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15 ヒロインポイントを稼ぎたいです
神の力でも、病気は治らないとは聞いていた。
あくまで、苦痛の緩和だと。
それでも、ここ数日のアイーダの体調は決して良いものではなかった。
「……神の力が及ばないほど、体調が悪化しているということね。きっと」
夜会の翌日から寝込み、何とか持ち直したが、限界が近いのかもしれない。
わかってはいたことだが、現実を突きつけられるとやはりショックだった。
「……ニーナ。それ、草じゃないよ」
ディーノの声に気が付くと、ニーナは畑の苗を綺麗に引っこ抜いていた。
「す、すみません。今、直します」
「いいよ。植えたばかりだから、また戻せば良いだけだし」
ディーノはそう言って、手際良く苗を植えていく。
今日もヒロイン業を頑張り、掃除をし、畑を手伝っていたのだが、正直あまり記憶がない。
アイーダが寝込んでからは、ずっとこの調子だった。
「最近、元気がないね」
「そう、でしょうか」
「様子を伝えたら、エドも心配していたよ」
夜会から数日経ったが、ニーナはまだエドに会っていない。
アイーダのことで頭がいっぱいだったが、そう言えばあの神の使いの猫は、猫ではないのだった。
「……ディーノ様。エドが、猫じゃなかったんです」
「ああ、知っていたよ」
「しかも、公爵令息でした」
「ああ。元々、友人なんだ。それに、同級生だよ。ほとんど登校していないから、知らない人も多いけど」
「……そうなんですね」
心が疲労しているせいか、ディーノの衝撃発言にも反応が鈍くなる。
確かに、公爵令息と王子なら顔見知りでもおかしくはないのかもしれない。
ニーナからすると身分が高すぎて、想像もできないが。
「……それで、元気がないの?」
「確かに、あの至高のモフモフが本物の猫じゃないというのは、ショックですが」
「あ、そっちなんだ」
「どっちですか?」
「いや、てっきりエドが公爵令息だから一線を引くのかと」
「一線?」
よくわからなくて問い返してみると、ディーノは頭を掻く。
「うーん、そうか。……エドも大変だな」
「公爵令息って、大変なんですか。身分が高くても色々あるんですね」
結局、生きていれば皆大変なのだ。
ニーナがため息をつくと、ディーノもまたため息をついた。
「……そう言えば、エドは猫の姿だって言っていましたよね。エドが自分から人間だと教えたんですか?」
「いや、違うよ。でも、俺を脅すときに『国王にするぞ』って言ったから。ニーナも言っていたが、普通ならそれはご褒美だろう? それで、よく見てみればあの色彩だからね」
「それで、わかったんですね」
確かにかなり特徴的な色合いだし、友人なら気付くのもうなずける。
「エド……エドモンドは、病気というわけじゃないんだが、体が弱くてね。転生者だというのは今回初めて知ったが、体質で周囲に迷惑をかけているのを気にしていたから、契約に乗ったんだろうね」
「そうなんですね」
つまり、エドにとっても、ニーナが立派なヒロインになりざまぁされることは悲願なわけだ。
アイーダ、エドモンド、ディーノの三人のためにも、ニーナは頑張らなければいけない。
「ディーノ様。私、頑張りますから。ざまぁされる日まで、仲が良いふりをよろしくお願いします」
宣言通り、ニーナはディーノと親しそうに振舞った。
もちろん、ヒロインとしてクラリッサに絡まれるのも忘れてはならない。
掃除にも力が入り、元々綺麗だった学園は更にピカピカに磨かれていった。
アイーダの体調は低空飛行だったが、既に薬が効く状態ではないので、安静にしてもらうのが精一杯だった。
「……最近、ディーノとずっと一緒にいるそうですね」
窓辺に現れた白猫は、そう言って尻尾を揺らす。
「ええ。ヒロインは王子と親しく、でしょう? 少しでもヒロインらしくした方が良いじゃない」
「それは確かに、そうですが」
肯定しつつも、白猫は何だか不満気な様子だ。
「……最近、撫でませんね」
「撫でる?」
「前は暇さえあれば、俺を撫でていたじゃありませんか」
「あれは、猫だと思っていたからで。……失礼でしょう?」
撫でるというか全力でモフモフしていたわけだが、相手が人間とわかればそうもいかない。
ましてや公爵令息という身分とわかって、ぬいぐるみのような扱いをするのはためらわれた。
「今は猫ですから、失礼も何もありません」
やはり、エドは何だか不満気だ。
「……エドは、撫でられたいの?」
ニーナの質問に、白猫の尻尾が固まった。
「あ、ごめん。そんなわけないわよね。私が勝手に撫でていたんだし」
ディーノがニーナの様子を伝えたと言っていたし、元気がないから今までと違うという意味なのだろう。
「……ともかく、契約文の二番目『ヒロインは学園に通い、王子と親しくなる』は既に終えています。三番目の『ヒロインの魅力で婚約者だけでなく、周囲も虜にし、嫌がらせをされたと吹聴し、悪役令嬢は孤立する』も、ほぼ完了しています。今は四番目の段階なので、親しさを追求しなくても大丈夫です」
「でも、四番目って『悪役令嬢が王子をかばう。真実の愛に目覚める』でしょう? 私ができることがないのよ。だから、少しでもヒロインポイントを稼ぐには、ディーノ様と親しくするくらいしか」
「具体的に、何をしているんですか?」
「一緒に草むしりしたり、畑の手入れをしたり、お茶を飲んだり……大したことはしていないけれど、できる限り一緒にいるようにしているわ」
「――だから。そこまでディーノと親しい必要はありません。意味がない」
にべもなくそう言われれば、努力は無駄だと言われたようで、悲しくなってきた。
「……何よ。エドは健康になりたいんでしょう? 私は、お母さんに長生きしてほしいの。気持ちはわかるでしょう? 何でそんなことを言うのよ」
ここ数日アイーダの体調が悪いせいで、情緒は不安定だし、涙腺もおかしくなっている。
こらえきれずに、ニーナの目に涙が浮かんだ。
ニーナにできることなんて、限られている。
どれだけヒロインを演じても、アイーダの病気が治るわけではない。
わかっていても、他にアイーダを救う術がないのだ。
ならばせめて、少しでも苦痛を減らしてあげたいと頑張っているのに。
「ニーナ」
涙に気付いたのか、白猫に動揺が見える。
こんなのは、ただの八つ当たりだ。
契約で健康になれるエドへの、醜い嫉妬だ。
「……今日の報告は終わったわ。もう寝るから、帰って」
涙をこぼすまいと顔を背けると、ため息をつく。
「……ごめん、ニーナ」
小さな声でそう言うと、白猫の姿は消えた。
「本当に大丈夫? 顔色もあまり良くないよ」
ディーノに言われるまでもなく、寝不足と疲労で酷い顔だ。
それでも男性達はニーナに声をかけてくるのだから、ヒロイン補正が付けば年齢や性別も関係ないのではと勘繰りたくなる。
いっそ白猫エドにヒロイン補正を付ければ、人類皆猫バカで平和になるかもしれない。
「ニーナ?」
「あ、すみません。ちょっと人類の平和について考えて」
「……ヒロイン補正って、思考にまで影響するのかな」
ディーノに何か勘違いされている気もするが、とりあえず作業を続行する。
雑草を抜き、肥料をまくと畑が元気になった気がしてきた。
「そう言えば、ディーノ様は元々クラリッサ様と婚約していたんですよね。クラリッサ様が当選者にならなければ、そのまま結婚していたということですか?」
「まあ、そうだろうね。家柄も年齢も問題ないしね」
他人事のような物言いを聞いていると、クラリッサのことをどう思っているのかよくわからない。
だが、それを直接聞くのはさすがに躊躇われた。
それなら、クラリッサの方はどうなのだろう。
何もしなくても結婚していた相手とあえて一悶着起こそうとしているのだから、ディーノに好意はないのだろうか。
いや、でも最終的にはニーナをざまぁして、ディーノと結ばれる方向なのだろうから、嫌いだとは思えない。
「……障害を乗り越えたい、ということかしら」
穏やかで平穏な恋はつまらないというタイプなのかもしれない。
ニーナはさっぱり共感できないが、世の中には色んな人間がいるものだ。
そのまま作業を終え、満足して辺りを見回すと、クラリッサが木の下で何か作業をしているのを見つけた。
様子をみていると、枝の上にバケツが乗っていて、そこから伸びた紐をいじっていた。
「……なるほど。今度は木の上からバケツ水ですか」
まあ、今回はディーノもそばにいるので、濡れっぱなしで放置ということはない。
掃除も畑仕事も一段落したことだし、さっさと水をかぶって帰ろう。
ニーナは空のバケツにシャベルを入れると、仕事現場である木に向かって歩き出した。
「こんにちは、クラリッサ様」
「え? 早! ……いえ、何でもないわ」
どうやらまだ完全に準備が終わっていなかったらしく、クラリッサはほぼ丸見えの紐を持ってあたふたしている。
見る限りでは、紐が絡んでしまっているようだ。
手元で団子状になった上に、足元でも絡まっている。
深窓の御令嬢は紐を扱うこともないだろうから、仕方がない。
いくら転生者と言えど、木の上にバケツを設置して紐で引っ張る装置を作った経験がある人間はそうはいないだろうし。
準備が不十分なら出直した方が良いかと踵を返すと、ちょうどディーノがやって来た。
「ニーナ、忘れ物だよ。このシャベルも一緒に……ああ、クラリッサ。こんなところで何をしているんだい?」
ディーノの登場に焦ったらしいクラリッサが、紐を隠そうと背中に回す。
「何だい、その紐」
ディーノが近付いた分だけ、クラリッサが下がった瞬間、頭上で物音が聞こえた。
「ディーノ様!」
ニーナとクラリッサの声が被る。
見上げたディーノを突き飛ばしたクラリッサが、頭上から降り注ぐ水を浴びた。
ずぶ濡れのクラリッサは暫し呆然としていたが、何かに気付くと、ニーナを睨んだ。
「酷いわ。あなたが木の上にバケツを置いて水をかけたのね!」
丁寧に嫌がらせ内容を伝えながら、非難の声を上げる。
木の上のバケツに繋がった紐はクラリッサの手元にあるのだから、さすがに無理がある。
だが、クラリッサの眼差しは期待に満ちて輝いている。
これは、否定するヒロインを望んでいるのだろう。
やっぱり今日も詰めが甘い。
何だかもう疲れてきたけれど、ヒロインである以上、やらざるを得ない。
ニーナは大きく息を吸い込んだ。
「私は何もしていません。誤解です!」
悪役令嬢の顔が、一層輝いた。
クラリッサがずぶ濡れのまま撤退していく。
背中には『満足』の二文字が見える。
一方のニーナには『疲弊』の二文字がお似合いだ。
「ニーナ、お疲れ様」
ディーノに労いの言葉をもらいつつ、バケツを片付け始める。
詰めの甘いクラリッサは、現場の片付けもせずに帰るので困ってしまう。
これが本当の嫌がらせなら、証拠隠滅くらいは図ってほしい。
時々何をやっているのかわからなくなるが、これもアイーダのため。
どれだけ意味不明で理不尽でも、アイーダの苦痛が緩和されるのなら、それで良かった。
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