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三話、強襲
「……………………は?」
間抜けな声を出したのは誰だったか。華奢な少女とは不釣り合いなくらい大きな大剣が、まさかの少女の腕から放たれていた。
魔法で出来た質量の暴力が、風を切り、狙撃手に迫った。直線運動をして標的に牙を向く。大剣は森に入り、何かにぶつかって衝撃音が響いた。鳥が一斉に飛び出す。静止した大剣は魔力になって霧散する。的中したかは不明。
だが、そんなことはシェリアにとってはどうでもよかった。元々、殺意などは無かったのだから。
「行こう、エリーゼ」
エリーゼの手を取る。呆然としている彼女をゆっくり起こして、立ち上がるのを支える。辺りは開けた草原地帯。街道に隠れるような物陰は無く、前か後ろかの一本道が果てしなく続いているだけだ。
襲撃者は独りではないのだろう。一人なら余裕を持って逃げ切れるだろうが、こちらにはエリーゼがいる。見捨てていくという選択肢は無かった。
「シェリアちゃん、今のは?」
「分からない。盗賊か、山賊か。何にしても逃げよう」
エリーゼの手を引いて、早足で道を進む。森の方から蹄のいななく音が近づいてきていた。
「さっきの大きな剣は?」
「私の魔法」
「殺したの?」
「分からない。正確に狙ってないから、当たっては無いと思う」
「逃げられる?」
「多分、難しい。隠れられるところが無い」
徐々に、けたましい地面を蹴る音が迫ってくる。シェリアは諦めたように足を止めた。相手の軍勢に対して、これ以上逃げても無駄だと判断したためだった。
「誰かを守るなんて、多分出来ない。でも、頑張る。エリーゼの為に」
エリーゼには恩がある。自分に好意を向けてくれた。それだけで、シェリアには十分すぎるほどの恩を受けたも同然だった。
シェリアたちは囲まれる。相手は騎兵だった。全部で六人。武装した軍人のようであり、皆、この国の軍服を着ていた。腰には小銃と装飾のない長剣。いずれも、国軍の標準装備だ。
馬を止め、リーダー格と思しき一人が降りてシェリアの前に立った。凛々しい風体、整った顔立ちと所作から気品が窺える。金色の短髪で青い眼をした軍人らしき男は、礼儀正しく頭を下げた。
「ご機嫌麗しゅう、お嬢さん」
あっけらかんと屈託のない紳士的な笑顔を浮かべた。
「私は国軍第三部隊隊長、カストロ・トリフォリオだ。街道の巡回と警備をしている。先ほどの誤発砲の詫びに来た。部下の一人が大変申し訳ない。君の髪と姿を見て、憤激の極みに達したようで。彼には後々強く言い聞かせておく。幸い、当たっておらず怪我もしていないようなので、許しては貰えないだろうか」
おおよそ、軍人らしからぬ発言だった。誤発砲のはずもない。あの弾は、シェリアの脳天を確実に狙っていた。なのに、この男は誤発砲と言い張り、口先だけの謝罪をしている。
「慣れてるから、問題ない」
シェリアはその違和感、わざとらしさに気付いていながらも咎めない。彼女にとって自分に向けられる殺意は日常の事だったからだ。逐一、気にするはずもない。
「寛大な配慮、痛み入る」
「御託はいい。用件だけ教えて」
カストロは敵意を隠すような張り付いた笑顔でシェリアを見下す。
「一か月前、我が国と隣国で小規模だが戦争があったのは知っているな」
短く「知ってる」と答える。
「君はそこで、まことに非常識ながら遊撃兵として向こうの兵士を殲滅して回ったな」
「契約の内容が、そうだったからそのとおりにやっただけ」
軍人カストロの笑顔が少しばかり引きつった。
「そうして、わが軍は戦争に勝利した。我々は国内警護に従事していたのでその全貌は人づでだが、間違いないな」
「うん」
「では、訊こう。正直に答えよ」
男から、表情が消えた。剥き出しの眼光がシェリアを刺す。カチャリ、とシェリアに五つの銃口が向けられた。
「その後、第一部隊全員を鏖殺した」
ぐっと、エリーゼの握る手が強くなる。確かな重圧が、彼女にも感じられていた。
「これは、貴様がしたことだな」
返答次第では、一斉に発砲されるのだろう。カストロの眼がそう示唆していた。
だが、シェリアは平然と答える。
「殺した。この手で、六十人殺した。間違いない」
カストロが牙を剥いた。
「──ならば、死ね」
瞬間、爆発のような音と衝撃が街道を揺らした。発砲に次ぐ発砲。パァン、パァン、と耳がおかしくなりそうなほどの銃声の嵐が、シェリア一人に襲い掛かった。
だが、シェリアに傷を付けるには圧倒的に足りない。
銃弾は尽く気体になって飛んで消えた。発砲など初めからなかったかのように、無傷のシェリアと抱き寄せられたエリーゼが一歩も動かずに立っていた。
「シェリアちゃん……」
へたりと腰が抜けて、エリーゼがしゃがみ込んだ。怯えるように、シェリアにしがみついている。
「何故死なない」
「こんなのでは、私は死ねない」
唖然とする軍人たち。化け物に対峙したかのような悪寒が走る。十四歳の少女の皮を被ったナニカ。人間では無いモノを見る目で、彼らはシェリアを睨んだ。
「化け物め……、君さえいなければ、アぺラルド殿下と我々があの戦いに勝ち、国を治めていたというものを」
ぐっと、血が滲むほど拳を握るカストロ。憎しみが、怨恨が詰まっていた。
「仮定でしかない。私がいなくても、アナタたちは負けていたと思う」
「それこそ仮定でしかないだろう! 余所者である君が全てを狂わせたのだ。我らの主は貴様のせいで失脚した。
私は貴様の全てを憎もう。王太子殿下の名に懸けて、貴様に呪いを、死を、地獄を、終わる事のない怨嗟を!」
殺意が噴火した。六人の大人たちが、ただ一人の少女を殺さんと剥き出しの感情をぶつけ、今にも襲い掛かろうとしていた。
だが、少女は動じず、目の前の殺意に問うた。
「アナタたちを殺しても、特に意味はない」
「何を言っている」
「アナタたちを殺す理由なんて、何処にもない。どんなにアナタたちが私を殺そうとしても、それは理由にはならない」
シェリアは、自分を納得させるように呟いた。
カストロが剣を抜き、シェリアに肉薄する。それが合図だったように、一斉に銃弾が放たれる。先ほどよりも弾速が遅い。魔力と術式を籠めた特殊なものだった。威力は通常の数倍に及ぶ。
「……だから、不殺を此処に」
音を置き去りにするような刹那の世界で、シェリアは独り。
濁りきって光を通さないばかりに暗い、暗い灰色の眼を閉じて、口にする。
「────フィーアト」
無数の小さな魔法陣が展開される。
遍く生物が、身震いをした。
「──ルクス」
極限の光の束が、全ての魔法陣から解放され、直進する。地上を溶かしつくせるほどの熱量が無ければ、朝焼けのようであった。
槍のように伸びた極細の光が銃弾を焼き、軍人たちの小銃を消し飛ばした。
創世の光≪エスタロード≫──その疑似魔法。『シェリア』という少女の形をしたモノが、今日まで生き続けられている所以の力。
息をする間もなく、光速の一撃が軍人たちの小銃を貫く。高密度のエネルギーであるシェリアの魔法は、彼らの武装を跡形もなく消し尽くした。
彼らは無力になった。だが、誰一人として致命傷には至っていない。
彼らは一気に戦意を喪失した。圧倒的な力の差に恐れ慄くしか他に無かった。
そして、殺そうと思えば赤子の手をひねるより容易く殺せたであろう。その厳然たる事実と、少女の情けに、彼らは震えあがったのだ。
カストロ──隊長だけは果敢に、無謀にもシェリアに猛然一閃と斬りかかった。
「貴様だけは許さん!」
シェリアは魔力で細身の両手剣を生成して、空をも断ち切る勢いの一閃を受け止めた。そのまま弾いて、カストロを押し返す。追撃はしなかった。足元に、エリーゼがいたからだ。
「許されようなんて思ってない」
再び、剣が迫る。切っ先が弧を描き、シェリアの首を狙う。シェリアはそれすら剣の腹で受け止めて、はじき返した。尚も、シェリアは反撃する素振りを見せない。
「──ッ! 貴様、舐めているのかっ!」
まともに相手をしようとしないシェリアに激憤したトロイエは、更に追撃しようと己の全てを懸けて剣戟を繰り返す。
舞うように一切の無駄がない剣筋が、シェリアの腕を、首を、心臓を叩き切るべく空気を撫でる。彼らの軍の一流の剣士であっても、ソレを全て受けきることは困難を極めるだろう。
洗練され、修錬されたカストロの殺意は、シェリアに届く事はなかった。
「舐めていない。でも、アナタは殺さない」
全てを受けきり、顔色一つ変えずに彼の首元に剣先を撫でつけた。
あっけない幕切れだった。
敵討ちは、誰の目から見ても失敗に終わった。
「今すぐ引き返して、これ以上私たちに危害を加えようとしなければ殺さない」
シェリアは淡々と、降伏を促す。同時に、魔法陣を軍人全員の心臓の前に展開させていた。
「でも、抵抗するならもう容赦はしない」
カストロは目を伏せて、強く歯軋りをした。屈辱であったのだ。
化け物、死神呼ばわりをしておきながらも、たかだが小さな女の子に、完膚なきまでの敗北を植え付けられたことが。
「早く、殺せ」
刃に首を押し付ける。赤黒い液体が剣先に垂れた。
「何をしている。私の首を斬れ」
鬼気迫る顔で一層血を垂らす。
「……我が同胞を殺したその汚らしい手で、早く私を殺せと言っている!」
「……去って。そんなアナタを殺しても、私に良いことなんて一つもない」
「ならば! 第一部隊を……我が師を意味もなく殺したのは、良いことがあったからだとでもいうのか、死神!」
歯を食いしばり堪えたが、男の眼から頬に向けて涙が伝った。
「………そう。そういう契約だったから、そのとおりにしただけ」
シェリアにとってはただの依頼で、さして問題視すべきことでもなかった。人の命はただの情報で、今から奪う命の個体名、生涯に気を掛けるはずもなかった。
そうして、このように怨嗟を生み出し続けても、シェリアはこの生き方を止められない。屍を踏みつぶしていくしか生きる術を知らないからだ。
「ああ、そうか……」
流血が止まる。悟ったように、男は哀しく笑った。
「君に呪いあれ」
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