第一幕 仮想

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 今度は俺が目を丸くする番だった。素っ頓狂な声を上げる俺を見てやつは「プッ」と吹き出しゲラゲラ腹を抱え笑いだした。 ……どうやららしい。  俺はムッとしながらヤツに「ホントお前ってば性格悪いな」と言ってやる。しかし、目じりに涙を溜め爆笑している友人に嫌味程度の豆鉄砲じゃ効果は薄い。ヤツはヒ―ヒー苦しい息の中まるで悪びれる様子もなく答える。 「いやー、ごめん、ごめん、キミがあんまり喜んでいるからさ、友達として一言やらないと失礼かなって思って」 「そう言う発想をするやつを世間じゃ友達じゃなくて敵って言うんだよ」 「そうなのかい?でも、ほら、『昨日の敵は今日の友』って言うじゃないか?だから、ボクたちトモダチ、トモダチ」 「アホか!お前は現在進行形で俺の敵だよ!」  という俺の言葉をつるっと無視すると、ヤツは真面目な顔になり言葉を続ける。 「ただ、もう一つの条件もさして難しいことじゃないよ。少なくとも頭髪をすべて剃るより簡単だ……『じぇん』さんと会う時キミのBMIの電源を切っておいてほしい、それだけだ」 「……それってつまり『じぇん』さんと会ったことを画像や動画なんかの記録に残してほしくない、ってことか?」  BMIは持ち主の見聞きした、そのすべての映像、音声を即座にデジタル化しネットワークへと保存することが出来る。それは仮想世界でも現実世界でも同じだ。むろん、常にBMIは録画モードになっているわけではないが、モードの切り替えは指先を動かすのと同じくらい簡単に移行できる。それを他者が見破ることは不可能ではないがかなり難しいだろう。  この国における10歳以上の普及率は95%以上と言われるBMI。それゆえに俺たちは幼いころからネットリテラシーの教育を受け、他人の映像や音声を勝手にネットへ流すことがエチケットだけの問題でなく著作権という法に触れる重要事項であることを徹底的に叩き込まれる。  しかし、たとえば「殺人」が道徳的にも法的にも最悪な行為であると言う教育を人は長年続けているにも関わらず、この世から「殺人」という行為がなくならないのと同じように、いくら教育したところでプライバシーを侵害する違法行為(バカなこと)はなくならない。  結局のところ何を言ってもやるやつはやる。あるいは人は愚かだ、ということなのだろう。きっと『じぇん』さんが危惧しているのもそういうことだな、と俺は察しをつける。 「ご名答」 「なんともはや……」  さすがは有名人と言うべきか、才能のある人間は変わっていると言うべきか。そう言えば「じぇん」さんは稀に活字体のインタビューに答えるくらいで基本表に出てこないミュージシャンだと思い出す。  目立つのが嫌いな人なのだろうくらいに思っていたが……しかし、そこまで神経質になるのなら逆に仮想空間で会ったほうが現実世界(メタバース)で会うよりよほどプライバシーを守れる気がするのだが。先ほど述べたBMIによる録画も抜け道の多い現実世界はさて置き、仮想世界であればセキュリティソフトを使えば完璧に阻止できるのに。 「どうする?今時、仮想空間で会うのを嫌がり、現実世界で会いたがる変わり者に――しつこいと感じるだろうけどもう一度聞くよ?――キミは会いたいかい?」  しかし俺はやつの言葉に「ああ、会いたい」とはっきり答える。 「わかった、それじゃ明日の14時に新宿駅に集合ってことで。キミを……『じぇん』さんに会わせてあげる」  そう言って浮かんだ友人の笑みを俺はどう思えばよかったのだろうか?  それは背筋を寒くさせるような底の見えぬ悪意を含んだもののようにも、今にも泣き出しそうな人間が無理やり見せた笑みのようにも、俺には感じられたのだ。    友人の表情の意味を俺が理解したのは、もうしばらく後。すべてのことを知り、すべてが手遅れになった後のことだった。
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