2 契約内容を確認します

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「……夢じゃなかった」  翌朝、机の上に小さな瓶が置いてあるのを見て、ニーナは一気に目が覚めた。  瓶の中に入っていた粒を、試しに一つ口に含んでみる。 「甘い。……本当に、砂糖菓子で錠剤を用意してくれたのね」  これは、ニーナの要望だった。  神の力とやらを信じきれないニーナのために、仮契約で母アイーダの苦痛の緩和をしてくれると白猫は言った。  円滑な説明のためにも、砂糖菓子で良いから錠剤を用意してほしいとお願いしたのだ。  神とやらが出したのかもしれないが、あの白猫がせっせと作ったと考えた方が可愛らしい。  全身毛まみれだから、砂糖菓子の中に毛が入らないようにするのも一苦労だ。  ニーナの脳内では、白猫が手袋やマスクを装着し始めた。  何だかとても微笑ましいものを想像してしまい、顔が綻んでしまう。  だが、あの白猫が破格の美人だったのは事実だとして、この錠剤……というより、神の力とやらが本物なのかが重要だ。  明日の夜に返事を聞きに来ると言っていたから、それまでに効果が出ているはず。  アイーダは長く起きていられない状態だが、一体どの程度の効果があるのだろう。 「……ニーナ、どうしたの? 朝からにこにこしたり難しい顔をしたり、忙しいわね」  アイーダが不思議そうに首を傾げている。  病気を患ってだいぶ経ち、最近では長時間起きていられないことが多くなった。  既存の薬では、症状の緩和すらままならない。  アイーダの調子が少しでも良くなるのなら、ヒロインでも悪役でも何でも構わなかった。  ニーナは深呼吸をすると、口を開く。 「――お母さん、あのね……」 「こんばんは――わっ!」  翌日の夜、どこからともなく現れた白猫を、ニーナは思いきり抱きしめた。  ふわふわの毛並みは、夢のように触り心地が良い。  思わず頬ずりしてしまうのは、仕方がないと思う。 「――ありがとう。本当に効いたわ」  アイーダは病気の末期で、どんどん弱っていた。  それが、見違えるように調子が良くて、楽しそうに花の手入れまでしていたのだ。  苦痛なく笑顔でいてくれただけで、ニーナは嬉しくて泣きそうだった。  この気持ちは、ありがとうという言葉だけではとても言い表せない。 「お、俺の力じゃないし、病気が治ったわけじゃありませんよ」 「わかってるわ。それでも、嬉しかったの」  どんな薬でも、あれほど元気な様子は見られなかった。  この猫が神の使いじゃなくても、これが神の力でなくても、アイーダを助けてくれたことには違いない。  白猫の頭から背中までを何度も何度も撫で、感謝を込めて顎の下も撫でる。  やはり、特に反応はない。 「……ところで、何で俺を撫でまわすんですか」 「近所の猫は、こうすると喜ぶんだけど。やっぱり神の使いの猫は違うのね」 「いや、そういう問題ではなく」 「ついでに、どこを撫でると気持ち良いのか教えて。今後の猫に活用するから」  白猫はするりとニーナの手を潜り抜けると、尻尾をゆっくり振る。 「――それより、契約の内容を説明します」  一、悪役令嬢は才色兼備の侯爵令嬢で、王子と婚約している。ヒロインは平民。  二、ヒロインは学園に通い、王子と親しくなる。  三、ヒロインの魅力で婚約者だけでなく、周囲も虜にし、嫌がらせをされたと吹聴し、悪役令嬢は孤立する。  四、悪役令嬢が王子をかばう。真実の愛に目覚める。  五、ヒロインは王子と卒業パーティーに参加。ヒロインの所業を暴露。悪役令嬢は愛の告白を聞く。  白猫が取り出した虹色の紙には、可愛らしい字で五つの項目が書かれていた。  淡い虹色の紙は見る角度によって色合いが変わる。  どう考えても、この世界の技術ではなさそうだった。  まじまじと眺めるニーナの前に、白猫の足が現れて文字をなぞる。  爪の出ていない猫の前足は、クリームパンのようにも見えて可愛らしい。  つつきたくなる衝動を堪えて、文字を読む。 「当選者の契約内容が、これです」  どうやら、当選者自身がこの文を書いたらしい。  女の子らしい可愛い字だが、後半は少し筆跡が乱れていた。 「詳細は自己判断で対応してください。最終的に五番をこなせば契約終了になります」  白猫にそう言われて見返してみるが、随分とざっくりとしているので、自己判断だらけだ。 「何故もっと詳細に詰めていないの?」 「それくらいは空気を読んで、と言われました。それに、当選者はその破格の待遇ゆえに、交渉時間は三分と限られています。これでも、だいぶ頑張って書いている方だと思いますよ」 「……何で、三分なの」 「以前の当選者がだらだらと交渉に時間をかけてうっとうしかったので、期限をつけたそうです」 「それで、三分?」 「待ち時間にちょうど良いと言っていました」  白猫が言っているのは『神』のことだろうが、何を待っているのだろう。  もしかすると、カップラーメンでも作っているのかもしれない。  こんな世界に転生して、神の使いとして猫が訪れているのだから、そんなことがあってもおかしくない気がする。 「でも、自己判断で行動して、その行動がそぐわないと文句を言われても困るんだけど」 「当選者の頭の中には、例の中世ヨーロッパ風学園乙女ゲーム的なシナリオがしっかりあるのでしょう。でも、我々には詳細はわかりません。……ただ、この五つの文に関しては神の力が及びます」 「神の力?」 「契約者がこの文の内容をこなさなければ、履行したことになりません。正式な契約時には指輪を渡しますが、著しく契約を逸脱するようなら指輪に宿る神の力で補正が入ります。つまり、間違いようがありません。安心してください」  では、ニーナの行動が違うことで不具合や契約違反にはならないということか。 「それ、頑張ってヒロインをしてもしなくても、結局変わらないってこと? あとは、学園に通うって簡単に言っているけど。手続きとか、色々用意する手間とお金とか、ないわよ。」 「必要経費は出すし、手続きも必要ありません。それから、時々俺が来ますし、頑張っている分は上乗せするようにしてもらいます。……これで良いですか?」 「それと『ヒロインの魅力で虜』って。そんなものないから、どうしようもないんだけど。それとも、契約すると突然顔が変わって美少女にでもなるの?」  ニーナは象牙色の髪に珊瑚の瞳と、色合いの美しさはまあまあ悪くない。  だが、肝心の容姿は可もなく不可もない、ごく普通のものだ。 『魅力で虜』だなんて、さらっと契約文に書いてあるが、ある意味これが一番難しそうだ。  もし顔が変わるというのなら、今までのニーナを知っていた人はどうなるのだろう。 「……そのままで大丈夫じゃないですか」 「ちょっと、投げやりなこと言わないで。悪役令嬢は才色兼備なんでしょう? 対抗するの、無理があるわよ」 「何故ですか?」  白猫の返答に、思わずニーナはため息をついた。 「だから、あっちは美少女なわけでしょう? ヒロインが十人並みで、話が進むの?」 「可愛いですよ」 「……は? 何が?」 「あなたが」  美しい白猫とニーナの間に、たっぷりと沈黙が流れた。 「……そうね。猫に人間の美醜を判断させようとした私が、間違っていたわ」 「それくらい、わかりますよ」  白猫は心外だと言わんばかりに尻尾を揺らしているが、そんなの可愛いだけだ。  ああ、撫でたい。  撫で回したい。 「うん、ありがとう。私、猫からすれば悪くない顔なのね。これから野良猫に声をかける自信になったわ。さすらいの猫ハンターになるわ」 「その前に、ヒロインになってください」  「待って」 「……まだ何か?」  猫なのに表情で面倒臭いという気持ちが伝わる。  やはり、妙に人間臭い態度の神の使いだ。 「あなたの名前を教えて」 「え?」 「神の使いのようなもの、とかじゃなくて、あなた個人……個猫? とにかく、あなたの名前。これからお世話になるんだし、せっかくだから知りたいわ。あ、知っているだろうけど、私は、ニーナ。ニーナ・スカリオーネよ」  目を丸くした白猫は、暫し考えると、小さく呟く。 「……エド」 「エド。良い名前ね」  ニーナは握手をしているていでエドの足を握って、肉球を堪能する。 「魅力的なヒロインは難しいけど。私、頑張ってちゃんと悪役令嬢にざまぁされるから。改めてよろしくね、エド」  精一杯の笑顔で挨拶すると、エドは満足そうにうなずいた。 「はい。契約成立ですね。よろしくお願いします、ニーナ。……これが契約者の指輪です。契約完了まで外すことはできません」  渡された指輪を左手の中指にはめてみる。  シンプルな銀色に小さな青い石が埋め込まれていて、綺麗だった。
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