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至近距離で目があったから、思わず目を伏せると、今度はゆっくり唇が重なった。
私の感覚が変わった。
降るみたいにしゃわしゃわと蝉が鳴いているのに気付いた。触れる唇の熱や柔らかさに、胸の奥が軋むみたいな痛みを感じた。そして、陽平の香りが鼻腔をくすぐる。
唇を離した時、陽平は大人の男の人みたいな笑い声をたてた。
「栞が”もっと”って言ってる」
私が否定も肯定もできずにいると、さっきより深く重ねられた。最後に、上唇と下唇をそれぞれ挟むように触れて、終わらせた。
「…どうして、こんなことできるの?」
「栞を見てたら、したくなっただけ。どうしてそんなこと聞くんだ?」
「ちょっと、なんか。疑う訳じゃないんだけとね。陽平は知ってるんだなって思った」
陽平は驚くくらい透明に見える瞳で私を見下ろした。見返した私の前髪を、ぐしゃぐしゃにしながら言った。
「なあ、今日を一日目にカウントしない?」
「どうして?」
「しばらく二日目から進まなくたって良いよ。明日、栞になんにも触れられないのは辛すぎる。我慢なんかできない」
「別に、…拘らなくてもいいんじゃない?」
「んー。でも、何か枷がないと俺が危ない気がする」
「危ない?」
「盛りがついた雄になりそう」
「…ちょっと。はっきり言いすぎ」
「大事にしたいんだ。だから」
「わかった。いいよ」
私はまた陽平の肩に額をつけた。この体勢が、とっても落ち着く。陽平は私の腰に腕を回した。
「でも、さ。…明日は3日目だよ?」
「え?」
「良いと思う。それで」
「栞はそれでいいの?」
「無理だったら、待ってくれるんでしょ?それならいい」
「なんなんだろ?早くって思ったり、まだまだって思ったり。きっとそれが必要ならそうなるし、まだ早かったらそうならない気がする。流れに任せようかな」
「時々、世の中達観してるよね?」
「昔は人間って、そうだったんじゃないかなって思うんだ。自分の意思でどうにもならないことがあると特に」
陽平の人生に、そんなことがあったのか。
ちょっと切ない。一人で苦しんで、諦めていたとしたら。
「かわいそうなものを見る目をするな。俺の気持ちだけど、俺自身のことじゃないから」
「ふーん」
また前髪をぐしゃぐしゃにする。いつか、必ず理由を教えて貰おう。
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