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 上梨町の古い言い伝えについて「わらしさまの記録」より引用。  「わらしさま」の伝説のもとになったのではないかと言われる「落ち武者伝説」。  傷つき弱った落ち武者を、山の禅寺がかくまった。その時代、寺は落ち武者の隠れ場所であり、寺に入った者を襲撃するのは冒涜的行為だと考えられていた。  だが、この田舎の上梨では、綺麗ごとよりもその日の食べ物のほうがはるかに大事だった。  落ち武者がどのような地位の侍だったのかまでは、文献には残っていない。が、上梨の人々のもてなしようからして、おそらく相当の位を持っていたのではないだろうか。  ある日、一団を率いた立派な武将が村に来て、この落ち武者を指しだぜば褒美をとらすと言った。それまで落ち武者を大事にし、体力が回復していることを心から喜び、やがては彼と一緒に農作をするようになっていたというのに、上梨の人々は、あっさりと落ち武者を敵に差し出したのだった。  「ありがたい、ありがたい。このような儂に、ここまでしてくれるとは。儂はこの恩を忘れず、永遠にこの地にあるだろう」  かくまわれた当初、落ち武者は涙を流しながら、強い感謝の意を表した。「死んでもこの地に残ろう。都に残した妻子より、この真心あふれる場所を、思い続けよう」ーー実際、落ち武者は身を粉にして上梨のために働いていた。それまでたびたび、上梨川の氾濫で田畑の被害を出していた上梨だが、土嚢を使い水の流れを調整するようにしてから、被害に遭う件数は減った。落ち武者が知恵を絞り、農民たちに指示を出したのであろう。  すると、上梨の人々がこの落ち武者にしたことは、非情な仕打ちだったと言えよう。  さて、「わらしさま」のことだが、「わらしさま」は落ち武者ではなく、女の子のような子供である。一見、座敷童のような風貌だが、その性質は座敷童とは全く違う。  どうして子供の「わらしさま」が、落ち武者伝説由来だと考えるのか。  それは、「わらしさま」の物語が、落ち武者の辿った運命に酷似しているからである。    「わらしさま」の物語を要約すると・・・・・・。 **
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