二話、短い旅の始まり

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二話、短い旅の始まり

  彷徨人の朝は早い。町が起きる前に身支度を整えて宿を後にする。朝日はまだ地平線から顔を出しておらず、空はやんわりと白み始めていた。まだ秋の季節の初めであるが、海の近くであるためかひんやりとした空気に町全体が包まれている。朝霧が出ていて、視界もよろしくない。  新聞屋や早起きの人くらいしか大通りにはおらず、出店や人で賑わっていて狭く思えるほどの大通りがやけに広い。  シェリアにとって、人に会わないというのは好都合で、そういう理由で朝一番から動き始める。眠くはないが、ハイライトが極端に少ない灰色の眼は、今日も光を通さない。 華奢な体躯にはやや不釣り合いな大きさのこげ茶色の旅行鞄を携えて街中を歩く。かなり年季が入っているようで、表面の革が所々剥げていたがかなり丈夫な作りになっていて、彼女はずっとこの鞄を使っていた。  レンガの港町を出ると、馬車が通るための整備された街道が続いている。草原の生い茂る匂いが鼻腔をくすぐり、外気の冷たさもあってシェリアは小さくくしゃみをした。鼻をすすりながら遠くを見やると、こちらに気付いたエリーゼが手を振っていた。 「ふわぁ、おはようシェリアちゃん」  大きくあくびをしながら、エリーゼは眠そうに目を擦った。旅をするにはやや軽装で、シェリアの鞄より一回り小さなバッグに、白のワンピース型の装いをしていた。無骨なジャケット姿のシェリアとは真逆で、身長差が無ければ、男女が横並びしている風にも見えた。シェリアの方が頭半分ほど小さい。 「お、はよう」  シェリアは立ち止まることなくエリーゼを通り過ぎる。エリーゼは犬のように後を追って横に並ぶ。 「どこに行くかは決めているの?」 「決めてない。取り敢えず、街道沿いに歩いていけばどこかには行けるから」 「じゃあさ、フィクティーフっていう大きな町がここから大体……二日くらいで行けるところにあるから、行ってみない?」 「道知らないし、初めて聞いた」 「私は知ってる。ね、どう?」  シェリアに断る理由はない。そもそも、シェリアは特定の目的地を決めないでふらふらと着いた街で二、三日を過ごしてから街を出る。これの繰り返しを続けている。争いや、暗殺の依頼があるような治安の悪い場所には比較的長く留まり、出来るだけ金を集めるようにはしていた。  目的地を事前に決めて旅をする、という経験をシェリアは中々しない。ましてや、人が決めた場所に足を運ぶことなどもってのほかだ。 「いいと、思う。道案内お願い」  新鮮に思えて、シェリアはエリーゼの提案に乗った。  エリーゼは「やった!」と軽く跳ねた。 「フィクティーフは、シェリアちゃんもきっと楽しめると思うの。一回だけ行ったことあるけど、凄い煌びやかでいっぱい見る物もあっていい街だったの。国内の色んなところから物が集まるし、さっきの港町からもそこそこ近いから人の往来も盛んで。精霊虫も沢山飛んでたし、王都以外だったら一番いいところだと思う」 「そっか。楽しみ、だね」  シェリアは精一杯声色を弾ませる。エリーゼのように上手に笑えない上に楽しいというのを態度で表すのも苦手だ。どうしても淡白な受け答えになってしまうのを、シェリアは少し気にしていた。  伸びた影が視界に入り、日の出を感じる。足を止めて振り返ると、シェリアは大量の光の眩さに眼を細めた。 その中に、朝日とは違った透明で小さな光が視線の隅で光っていた。 「あれ、シェリアちゃん……?」  いつの間にか横から消えていたシェリアを探すエリーゼ。振り返ると、朝日を全身で受けて佇んでいる壮麗な少女の姿があった。エリーゼは近づいて、幻想的な彼女の顔を覗きこむ。 「何見ているの?」 「あれ、あの光。何かなって」  シェリアが指さした先には、ふわふわと光って浮かぶ物があった。綿毛より一回り小さく、埃のように浮遊していた。 「あれがさっき言ってた精霊虫。シェリアちゃん知らなかった?」 「うん。見たことない」 「精霊虫はこの国でも内海の方にしか生息してないし、朝と夕方にしか人前にでない結構珍しい生物なの。虫って言われているけど土地とか人の魔力を少し拝借して生きている魔法生物で、精霊なんて名前が付いてるのは御伽噺に出てくる精霊に見た目が似ているから。何となく綿毛っぽいしキラキラしているし。フィクティーフでは精霊虫を見せ物としていて……ってシェリアちゃん!?」  つらつらと説明をしていたエリーゼの横で、シェリアは大量の精霊虫に囲まれて埋もれていた。透明な光は輝きを増していて、最新の発光灯並みの強さになっていた。 「あの……これ、離れない…………」 振り解いてもずっとまとわりついてシェリアから離れようとしない。シェリアは相当鬱陶しがってブンブンと腕を振り回した。邪魔くさく、光に潰されて視界もままならない。 「ちょっと待って、今助けるから!」  エリーゼはポケットから一枚の小さな紙きれを取り出す。魔法陣が描かれていて、エリーゼはそれをシェリアの額に張り付けた。  突然のことで「あぅ」とシェリアが軽く呻き声を上げていた間に、小さな光は散会していった。  へたり、と地面に崩れ落ちたシェリア。はぁ、と息を吐いて安堵する。 「助かった」  弱々しくエリーゼを見上げる。 「これくらい良いんだよ。それにしてもびっくりした。精霊虫って人の魔力も少し拝借しているんだけど、人の魔力なんて微々たるものだからあんなに寄り付くなんてことないはずなんだよね。とんでもない魔力量ありそう」 「この札みたいなのは、魔力隠蔽……?」 「そのとおり。上手く作用してくれて良かった」  シェリアは、湧いた疑問を口にする。 「ライゼンデも魔法使いなの?」 「あれ、行っていなかった? 私も魔法使いだよ。シェリアちゃんよりはずっと大したことないけど」  懐から何枚か似たような紙切れを取り出した。どれも違った紋様の魔法陣が描かれていて、どうやらこれに魔力を流し込むことで詠唱無しで魔法を起動させているのだろう。シェリアには真似できないような、誇るべき能力だ。 「そんなことはない。現に、私じゃどうにもならなかった精霊虫から助けてくれた」  エリーゼは頬を赤らめる。シェリアの無垢な態度は、何処までも凛然としていた。 「立てる?」とエリーゼが照れながら差し出した手を、シェリアは躊躇いがちに握った。 「こういう時、ありがとうって言えば、良いんだよね」  確認するようにシェリアが言う。 「そうだね」  シェリアは大きく息を吸って、エリーゼに向き直る。 「ありがとう」 「いいんだよ」  エリーゼが二っと笑った。「行こっか」という合図と共に街道沿いに二人は歩き始めた。  しばらく進み、他愛のない話を続ける。木陰を見つけて昼食を取った。  終始、エリーゼが話を振り続けたので、沈黙は僅かな会話と会話の隙間にのみあった。 「シェリアちゃんは何年くらい旅しているの?」 「七回冬を迎えたから、多分七年」 「今何歳?」 「多分、十四」 「十四!? 嘘、私より二つもしたじゃん! 同い年だと思ってた!」 「そんなに?」 「だって、大人びてるし可愛いしカッコいいし。むしろ年上かな、なんて思ってたくらいだよ」 「……大人びてなんかない」 「じゃあ、経験の差だね。私からは十分大人びて見える」 「……そっか」  会話が一度途切れて街道を行く。  胸の内がそわそわと落ち着かなかった。 「これから私もシェリアちゃんも持ちつ持たれつ、貸し借りなしで行こうよ」  夕暮れ時になった程、不意にエリーゼが言った。 「誰かと旅するなんて、何も分からないから、全部任せる」 「よしっ。じゃあ、私が道案内するのも、さっきシェリアちゃんを助けたのもノーカウントっていうことで」 「今からじゃダメ? そこの分のお礼はしないと、なんか、むず痒い」 「意外と義理堅い?」 「違う、と思う」  自信なく俯く。自分はそんな御大層な存在じゃないと言わんばかりに。 「いいのいいの。お礼なんか考えなくても。シェリアちゃんと一緒に旅できるので十分」 「そうなの……?」 「そうそう。それに、旅は道連れって言うじゃん」 「みち、づれ……? 一緒に殺される、の?」  きょとん、とシェリアは頭に疑問符を浮かべる。シェリアの中では、無理心中の方が頭に浮かんでいた。何故このタイミングでエリーゼがそのような事を言ったのか、不思議でならなかった。  木枯らしが吹く。脳裏に引っ掛かりながらもすたすたと歩くシェリアを余所に、エリーゼはずっと後ろで足を止めていた。何やら、小刻みに震えている。 「……ぶふっ、あっははははは!」  途端に、エリーゼが噴き出して腹を抱えて笑い出した。目尻に涙を浮かべるほど頬を緩めてその場にしゃがみこむ。草原にエリーゼの快活な声が通り抜けた。 「ちがっ……ふふふ、そっちのみちづれじゃない……」  しばらく止む様子がない笑い声にシェリアはひたすら当惑していた。何か間違えた事でも言ってしまったのだろうか、と。人とのかかわりがひたすらに乏しいシェリアの思考は精霊虫に襲われた以上に混乱した。    ひとしきり笑い終わったエリーゼが身体を伸ばした。まだ少し息苦しそうにしていたが、満足そうな顔をしていた。 「あの、ね、シェリアちゃん。道連れってそっちの道連れじゃなくて、旅の同行者の方の道連れなの」  そんな言葉もあるのか、と頷くシェリア。 「なるほど、道連れ……」 「だから、旅は道連れって言うのは、誰かと一緒に旅した方が楽しいし、お互いに助け合えるし良いことだらけってこと」 「楽しい、んだ」  楽しいがどういうものか分からないが、きっと良いものなのだろう。エリーゼからは教わるものが多い。 「そうだよ!」 ビシッとエリーゼがドヤ顔で指をさす。 「私の道連れは、ライゼンデになるんだ」 「エリーゼでいいよ」  にんまりと、目尻を下げて笑顔に花を咲かせる。 「うん、エリーゼ」 「はい、私の道連れさん!」  エリーゼが先導して、二人はフィクティーフへ足を向かわせた。  ──のだが……、 「──ッ!」  卒然、シェリアはエリーゼの腕を引いた。加減なしで引いたので、エリーゼはその場に尻餅をついた。 「なに!?」  事態を呑み込めていない彼女の叫びと同時に、発砲音がした。  パンッ、とシェリアの頭蓋を目掛けて飛来した銃弾は、彼女に当たる僅か手前で動きを止めて、一切の欠片も残さずに蒸発した。霧散した銃弾が風に攫われていく。  間髪入れずシェリアは銃弾が飛んできた方向、左後方にある遥か遠方の森に狙いを定めて──、 魔法で生成した、
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