第一幕 仮想

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 音楽スタジオは最初俺がいた場所から五分ほど歩いたところに建つ雑居ビルの地下にある。ビルへ着くと階段を下り、そこから続く産道のように細くグネグネした薄暗い廊下を進む。突き当りまで行くと埃のにおいが漂ってきそうなしみったれた受付が見えてくる。中を覗けばスキンヘッドの男が1人居て、ボンヤリ虚空を眺めていた。  スタジオ使用の手続きをするため近づくが男は俺に気づかない。不審に思い男の顔を見てみれば、その瞳の奥に緑光(りょくこう)が瞬いているのが見えた。この辺りは仮想現実世界(メタバース)も現実世界も同じ、BMIを使用している人間の特徴である。おそらく暇を持て余し動画サイトでも観てサボってやがるのだろう。客の存在すら気付かぬほどに。俺は小さくため息を吐く。 「……おい、遊んでんじゃねーよ。お客様のお越しだぞ?」    すると男は俺の声にビクリ肩を跳ね上げ、ようやくこちらへ顔を向ける。それから誤魔化すみたいに口角を上げるが、それは控えめに言っても鬼の形相、街の不良でも卒倒(そっとう)しそうなほど凶暴極まりないとしか表現できない表情であった……まぁ、ここの常連である俺は知っているが、これはやつの営業スマイル。別に怒っているわけじゃないのだ、多分、きっと、おそらく。 「やぁ、いらっしゃい」 「いらっしゃいじゃねーよ、この不良店員」  そう言われて今度は照れくさそうな笑みを浮かべる男……でも、その顔はやはり大量殺人犯のように危険な、慣れてるはずの俺でも思わず卒倒(そっとう)しそうになるほど恐ろしい表情だった。 「ま、いいじゃん、大学生。どうせ暇を持て余してんでしょ?」  男の言葉に俺は肩をすくめる。まったくもってその通りなのだが、素直にそれを認めるのもなんだか癪なので曖昧なジェスチャーだけを返す。俺の仕草を見た男は「へっへっへ」と小ばかにしたような笑い声を漏らした。その恐怖しか感じない男の顔を見て、俺はこのスタジオが高級な機材と良心的な価格を誇っているにも関わらず繁盛してないのは絶対こいつの顔のせいだと確信する。  にしても、これがこいつの生まれながらの顔なら仕方ないが、この世界での容姿はすべて本人がデザインしたアバターである。つまりこいつは好き好んでこんな凶悪と言う言葉が服を着たかのような姿をしている、ということになる。 ……いや、お前の仕事は一応客商売だろう?そんな客払いみたいな顔してどうする?とツッコみを入れたいが、人のアバターにケチつけるはマナー違反。俺ですら自重するくらいの禁止事項(タブー)なのである。喉元まで出かかったツッコミの言葉を飲み込むと代わりに男が口を開く。 「スタジオならどこでも好きなとこ使ってよ。今日も絶賛閑古鳥が鳴いてっからさ」 「そーいう、悲しいことを店員自ら言うな」  軽口を返してから俺は使用したいスタジオの番号を伝える。 「で、『かなで』は呼んでおく?」  男の問いかけに小さく頷く。 「もちろん。つか、今時人間のボーカルを使うなんて有り得ないだろう?」 (何言ってんだ?)と思いながら言った俺に男は不服そうな表情を浮かべるが、それは瞬きするほど一瞬のことで、すぐさま愛想笑い(怖い顔)を張り付けると「あいよ、彼女も用意しておくよ」と言った。すると男の目の奥で再び緑色の光が瞬く。今度はサボりでなく、正しく仕事のためBMIを使ってスタジオに俺の「かなで」ちゃんをご招待(アップロード)しているのだろう。  なんだかんだいって仕事はきっちりこなすのだ、この男は。俺は男に礼を言うと『かなで』ちゃんが待つスタジオへと向かう。背後から男が「頑張れ!」と声をかけてきたので振り向かず頭上で右手だけヒラヒラ振って応えておいた。 「はい、ストップ」  俺の命令に十代の半ばほど思しき(うるわ)しい娘の見た目(アバター)をした「かなで」ちゃんはピタリ口を閉じると感情のこもらない大きな瞳をこちらに向けてくる。 「ちょっと今のパート違うかな?今度はさ、もっとこう……オクターブを上げてやってみようか?」 「Yes、マスター」  俺の言葉にこくりと頷くと「かなで」ちゃんは俺の指示通り先ほどよりも高いトーンで歌いだす。だが…… 「あー、ストップ、ストップ!」  俺はガリガリと頭を掻き毟りながら再び彼女の歌声を止める。すると「かなで」ちゃんは先ほどと同じようにピタリ歌うのをやめ直立不動のままこちらに無感情な視線を向けてくる。 「……ちょっと休憩」  言って俺は「かなで」ちゃんとのペアリングを解除する。そして彼女を1人残しスタジオをでると地下から地上に上がりビル近くにある自動販売機へ向かった。この世界で飲食をしても意味など全くないが、それでも冷えた水分が喉の奥に流れていく感覚はいくらか俺を気分転換させてくれる、気がした。そんな期待から購入したドリンクだったが残念ながら効果は薄い。頭にはモヤが詰まったままで、取り立てて良いアイデアも浮かんでこず、俺は思わず天を仰ぎため息を吐いた。 「っきしょう、今回のアイデアは結構自信あったんだけどなぁ……やっぱ、独学じゃ限界があるのか?」  そう呟いて飲み干した缶ジュースをゴミ箱へと投げ捨てる……が、見事缶は的を外れカラカラと情けない音を立てながら地面を転がる。まったくもって冴えない。俺は情けない表情を浮かべながら缶の後を追う。すると…… 「どうしたの、そんな顔して?もしかして作曲活動に煮詰まった?」
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