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「嫌われ組」というのは、嫌われていない子供たちーー少なくとも、本人たちはそう思っているーーが「嫌われ者」を何人かあげつらい、その哀れな者たちが束になったグループのことを指す。「ほら、お前ら仲間だろ」といった調子で、一人がなにかヘマをしたら、「嫌われ組」全体が嘲笑を受ける。あいつら仲間だから、嫌われもんは嫌われもん同士気が合うんだろ。しかし、実際は「嫌われ組」と決めつけられた連中は、なんら共通項もなく、得に気が合うわけでもなく、喋ったこともないくらいの間柄だったのだ。
もっとも、「嫌われ組」を作り上げ、日々の楽しみのネタにしたかったその他大部分の子供らにとって、そんな事実はどうでも良いことなのだった。子供らは「設定」を好む。「嫌われ者」だと決めた相手については、どんどん尾ひれがついて、不潔だったり、ドン臭かったり、頭が悪かったりする要素があり得ないほどのレベルに膨れ上がるものだ。最終的にはほとんど妄想のようになり、嫌う対象は確かに存在するものの、嫌っている相手の内容は、この世に存在しない幻になっているのだった。
その、「嫌われ組」が、どういうわけか親しくなった。
妄想の設定が、本当になってしまった。
いつからか、唐突に四人は近づき、ひっそり集まって語り合うようになった。その様はまるで、反逆者たちが同盟を組み、自分たちを虐げる理不尽な権力に対抗しようとするようにも見えた。それは確かに圧力を放っていた。四人が束になっているところに、軽々しく悪口を放ったり、嫌がらせを仕掛けたりするなんて、なかなかできなくなった。まるで「第三勢力」のような、特殊で近寄りがたい存在感を放つようになったのだ。
当時の上梨小学校六年の「嫌われ組」の内訳は、こうだ。
学年全体の厄介者、近づくだけで病原菌がうつるほどヤバい「もやし」。
冷たい性格で、親が昔殺人を犯しているのを隠して生活しているせいで人に馴染めない。いつかこいつも人を殺すだろう「ゼロ」。
親が教授なのを鼻にかけ、嘘ばかりつき見栄っ張りで一番にならないと気が済まない。かまってちゃんのウザい女「プロフェッサー」。
デブでオタクで内股で歩くからブリッコであるのは確定。ネス湖ならぬキシ湖の珍獣「キッシー」。
四人は最初は、全然親しくなかった。近所でもないし、趣味も性格もなにもかも異なる同士だった。
それどころか四人は、互いに敬遠しあっていた。「嫌われ者」は、厄介ごとを嫌う。ただでさえ日々、窮屈で酷いことばかり起こるのに、更に面倒を増やしてどうなるのだろう。それになにより。
「自分は、あいつらよりは、まともだ」
「一緒にされるのは心外」
「確かにあいつが嫌われ者と言われるのは納得だ、わたしもあいつには近寄りたくない」
「わたしはあいつらとは違う」
陰口をたたかれ、集団からハブられる立場。スクールカーストの底辺。だけど、そういう立場の人間には、自尊心がないなんて、誰が言えるのだろう。
自尊心は虐げられれば虐げられるほど、雄たけびをあげたくなるものなのだ。
人から踏みにじられるほど、「自分」が際立つものなのだ。
なにより、「嫌われ者」というレッテルを貼られた現実を、素直に受け入れられることができる人間なんて、この世に幾人いるのだろう?
「仲間なんかじゃ、ない」
四人は集まる。
互いを見つめあう。
互いを知るほどに、互いの良いところが見えてくる。
けれど、それ以上にこの事実が重くのしかかるのだった。
あいつは「嫌われ者」。
「そぉんなあ。仲良くしようよぉ」
にんまり笑う、細い三日月のような口と目。あの独特なしゃべり方、目つき、仕草。
嫌われ者同士敬遠しあう四人を繋ぎ合わせたのは、「彼」だった。あるいは「彼女」だったかもしれない。
今となっては性別すら定かではない。
名前すら、忘れ去られている。
どこに消えたのか、誰も覚えていない。
嫌われ者ほど自尊心が強く、自意識が過剰になるはずなのに、この子はまるで、自分がないのだった。
そのくせ、大人になった「嫌われ組」の四人が「彼」もしくは「彼女」のことを薄っすら思い出しかけた時、鳥肌がたつような恐怖を抱く。
なぜ、こんなに怖いんだろう。
「ね、トモダチになろう。トモダチだよね」
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