0人が本棚に入れています
本棚に追加
五話、旅の終わりと道連れ
次の朝、低い位置で一つ結びをしたシェリアが軽快に街道を進んでいた。振り向くたびに視界の隅で尻尾のようにひらひらと舞う髪が新鮮で、シェリアは右へ左へとステップを踏むように歩いている。
「エリーゼ、フィクティーフにはどれくらいで着くの?」
「今日中には着くよ」
目の前に町と呼べるようなものは無く、道の先には青々とした地平線があるばかりだった。きっと昼過ぎか夕方辺りになるのだろうな、とシェリアは予想を立てる。
上機嫌なシェリアの後ろについていくエリーゼ。昨日とは真逆の構図だった。
「エリーゼ、ありがとう。この髪型とても好き」
「…………」
エリーゼの返事が無い。振り返ってみると、顔を覆い隠して天を仰ぐエリーゼがいた。
「私の好きな子がこんなにも可愛い……」
程なくシェリアも落ち着いて、エリーゼの横に並ぶ。柄にもなくはしゃいだので借りてきた猫のように大人しく歩いていた。小股で若干俯きながら街道に沿うようにしている。エリーゼもそれを察したのか定かではないが、そっと寄り添うように黙って歩いた。
横手に森が見える。道から外れた所にあったが、エリーゼはおもむろに足を止めた。
「ちょっと、寄って行こうか」
エリーゼが指をさす。木々の隙間から中の様子は窺えず、そこだけ夜のようであった。
「寄り道?」
「近道、かな」
「街道沿いではないんだ」
「街道沿いだって言った覚えはないよ」
「そういえば」
納得したように頷く。
「……もしかして、シェリアちゃん怖い?」
悪戯っぽくエリーゼが笑う。
「怖くないよ」
からかおうとしたエリーゼの攻撃は不発に終わる。シェリアに冗談の類はなかなか通用しないのは、丸一日共に過ごして察していた。相変わらず、生真面目のような無機質のような、そんなシェリアに焦がれていた。
「シェリアちゃん、怖いものなさそう」
「私にも怖いものはある」
「……へぇ」
意外な反応だった。からかったのも、シェリアに怖いものが無いと踏んだうえでの発言だったからだ。エリーゼは身を乗り出し更に問い詰める。
「どんなものが怖いの?」
「……今は、言わない」
口をきゅっと閉じて、それ以上シェリアは何も言わなかった。言えない話ではなかった。
今シェリアはこの旅を『楽しい』と感じている。その気分を壊してしまう内容だったから、あえて口を閉ざしていた。この瞬間を大切にしたかった。
「フィクティーフに着いたら、言うよ」
森に入ると、木々のざわめく音は一層姦しくなり、葉っぱの隙間から僅かばかりの光が差し込んでいる。地面からは無秩序に草花が生え散らかされていて、シェリアの膝以上も伸びている。人の痕跡はなく獣道すら見当たらない。シェリアはブーツで蹴り飛ばすように草をかき分けて進む。後続にエリーゼが続く。
低木の枝葉が時折顔にかかり、その度にシェリアは魔法で剣を生成して剪定するように斬っていた。
「シェリアちゃんって、剣を作る魔法と、光の魔法以外に何かできるの?」
「それだけ。剣の生成も創世の光の応用みたいなもの。ただの光と熱量の魔法じゃないんだ。混沌が満ちた世界の最初、闇が淵の表にあって混沌に満ちた虚しい所に存在を許された、最初の光。開闢の一番星。時の動きを開始させた神の業の、劣化模倣のような魔法。それが、私の魔法。そんなのだから、まだ上手に使いきれなくて、これだけしかできない」
「とんでもないこと聞いた気がする」
「誰かに言うのは、多分初めてだから」
「いやいや、そういうんじゃなくて。シェリアちゃん、もしかしなくても凄い魔法使いだったんだ」
「私は凄くはない。教えてくれた人が、凄かった」
哀しげな口ぶりから、なんとなくエリーゼはそれ以上追求しなかった。
森の奥はひと際鬱蒼としていて、夜の闇より暗かった。上空で大型の鳥が羽ばたいている。どことなく不吉で、シェリアははぐれないようにエリーゼの手を握った。
「ありがとう」
「道連れ、だから」
「……ありがとう。もうすぐ着くよ」
遮る枝を切り分けていくと、急に開けて強い真昼のような光が差してきた。
そこは町ではなかった。
そこは、広場だった。ぽっかりとこの場所だけ草原のようになっていて、彩るような花が規則正しく配列されて咲いていた。
奇妙なまでに歪みのない円形の空間だった。
「着いたよ」
シェリアを引っ張って、エリーゼが中に踏み入る。されるがままにされたシェリアは辺りをきょろきょろと見回していた。ここは、明らかに町ではない。人もなく生き物もなく、微かな魔力が地面を這っている以外は何もない場所だ。
例外がいた。ふわふわとした光が空から落ちてきている。精霊虫だ。精霊虫は魔力が多い場所に好んで集まる。
「エリーゼ、どういうこと?」
シェリアは困惑を隠せずに問う。
「シェリアちゃんにまだ一つ訊いていないことがあったね。シェリアちゃんの旅の目的、終わりは何処?」
シェリアは沈黙する。何故ここでそのような質問をするのか分からない。
エリーゼの落ち着いた笑みが不気味なくらいで、質問の回答を強く要求しているようだった。
シェリアは、意識して息を吸った。
「……旅の目的、終わり。目的はない。最初はあったはずなんだけど、何処かで忘れた。終わりは──死ぬこと。
ちゃんと言うなら私を、ノイモントを殺して、私という存在をこの世から抹消すること」
「その口ぶりから言うに、死ねないんだ」
シェリアは首肯する。
そして、右手に持った鋭利な刃で、己の腹を突き刺した。身体に穴が開く。ドロッとした赫い血がコップをひっくり返したように落ちる。花を赤く染めて、シェリアの足元に小さな血だまりを作った。
剣を抜く。そして、シャツを捲る。真っ白な、穢れを知らない、握りつぶせてしまえそうな無傷な腹を露わにした。
「……自己再生」
エリーゼが、信じられないように呟く。それもそのはずだ。
この自己再生は、魔法ではないのだから。
「シェリアちゃんが、なんでこの年で沢山人を殺し続けて、化け物とか死神とか呼ばれている理由が分かったよ」
「うん。私は、死ねない呪いに罹った、化け物だ」
自分から化け物と言うのは気が引けた。ただ、エリーゼを欺いて適当な言葉を並べるのはもっと気が引けたのだ。
「それで、エリーゼ。私は質問に答えたよ。これはどういうこと」
エリーゼは、広場の中心までシェリアを連れてくると、魔法陣が描かれた札を一枚とり出した。
「嘘を吐いてごめん。ここが、フィクティーフ。架空の、あるはずがない嘘の町。私とシェリアちゃんの、旅の終着点」
はっきりとした物言いで、厳然と口にした。
「詳しく、教えて」
シェリアは、剣の柄をぎゅっと握る。聞いてしまえば、何かが終わってしまう予感がした。それでもシェリアはじっと、エリーゼの金色の瞳を凝視した。
「いいよ。全部話す。ちょっと長くなるかもしれないけどそこは勘弁して。
まずは、そうだね。どれが嘘だったか、だね。取り敢えず、フィクティーフは綺麗な町なんかじゃなくて、こんな誰もいない場所に、私が勝手に名前を付けただけ。
それと、旅人なんかじゃない。私は一か月前、シェリア・ノイモントに理不尽に屠った国軍第一部隊、その隊長の娘。つまり、昨日シェリアちゃんを襲ったあの人たちと、当初の目的は一緒だったってわけ。……嘘はこれくらいかな」
エリーゼは続ける。
「シェリアちゃんへの復讐。それだけを思ってアナタの事を調べた。銀髪の人殺し。どんな憎いやつなんだろうって。角でも生えて人の心を持っていないんじゃないかって思いながらね。
でも、実際はこんな可愛い女の子だった。顔だけじゃない。雰囲気、所作、何もかもが愛おしいなって直感的に感じてしまったの。おかしいよね、復讐するべき相手を好きになっちゃったんだもん。
そして、父の復讐とか、もうどうでもよくなった。それとは別に、私に変な感情が湧いてきた。自分でも相当頭おかしいんじゃないかなって思ったけど、何度自問自答を繰り返しても、同じ答えだった。それに、運命感じちゃったんだ。シェリアちゃんの望むことと、私が望むこと、同じだったんだもん。
大好きなシェリアちゃんを殺したいんだ」
「──待って!」
自分でも驚愕するくらいの大声を出したシェリア。喉が痛んで何度か咳をする。それのせいか、目尻に雫が浮かんでいた。
「裏切り、なの?」
「違うよ。シェリアちゃんが好きなのはずっと変わらない。あの人たちは憎悪で殺そうとしたけど、私は好きだからアナタを殺したい。初めて話したテラスの時より、ずっとその想いは強くなっているの!
暗い眼をして澄ました顔のシェリアちゃんが好き。
精霊虫に纏わりつかれて焦っているシェリアちゃんが好き。
他愛ない話をじっと聞いてくれるシェリアちゃんが好き。
私の好意を真っ直ぐ受け止めてくれるシェリアちゃんが好き。
何も信じられないって雰囲気していて、結構ちょろいシェリアちゃんが好き。
魔法を使うシェリアちゃんが好き。
剣を振るうシェリアちゃんが好き。
スープを美味しいって飲むシェリアちゃんが好き。
微笑んだシェリアちゃんが好き。
一つ結びしてもらってはしゃぐシェリアちゃんが好き。
たった一日。されど一日。アナタと過ごしたこの一瞬、この一日だけの旅はかけがえのない大切な物になった。シェリアちゃんはどう? アナタの旅の中で、一番楽しかったのは何時?」
シェリアは返答に窮した。間違いなく、今までの旅の中で一番だったのはエリーゼと過ごした時間だったからだ。人を殺して、自分は死ねず、のうのうと生を貪って死に逝くための光の無い道を彷徨していた今までの人生。
短い時間は、代えがたい宝物になっていた。
彷徨を始めてから七年、初めて笑えたのだ。
「……エリーゼと、同じ」
エリーゼは、安心したように顔をほころばせた。
「良かった」
「でも、一つ教えて。好きになるって言うのは、その後殺すことまで入っているの?」
「ああ、何処までも可愛くて、無知で、純粋なんだね。うん、好きになったら、最終的に相手を殺すよ。それが好きってことなの」
「そっか。ありがとう」
一つ、シェリアは感情を知れた。それが、狂った感情であることは知らずに。
「私からもいい? シェリアちゃんの怖いもの、まだ聞けてない」
シェリアは、戸惑い、目を逸らして小さな声で言った。
「大切な人を、失うこと」
恍惚に微笑んで、エリーゼはシェリアの手を握った。
「やっぱり、そういうところ、大好きだなぁ」
途端に、シェリアの身体の自由が利かなくなった。指先一つ、動かせない。するりと、剣が落ちて、魔力となって霧散した。旅行鞄がボトン、と草を潰すように落ちた。
「……何したの」
「単純な力比べじゃあ、シェリアちゃんには敵わない。私の得意なのは、隠蔽とか、妨害とか、そういう類のものだから。この広場は、大地の魔力を吸い上げて貯蔵しておく私の領域。アナタを絶対に殺すために作った舞台」
円形は、魔法陣だった。その中心、発動点に二人は位置している。
精霊虫が激しく反応していた。
思えば、シェリアに一切近寄ってきていない。あの時、エリーゼが貼った魔法陣は既に剥がされていたのにだ。
シェリアは、うなじに熱を感じた。
「髪を結んだ時、付けたの?」
「シェリアちゃん、勘はいいのにどことなく鈍いよね」
魔法が使えない。光が出ない。これも、エリーゼの魔法によるものなのだろう。不思議と、悪い気はしていなかった。
「エリーゼ、私はエリーゼを好きになれないけど……、それでも、ちゃんと、殺してくれる?」
このまま、エリーゼにされるまま、望まれるままに殺されるのもいいかもしれない。
殺せない自分を殺す方法を探していた。探しても見つからないものを、彼女は盲目に求めていた。
それを、他人から与えられるのは予想外だった。その上彼女は、シェリアを心から愛した人間だった。
そして、シェリアが大切に想えるような人間だった。
悔いはなかった。
「誓うよ」
エリーゼが、シェリアの頬を撫でる。顔を近づけて、二人は目を合わせて、閉じた。
「私の、命に懸けて」
唇が交わる。熱く、熱く。全身が蕩けて溶けてしまうように。エリーゼの体温が、シェリアの体温が、互いに一点に集中される。透明な涙が、頬を伝っている。
時間が止まったような永遠の一瞬だった。
エリーゼは行ったのは呪いだった。禁呪と呼ぶべき、人々から忌避された呪い。
発動者の存在と全魔力と、命を引き換えに、対象の命を安らかに奪う道連れの術。
条件は、発動者が対象に愛を告げること。合意の上で口づけをすること。
加えて、領域の魔力を呪いに乗せている。当然、一人の少女に耐えられる負荷ではない。
エリーゼの身体が崩壊していく。足元から、塵に帰っていく。さらさらと消え去っていく。
唇を離してシェリアを抱擁する。
「さようなら。私の道連れさん。短い間だったけど、楽しかったよ」
精霊虫が離れていく。
「さよなら……私の大切な人」
シェリアは安らかに、目を閉じた。
これが、一つの旅の終わりだった。
最初のコメントを投稿しよう!