第一幕 仮想

3/5
前へ
/20ページ
次へ
 俺の手が届く前に白魚(しらうお)のような指が伸び、缶を拾い上げる。聞き覚えのあるその声に俺は再びため息を吐く。そう言えばこいつとは今日、貸しスタジオ(ここ)で会う約束になっていたんだったな。何の用事があるか知らないけれど。 「そうだよ!絶賛煮詰まり中だよ、この野郎!!実際に曲と歌を合せてみたらイメージと全然違ったっつの!!!」  八つ当たり気味に言った俺の言葉になにが楽しいのかそいつはカラカラ笑い声をあげる。その笑い声に俺は僅かに苛立ちを感じながらもゆっくり視線を地面から上へと上げる。するとそこには案の定、赤く(なまめ)かしい唇に温和な笑みをたたえた友人の姿があった。 「それは、それは。でも、まぁ、キミが『かなで』を手に入れたのはまだ半年前のことだろう?それなのにもう曲を書いて彼女に歌わせているんだ。これまで音楽経験のないキミがそこまでできているだけで十分立派だと思うよ?」  その優し気な声と表情に俺は思わず首肯(しゅこう)しそうになるが、寸前でそれを堪える。この友人がその見た目ほど温和で善良な性格でないことはこれまでの付き合いでよくわかっているからだ。だから、これもこいつなりの遠回しな嫌味であろうことは容易に想像することが出来た。 「はっ!悪かったな、半年も試行錯誤(しこうさくご)してるくせに未だ曲を完成できなくってさ!」  最初そいつは切れ長の瞳を驚いたようにパチクリさせるが、すぐに俺の考えを見抜いたらしく破顔一笑(はがんいっしょう)「いや、いや、今のは嫌味じゃない。本音だよ、本音」と言った。だが、それを素直に受けとめるほど俺とやつとの関係は浅くない、残念なことに。 「で、何の用だ?まさか、イヤミを言うためだけにわざわざここに来たのか?だとしたら相当暇人だよな、お前って」 「……ずいぶんな言いようだね」とそいつは口をとがらせながら言うが俺の良心はまるで痛まない。こいつは一度自分の行いを顧みる必要があると思う。「せっかくいい話を持ってきてあげたのになぁ」  もったい付けるようなことを言いながらヤツはチラチラわざとらしく、こちらに視線を向けてくる。そんな友人の姿に俺の頭上ではクエスチョンマークが乱舞する。はて、こいつが俺に『いい話』なんて持ってくることなどあったろうか?っと考え、閃く。  そうだ、あった!こいつが俺に持ってくるかもしれない『いい話』が!!いや、すっかり忘れていた。って言うかマジだとは思わなかったもんなぁ。正直与太だとばかり思ってた。  そこに思い至った俺は頬を引きつらせ、ワナワナ唇を震わせると「ま、ま、ま、まさか……っ!!?」と呟く。  それを見てやつは「さぁ、どうだろう?」と底意地の悪い笑みを浮かべ「やー、でも、どうしようっかなぁ。今のキミの発言でボクすごく傷ついちゃったし」と言った。  その言葉に俺の全身にドッと冷や汗が浮かぶ……いや、浮かんでないけど、だって今の俺は仮想世界の姿であるアバターなのだから汗なんてかくはずがない。  ん?だけど、もしかしたら現実世界の俺は今頃冷や汗をかいているのかもしれないな?どうなんだろう?そこまで現実世界と仮想世界はリンクしているのかしら?  そんな益体ことを考えながらも脳の中では何としてもヤツのご機嫌をとらなくては、と必死に対応策を考える。きっと今の俺は青くしたり赤くしたり百面相のような表情を浮かべていることだろう。その証拠に俺の顔を見るヤツはまるでコメディ番組を見ている人のような愉快そうな表情を浮かべている。  ちきしょう、こっちが何も言えないと思って意地の悪いヤツめ!そう喉元まででかかった悪態を俺は何とか飲み下す。そんな俺の姿をヤツはたっぷり1分ほどニヤニヤしながら見つめた後、おもむろに口を開く。 「ま、あんまりイジメるのも可哀想か」などとしれっと言うが1分近くの間、人の反応を楽しんだあとに言う言葉じゃないと俺は思う。「それに『じぇん』さんもキミに会いたがっているしね」 「マジで!!?」  しかし、その一言で俺の不満は一気に吹き飛んだ。  だって、あの『じぇん』さんが俺に会いたがっているんだぜ!?  あの「人類の敵P」として大人気の『じぇん』さんが!  あの高い物語性を持った歌詞と中毒性のあるメロディを持った曲を書くことで大人気のシンガロイドプロデューサーの『じぇん』さんが!!  最強の『かなで』使いであり、俺がもっとも尊敬し憧れている、あの『じぇん』さんが!!  この、俺に!!会いたがっている!!
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加