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一話、濁った眼をした銀髪の少女
カモメの声が聞こえる。潮騒と船のメロディ、それと雑多な人の賑わい。
──あれが死神。
──一万人殺しの……。
──ああ、恐ろしい。どうしてここにいるのかしら。
シェリア・ノイモントは、そんな港の方を眺めながらコップの水を舐めるようにして飲んでいた。昼食を終えて空になった皿は、いつの間にか給仕が片付けてある。レストランのテラス席の端で、シェリアは一人、ポツンとジャケットをたなびかせている。
正確に言うと、シェリア以外にも客はいた。昼時であるし、ここのレストランの評判は良い。内海が一望できるので人気があるのだ。だが皆、遠巻きに彼女を見て一定距離以内に入ろうとしなかったので、人気のテラスには酷く奇妙にぽっかりと空いた空間が出来ていたのだ。
誰も彼女と距離を詰めようとしない。そればかりか、訝しげに厄介者を見るような目で敬遠している。
──死なないらしいわよ、あの子。
──死なないって?
──斬っても撃っても呪っても毒を盛っても、何しても殺せないって。
──それこそ化け物じゃないか。なんだってそんな奴が。
──所詮噂だろう? いくら魔術士らしいと言っても、あんな可愛らしい女の子に対して失礼じゃないか。
──とか言いつつ、貴方が一番離れているじゃない。
──それはだな……。
シェリアが直接、何かしたわけではない。身なりが汚いわけでもない。白い シャツに薄手のジャケット、短めのパンツにひざ丈まであるブーツ。やや男物寄り華やかさはかけらもないが、特段奇異の眼で見られるような服装ではない。
シェリアはただの旅人、あるいは放浪人らしく大人しく金を払い宿を取り、金を払い昼食をとっていた。
普通のふるまいをしていた。だからこそ、彼女は冷たい視線を浴び続けていた。
「次の目的地、決めてなかった」
刺さるような視線には慣れている。そういう行いをしてきたのだから、当然だとシェリアは思っていた。そこに反論する気はなく、ふらりふらりと何処へ行くともなく各地を転々としているシェリアにとっては些事であった。
シェリア・ノイモントは旅人だ。どちらかと言うと放浪人、彷徨人と言った方が正しいかもしれない。彼女の旅には目的地が無い。明日の気分で行く道を決める。気の向くままに赴くままに。まるで老人が人生の最期に各地を巡るように孤独の旅を続けていた。
決定的に違うのは、旅自体に目的を見出す方法を彼女は知らない。いかに美しい景色を見ようとも、シェリアの心には一つも響かない。各地の料理を食べても、腹に溜まった以上の感想が出てこないのだ。
シェリア・ノイモントは、ほとんどの感情が機能していない。
シェリア・ノイモントは魔法使いだ。十の時にある不老不死から魔法と剣の使い方を教わり、その技術で以て人を殺して、生きるための金を稼いでいる。孤独な彼女が生き延びるためには、その方法を選択する道は無く、その過程で、感情がすり減り、削れ、閉ざされたのだ。
水を飲み干し、宿へ戻ろうと席を立った時だった。
「嫌になるわよね」
目の前の席に、一人の女の子が座った。肩にかかるくらいのまっすぐ伸びた栗色の髪に内海と同じ蒼い眼。シェリアと同じ年くらいの少女の登場にまごつくシェリアを余所に、少女は続ける。
「みんな、アナタの銀色の髪を見てビビっているのよ。一か月くらい前の戦争で相手の軍を壊滅させたのがたった一人、銀色の髪で大剣を持った年端もいかない子、しかも女子だって言って。大剣はないけど、アナタの事なんじゃないかって」
少女は、シェリアの髪をまじまじと見つめる。月のような銀色の長髪。腰のあたりまで伸びて、朝焼けから漏れ出した光の線のように細く煌めいている。銀色の髪自体珍しいから、余計に目を引くのだろう。
白雪で化粧したかのような白い肌は、穢れを知らないようである。だが、彼女の瞳が、それを全力で否定していた。
曰く、泥のように濁った灰色の眼。光を一切通さないくらいに淀んだ煤の色の瞳がシェリア・ノイモントという十四歳の少女を赤裸々に物語っていた。
「……あの、アナタ、は?」
伏し目がちにシェリアが問うた。
「ああ、ごめん。私、エリーゼ・ライゼンデ。やっぱり旅人なの? 私と歳変わらなさそうなのに! 凄いね! ところで、アナタは何て名前!? きっと可愛い顔みたいな可愛い名前なんでしょうね」
畳み掛けるように期待の眼差しでシェリアに詰め寄るエリーゼ。人との会話が苦手なシェリアは、ただでさえ白い肌を余計に蒼白にさせる。
「シェリア………………ノイモント」
雫を打ったように小さな声は、出航する船の汽笛にかき消される。
「ごめん! もう一回お願い」
「シェリア・ノイモント」
「シェリアちゃん、やっぱり思っていた通り可愛い名前ね」
エリーゼは咀嚼するように、何度も小さく「シェリアちゃん、シェリアちゃん……」と繰り返す。何度も自分の名前を呼ばれ続けて内心穏やかではない。
突如として現れたエリーゼという少女に、シェリアは動揺を隠せずにいた。
「あの、何の用で?」
「ナンパ、かな」
「……なん、ぱ……難破?」
言葉の意味が分からずに当惑するシェリア。一刻も早く立ち去りたかったが、いつの間にか手を抑えられている。振りほどこうとしても、強く握られていて離せなかった。
「ナンパって言うのは、可愛い子に話しかけることで……って、何言ってるんだろう」
「…………?」
首を傾げるシェリア。シェリアの少ない対人経験の中で「可愛い」と自身を形容されたことは記憶に無く、返す言葉は生み出されていなかった。謗られ、恐怖されることはあれど、褒められることはない。どう返せばいいのか、シェリアの語彙辞典の中には載ってないから、彼女はフリーズした。
「……えっと、取り敢えず言いたいことは……」
そこまで言ってエリーゼは口ごもる。自身の栗色の髪をくるくるといじって、頬を赤らめる。何をしているのか、全く見当のつかないシェリアはますます首を傾げていた。
「シェリアちゃん!」
「はい」
大声で名前を呼ばれて、反射的に返事をする。耳まで林檎くらい真っ赤に染めたエリーゼが口を開いた。
「ひ、一目惚れしました!」
「……………………?」
一目惚れ。ナンパと同じくらい、シェリアには縁のない言葉であり、全く知らない感情であった。シェリアはきょとん、と無表情を変えないまま椅子から倒れそうな思いで首を傾げた。二人の間には大きな温度差が生まれていた。
シェリアは、恐る恐る訊いた。
「ひとめぼれって、したらどうなるの?」
「シェリアちゃんが好きってことです……」
「好き……? 好き、スキ、すき…………?」
未知の概念を反芻する。好きの意味自体は流石のシェリアでも知っていた。だが、それが自分に向けられた言葉なのが到底理解に苦しんだ。初対面で出会ってまだ数分しかたっていない仲、名前くらいしかお互いに共有していないのに、どうして好意を向けられるのか。
砂漠と氷河くらいの空気の乖離がテラス席に満ちる。一部始終を見ている他の客は、一層気味悪がった。曰く、感情を理解できない化け物として。
当のエリーゼは婉曲的な想いは一切シェリアには伝わらないことを察したのか、今すぐにでも海に飛び込みたいのをグッと我慢して正面、シェリアに向き直る。
「シェリアちゃんを一目見て好きになったの」
「好きになって、どうしたいの?」
「お付き合いをしてほしい!」
「お付き合い……?」
「一緒に買い物に行ったり、一緒に過ごしたりするの」
「でも私、そんなにこの町にいるつもり、ないよ」
「旅人だから?」
シェリアは首肯する。白銀の髪が同時に揺れる。
「じゃあ、シェリアちゃんの旅にもついていく」
「危ないよ」
「大丈夫だよ。私だって旅しているんだから。シェリアちゃんほどじゃないだろうけど。それでも、ちょっとやそっとの危険くらい慣れてる」
エリーゼの真剣そうな表情を見る。一途に、真っ直ぐにシェリアを見ている。周りの忌避の視線を弾かんばかりの様子で。
「真面目、なんだね」
「もちろん。ふざけて言ったりなんてしない。いや、一目惚れとか言っている時点でふざけてるのかって思われても仕方ないんだけど、それでもシェリアちゃんと仲良くなりたい、一緒に旅もしてみたい。それだけは確かだよ」
シェリアは押し黙る。旅をして十年弱、誰かと一緒に行動したことなんてほとんどない。言ってしまえば、エリーゼとこれ以上話す理由も一緒に行動する理由もない。
ずっと一人でいたシェリアは、誰かと一緒にいたくない。だから、この誘いも一切合切断ってしまえばよかった。
なのに、彼女は揺れている。向けられる純粋な好意を無碍に出来ない。自分を良いと認めてくれる相手を大事にしてみたいと思ったから。
知らない感情を知れるかもしれない。その想いで、彼女はゆっくりと席を立った。
「……こんなこと言われたの初めてで、どうすればいいのか分からない。でも、多分嬉しい。こんな私で良ければ、旅、よろしくお願いします」
しどろもどろで、一度もエリーゼと眼を合わせなかった。だが、しっかりと伝わってようで、エリーゼは感極まる様子でシェリアの手を握った。
「こちらこそ、本当にありがとう! これからその、よろしくお願いします」
この国では、同性による婚姻はおろか、恋愛関係さえ一般的ではない。だが、シェリアの色恋沙汰に関しての知識は皆無に等しく、漠然とした好意を受け入れた認識に過ぎなかった。
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