはちゃんと話をしているの」等と説教を垂れている間、ちらちらと台所の扉を眺めた。いつもなら怜が来ていると、二階からみいなが降りてくるのに今回はそれがないから不審に思うのだろう。
「ねえ、何かあったん」
実母から思う存分説教を食らい、ついでに作りすぎた煮物を詰めたタッパーを携えて帰宅しようとする怜を追って、奈津が出てきた。外は真夏であり、一歩外に出た瞬間に全身から汗が噴き出るようだった。
怜は砂利庭に出ていた。車に乗ろうとしている時に声をかけられ、振り向いたら玄関の軒下に奈津がいた。眩しさのために目を細める怜に向かい、暗い影の中から奈津は問いただすのだった。
「みいな、何かやったんでしょ」
怜はため息をついた。そして、大友優との経緯を、母親である奈津に白状するべきか一瞬、悩んだ。だが、すぐに心を決めた。こんなことを言ったって、奈津は変にねじまげて受けとり、「勉強もせずに、色恋に走っている」ことについて、みいなに厳しく言い聞かせるのに違いなかった。
怜には容易に想像できる。自分の口で大友優の人物を説明したところで、ただの変質者、変人としか他人からは映らない。実際にそうなのかもしれないが、しかし、それは本質からずれた認識なのだった。怜は優を、決して、単なるロリコンであるとか、よからぬ思いをいだいてみいなに近づいているとは思っていなかった。そんな単純なものではないのだ、大友優はーーモヤシはーーもっと得体のしれない事情を背負って、みいなに接近しているのに違いなかった。
(馬鹿馬鹿しい)
どこまでが思い込みで、どこまでが真実なのか分からない。怜は、自分が神経衰弱になりかかっているのかもしれないと思う。
(やはり、上梨に戻ってくるべきではなかった)
どうして、戻ってきたんだろう。まるで、呼び寄せられるかのように?
(馬鹿馬鹿しい)
「みいなちゃんが、何か言ったの」
怜は言った。奈津はかぶりを振った。
「そうじゃない。あの子、なんも喋らんもん。というか、お姉ちゃんも知ってるでしょう、みいな、今、学校の裏サイトで・・・・・・」
じいわ。
油蝉が集団で吠え始めた。真夏の空は目に痛く、蝉はやかましい。なんて主張の強い季節だろうと怜は思う。
「最近、あの子、スマホばかり触ってるの。ラインしてるみたい。でも、あの子今、あんな状態で学校の友達の誰とも会いたくないって閉じこもってるじゃない。じゃあ、一体誰とラインしてるのよ」
一気に奈津はまくしたてた。
怜はさあっと冷たいものが背中を走るように感じたーーみいなのラインの相手はーーしかし、なるべく感情を表に出さないよう気を着けながら、答えた。
「わたしじゃないのは確かだよ。あんた母親なんだから、なんとかしてみいなちゃんから聞き出すか、ラインを見るか、できないの」
奈津は口を捻じ曲げて黙った。そろそろ潮時だと怜は思った。車の扉を開いて中に入ろうとした時、ふっと空気の質感が変わった。
「ただ、トモダチが欲しいだけ」
奈津の声のようであって、そうではない気がした。振り向いた時、確かに奈津は軒下に突っ立っていた。真夏の光の中で軒下の影は濃く、ほとんど暗黒だった。妙に色白で暗がりに浮き立つような奈津の肌が薄ら寒かった。それより怜は、奈津の側に立つその子ーー変わっていない、ああ、変わっていないーー着物を纏い、白い顔を黒い髪で覆い、口元だけを覗かせた、その子供ーー三十年前から、まるで変わっていない、なんということだろうーーに、くぎ付けになったのだった。
「トモダチ、欲しいなあ」
口元が三日月形にニイと吊り上げられる。もちろん、そこに本物の童が立っているなど、ありえない話だ。そこには奈津が一人で仁王立ちになっているだけであり、奈津はひたすらみいなの愚痴を連ねているだけで、おかしな言葉などひとつも吐いていないのだ。すべては幻聴、幻覚であり、怜は自分が特殊な状況にあることを感じた。
「知らないわよ」
と、怜は小さく呟いた。それは、愚痴を連ねる奈津に対するものではなく、奈津の側に現れ、意味深な言葉を吐く、「その子」に対する意思表示だった。幸い、その呟きは奈津には届かなかった。
ねえ、お姉ちゃん、なんとかみいなに話してみてよ。最近難しくて。お姉ちゃんしか頼めないのよーーぐちぐちと奈津が喋るのを背中で聞きながら、怜は車に乗り込んだ。
事態は色々と、悪化している。だが、具体的になにがどうと確証は持てない。
車を走らせながら、怜はなんとなく、CDではなくラジオを聞くことにした。そして、そこで初めて、上梨小六年の二人目の失踪者のニュースを聞いたのだった。
運転しながら怜は唇をかみしめる。
こんなことを考えるなんて、自分はどうかしている。分かっている。だけど、やはり、そうとしか思えない。
上梨で、何かが起きている。
そして、そのことに、みいなは巻き込まれかけているのだ。
(止めなければ)
青信号が点滅している。怜はゆっくりとブレーキを踏む。道のあちこちに陽炎が生じており、世界は歪んで見えた。
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