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エレベーターが音もなく上がり目的の最上階へとたどり着く。ポーンというわざとらしいチャイムと同時に扉が開き、俺たちはそろって降り立つ。
足を踏み出すと、そこには整っているが無味乾燥とした、どこか仮想都市を連想させる雰囲気の通路が広がっていて俺はホッと息を吐く。その安堵が俺の思考をクリアーに、口を滑らかにした。通路を歩きながら俺は何となく感じていた疑問を友人にぶつけてみた。
「そういやお前ってば、最近曲作りやってんの?」
そう俺が問うた瞬間、友人の瞳の奥に暗い炎が揺らめいたような気がした。
「……いや、少し前からそういう気分になれなくてさ。違う事をしているよ。でも、まぁ、またそのうち創作活動は始めようと思っているけどね。今はそのための充電期間」
肩をすくめながら返ってきた、友人のおどけたような声に俺は先程見たものが自分の勘違いだと思いホッと胸をなでおろす。
「そうか、俺お前の曲結構好きだったからさ、それ聞いて安心したわ」
そう言ってあははと笑った俺にやつは小さく消え入りそうな声で「…ありがとう」と返してきた。
その妙にしおらしい友人の態度に俺は毒気を抜かれ「お、おう」と答えると、その場を誤魔化したくて「ところで『じぇん』さんが住んでるのって、そこのつきあたりでいいのか?」と話題を変える。
「ああ、そうだよ、そこだ」
と言って友人の指さした通路はまるで王室へと続く、重厚なカーペットが敷かれた神聖な道のように見えて思わず身震いする。
だが、緊張する俺とは対照的にやつはその扉の前に立つと何の躊躇もなくドアフォンを押す。
「『じぇん』さん、ボクだよ、ボク」
と言うヤツの完結極まりない挨拶にインターフォンの向こうから「はい、はーイ、今開けるネー」という朗らかな女の声が返ってきた。
その声に俺はギョッとなる。
「お、おい、今の声って……?」
思わず俺はやつのシャツをつかみ詰め寄る。だが、俺の剣幕などどこ吹く風とばかりにやつは涼しい顔してケラケラ笑う。
「なに?キミは『じぇん』さんが女だからって幻滅するそんな前時代的な考えを持っているのかい?それとも、まさか男女平等って言葉を知らないとか?いや、いや、それはないよね?まぁ、でも、ボクから言わせれば『男女平等』なんて言葉が残ってること自体、未だそれが実現していないことの証拠なんだけど。いくら世の中が数字や言葉で誤魔化して『世は事もなく、全て平等でござい』なんって言っても、さ」
「お前こそ誤魔化してるんじゃねーよ。俺がどれほど『じぇん』さんに会いたがっていたかっ!俺がどれほど!あの人を尊敬してたか!?お前知ってんだろ!!?それなのに、それなのに……今の声は!!」
やつの細腕のどこにそんな力があるのか?そう思うほどあっさり、驚くほど容易く、ヤツは俺の腕を振りほどくとニコニコ笑いながら軽く手を打ち合わせる。
拍手。
今ヤツがしている動作がそう呼ばれる行為であると気づくに俺は数秒の間を要した。
「さすがだね。あんな短い言葉で見抜いちゃうなんて」
「おい、本気でふざけているのか?お前が人をからかうのが好きなのは知っていたけど、ここまで質の悪い、手の込んだ、悪趣味なことをするやつだとは思ってもいなかったぞ!!」
怒鳴るようにいった俺の言葉にやつはスッと目を細める。
「ちがうよ、これは称賛だ。すぐに声の正体を見抜いたキミに対する、ね。素直に受け取って欲しいな?」
「……ならあれが、あの声が『じぇん』さんのものじゃないってお前は認めるんだな」
「いや、違う。あれは‘『じぇん』さんの声だ」
「いい加減にしろよ?お前言ったよな?『見抜いた』って?だったら認めてるだろうが!あの声が『かなで』ちゃん……つまり人工音声だってことを!!」
「そうだよ……だから、アレが『じぇん』さんの声だとボクは言ってるんだ。あるいは……人工音声だからこそ『じぇん』さんの声だと言ったほうがいいかな?」
友人の言葉に俺は頭がクラクラしてくるのを感じる。こいつは何を言っているんだ?こいつはなにをいっているんだ?コイツハ ナニヲ イッテイルンダ?
そのとき、俺の頭に一つの可能性が浮かぶ。だが、しかし、それは……あまりに荒唐無稽で。ありえるはずが……ない。
「……お前は、俺を、『じぇん』さんに、会わせてくれるんじゃ、なかったのか?」
途切れ途切れになる俺の言葉に、やつは静かに頷く。
「そうだよ、会わせてあげる。ねぇ、部屋の前で立ち話も何だ。中に入らない?……だけど」
「だけど?」
おうむ返しした俺にヤツはニヤァっと底知れぬ悪意を感じさせる笑みを浮かべ口を開く。
「だけど、ここに入ったらキミはもう二度と引き返せなくなるけどいい?でも、引き返すなんてありえないよね?だってキミは疑っちゃったんだもん。その疑いを持ったまま『じぇん』の曲を今まで通り楽しむことが出来るかな?できないよねぇ?できるはずがない。この扉の奥に答えがある……もしかしたらボクは嘘をついて本当はずっと君のことをからかっていただけなのかもしれない。そしてこの扉の向こうには『じぇん』さんがちゃんと居て、そして美味しいケーキまで用意してキミを待っていてくれているかもしれない。だけど、そうじゃなくて……キミの想像通りのことが待っているかもしれない。ま、どちらにしても扉の向こうに行かなきゃ答えはわからないけどね。でも、言っておくけどボクはそこまでお人好しじゃない。もし、ここで帰ったら……キミに二度とチャンスをあげない。ここで逃げたらキミは『じぇん』さんに会う機会を永遠に失うこととなるんだ。こんなことを言うボクをキミは意地悪だと思うかい?でも、仕方ないよ人生にチャンスはそう何度もないんだから、これはボクからキミへの教訓、あるいは人生勉強だと思えば腹も立たないだろう?はっは、今日はやけによくしゃべるって思った?うん、それはそうだよ、実を言えば今日と言う日はボクにとっても特別な日なんだからね。それは興奮して饒舌にもなるさ。さぁ、さぁ、どうする?キミの選択を聞かせてもらおうか?いや、いいんだよ、ボクは強制しない。キミの自由な意思を尊重するさ、もちろん」
一気にそうまくし立てたやつの言葉の半分も俺は理解できていなかった。いや、正しくはその言葉のほとんどが耳に入っていなかった、と言うべきだろう。
全身から再び汗が噴き出す。
心臓が早鐘のように鼓動する。
想像が心を浸食し、心が体を蝕む。
頭痛、めまい、吐き気……
立っていることすら苦痛になり俺は壁に手をやり何とか体を支える。そんな俺の姿を見てやつは可笑しそうに笑う。
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