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上梨町で、何かが起きている。それも、説明のつかないような奇怪な出来事が、目の前で起きている。しかも怜は、限りなく当事者に近い立場なのだった。
その日、岸辺久美と浜洋子の二人を町のうどん屋に連れてゆき、大しておいしくもない食事を済ませてそれぞれの住処に送り届けた。その後、実家の大山家に立ち寄ってみた。
愕然としつつも、この事態を頭の何処かで予期していたように、怜は感じる。
大山家には、老いた父母と妹夫婦が住んでいる。妹夫婦には子供がいない。みいなの部屋だった場所は、物置として使われている。その部屋は、かつて子供時代、怜が勉強部屋として使っていた四畳半だ。
「お姉ちゃん、いつまで上梨にいるのー。洋平さんとちゃんと連絡とってるのー」
奈津は奈津のままだった。あの、妙に姉を気に掛ける世話焼きな性格は変わらなかったが、みいなのことなど奈津のどこにもなかった。最初から存在しないことになっている。大山みいなという小学六年の子供。
怜はアパートに戻った。
そして、もう一度、奈津とやりとりしたメールや着信歴を確認したーー全ての痕跡が綺麗になくなっている。
まさかとは思ったが、大友優のアドレスを確認してみた。さすがに、大友優のメールアドレスは残っていた。彼が「嫌われ組」に送ったメールも消えてはいないーーということは、大友優の存在は、「なかったこと」にはなっていない。怜は少しずつ暗くなってゆく部屋の中で座り込み、目を見開いていた。
既視感がある。
この異様な事態は、初めての体験ではない。
小学六年の時に、階段から突き落としてしまった友達と、みいなが重なって仕方がなかった。
(わたしが殺したあの子も、上梨町の誰もが忘れ去ってしまっていた)
三十年前。
怜はまばたきもしなかった。ぐるぐると回る思考は、正解をおぼろげながら分かっているようで、どうしてもそこまでたどり着いていなかった。そうだ、三十年前だ。あの「嫌われ組」の時期に、何かが起きていた。そして、怜たちは今に至るのだ。
怜は立ち上がった。紙とペンを用意すると、床に向かって書き始める。整理が必要だった。事象の整理だ。三十年前に起きたことと、今現在起きていることを書き出してみなくてはならない。そこに、なにかの鍵があるような気がした。
「三十年前」の項目には、上梨小六年の子供が失踪したことを挙げる。だが、具体的に誰が失踪したのかを、思い出すことができない。確かに事件として扱われていたように思うのだが、肝心のことがぼやけてしまっているーーそこに、何らかの見えない力が働いている、と、怜は思う。何人失踪したのか。これについては、意外にすんなりと数字が出てきた。三人だ。どうしてこれだけはっきり覚えているのか、怜には分からなかった。
(三人だ。間違いない)
これは直感だった。
三十年前に失踪事件があったことは、うっすらと上梨町の人々の記憶に残っている。ただし、誰だったか、失踪事件の結末がどうだったかは、誰一人覚えていない。
この奇怪な現象と、怜が階段で突きとばした少女の一件は、なにか関係がある。怜はあの子を突き落とした。あの子はランドセルとピアノのレッスンバッグの中身を散らしながら転落していった。しかし、その体は消えてしまった。おまけに、あの子が最初から存在しなかったように、世界が変わってしまった。
みいなも同じように、最初から存在しないことになっているではないか?
そしてーーここが、怜の考えていることの、確信がないながらも根拠に近い部分なのだがーー今、上梨町で失踪している上梨小六年の子供は三人なのだ。
また、三人。それと、存在しなくなった一人。
ペンを紙に走らせながら、怜の思考は迷走し続ける。
「くす、くすくす」
怜が体を丸めて紙に向き合っているのを、背後で凝視している「何か」。裸足の足は寒々しく、おかっぱの髪の毛は顔まで覆いつくすほど、量が多い。髪から覗く口元は真っ赤な三日月のように笑っているのだーー振り向かないまでも、怜には分かっていた。そこに、あれが来ている。「このこと」を考え始めると、決まって、あれが来る。
「トモダチだよね」
いつも、言うことは変わらない。三十年前から、ずっと同じことばかり求めている。「それ」は、どうしてこんなに「トモダチ」が欲しいんだろう。そんなに孤独なんだろうか。大友優をはじめとする「嫌われ組」の面々のように。
否。
危うく、その得体のしれない奴に感情移入しそうになって、怜は目を見開く。背中にはりついた視線は氷のように冷たくて、鳥肌が全身に立っていた。ひた、ひたひた。足音までが聞こえるような気がしたーー気のせいだ、気のせいだーー怜は唇を噛む。「それ」が言う「トモダチ」とは、一体、何なのか。普通に言う「友達」ではないはずだ。
怜は、「それ」の正体が知りたいと思った。
なんの根拠もないことだが、大友優なら知っているような気がした。
(みいながいなくなったはずがない)
確かにみいなは存在しているのだ。怜の車のメーターは、みいなを乗せて図書館を往復し続けた分の数字が、ちゃんと加算されている。みいなはいる。どこかにいる。大友優と一緒にどこかにいるはずだ。
怜はおもむろにスマホを取り上げ、メールを打ち始めた。大友優へのメールだ。この内容のメールならば、優は返信をくれる。きっと、くれるだろう。
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