190人が本棚に入れています
本棚に追加
忍姫
「ぎゃあああああああ!!」
耳を擘く悲鳴が、お祖母様主催のお茶会会場に響き渡る。
「誰か取ってー!」
涙目で叫んでいるのは私。ウィステリア・コーデル・ルネ。
3カ月後の収穫祭で6歳になる。
お祖母様のチェリーパイが好きでたらふく食べていたら、ぷっくぷくに太ってしまったのが3歳の頃。見かねたお父様が護衛の忍に、私のダイエットを頼んでしまったのがいけなかった。3年でダイエットには成功したけど、忍の技を覚えてしまった強い伯爵令嬢に。
ついたあだ名が「忍姫」。なのだけど…虫は特に嫌いではないのよ、でも蜘蛛だけはだめなの!お兄様たちに悪戯で首の後ろから入れられた時から。
だから、取って欲しいのよ!お兄様たちは馬でどこかに行っちゃってるし、お父様たちはここからちょっと距離のあるテラスで歓談中。
遠巻きに見ている御令嬢がたに走って行っても、それこそ蜘蛛の子が散るように逃げていってしまう。
「ウィステリア嬢。私が取りますから止まってください」
不意に私の後ろから声がかかった。首を回せば蜘蛛と目が合いそうで、その場で止まる。
「おっお願いします!」
私の右肩にいる蜘蛛を大事そうに両手で取るのが、目の端で見える。細い指が少し髪に当たった。
「取れましたよ、もう大丈夫です。では、失礼いたします」
へなへなと座り込んでしまった。あっ、お礼言ってない。
「あの…」
後ろ姿しか見えなかった。
一つに束ねた漆黒の髪と紫色のリボン、背が私より高いから年上だと思う。
あまりよく思われていない私の名前を知っていてなお、助けてくれた。
声のトーンに揶揄いも蔑んだ感じもなく、当たり前のように呼んでくれた。
初めてだったの、家族以外であんな風に名前を呼ばれたのは。
ぼーと去って行く彼の後ろ姿を見送る。姿が見えなくなるまでずっと見ていた。
胸が苦しくて病気になったのかと思って、駆け付けて来たお祖母様に涙目で説明すると、それは一目惚れよと言われた。5歳9カ月で一目惚れというのを経験してしまった。
彼の事を「紫の君」と命名して、苦手だったお茶会や舞踏会へ彼を探すために参加したけど…手掛かりすら掴めなかった。
お茶会に来ていたんだから、貴族だと思うのよ。貴族の屋敷に潜入して探す内に、各屋敷にいる護衛から見つからない術まで身につけて、忍としての技に磨きがかかる。
気づけば15歳になっていた。数少ない友達の令嬢には、山になるぐらい求婚の申し出が来ていたけど、足音をさせずに歩く「忍姫」には1通たりとも来なかった。
好都合だわ!私が探しているのはただ1人。「紫の君」にお礼が言いたい、できれば話をしたい。結婚したいとかではないの、できるとも思ってないし。しなくたっていくらでも生きていけように、掃除やお料理も覚えたもの。好きな食べ物は?虫が好きなの?膨らんでいく彼への想いだけで、幸せな夢を見た。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
メイドのケイに言われてお父様の執務室へ。大きな窓の前にある机の上に、両肘をついて苦悶の表情のお父様。
な…なんかしたっけ?
最初のコメントを投稿しよう!