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ここから逃げ出したい気持ちになり、美晴が歩こうとする。
「ちょっと待って」
井草が尻ポケットからハンカチを差し出した。
「これ、使って下さい。あとそこの襟元、コーヒー付いているんで、クリーニングを」
大柄な井草が差し出すと、紳士物のハンカチも小さく見える。けれどハンカチの必要性だけをいうのなら、たった今自分のハンドタオルで口元を拭ったところだ。人から借りなくても間に合っている。突然の親切に戸惑い、美晴がハンカチを受け取ることが出来ずにためらっていると、井草が言葉を重ねた。
「クリーニング代渡します」
そして言った瞬間に、息を呑む。
「あ、財布。持ってきてない」
スマホを握りしめたまま表情を無くす井草の顔を見て、美晴の口元がほころんだ。確かにお昼を買いに行くくらいなら、電子マネーで決済すればいいので財布を持ち歩かないのだろう。元のイメージが牧羊犬なせいか、淡々とした態度ながら、こういううっかりとしたところが可愛く見える。
「柿村、金貸して」
「俺も財布持ってこなかったよ!」
「大丈夫ですよ。会社戻ったらすぐに水で落とすので」
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