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5 一般論は大事です
「どうせ何かをするのなら、役に立った方が良いわよね」
ということで、翌日からせっせと掃除を始めた。
掃除くらいしかできることがないし、それ以外にやることがないとも言えた。
校舎は綺麗だが、更に綺麗になる分には問題ないだろう。
一応講師に許可を取ると大変に驚かれたが、貴族の子息令嬢が通う学園なので、前例がないのだろう。
何故わざわざ掃除をするのかと聞かれたので、契約の都合により清掃したいと伝えるとあっさりと認められた。
どうやら学園側と掃除の契約をしていると勘違いしたようだったが、当たらずとも遠からずなので放置することにした。
「さて。まずはこの階段の手すりを拭きますか」
掃除は上からが基本とはいえ、天井は軒並み高くてとてもニーナが手出しできそうにないので諦めた。
バケツを置くと、かたく絞った雑巾で手すりを拭き始める。
ある程度拭いて汚れが取れたら、今度は空拭きをする。
単純な内容だが、意外と力が必要だ。
それでも、綺麗になっていく様を見るのは楽しい。
「あの、ニーナさん」
「はい?」
時間を忘れて拭き掃除に熱中していると、背後から声をかけられた。
振り返ってみると、見知らぬ男子生徒がそばに立っている。
こちらの名前を知っているのだから、クラスメイトだろうか。
だが、申し訳ないが彼が誰なのか、さっぱりわからない。
「大変そうですね。手伝いましょうか」
「いえ。楽しいので大丈夫です」
「そ、そうですか……」
男子生徒は弱々しく答えると、うなだれて立ち去っていく。
何だろう。
貴族のお坊ちゃんも、掃除に興味を持ったのだろうか。
気にせず掃除を続けたのだが、その後もやたらと声をかけられた。
制服が汚れるだの、掃除が似合わないだの、とにかくニーナに絡んでくる。
それも、男子生徒ばかり。
「……もしかして、これがヒロイン補正?」
本来なら花に水をあげるとか、美しい歌声とか、小動物に優しいとか、もっと絵面の良い魅力に男性が惹かれるのだろう。
雑巾片手に床に膝をついて手すりを拭く様は、ちょっと微妙な構図なので申し訳ない。
「……これでも良いって言うんだから、ちょっと男性不信になりそうね」
それから、物陰からこちらを覗いているクラリッサが、気になって仕方がない。
やたらと良い笑顔なのも気になるが、ほぼ丸見えの隠れ方も気になる。
あれはきっと、ニーナがちゃんとヒロインしているかを見ているのだろう。
「そもそもヒロインって、魅力で虜にして……どうするのかしら」
誰か一人……この場合は王子のディーノと恋仲になるとして。
それ以外の男性には、どう対応するべきなのだろうか。
冷たくあしらうのも何だか違う気がするけれど、八方美人でモテモテのヒロインも違う気がする。
だが、今はニーナの意見は必要ない。
あくまでも、立派なざまぁのためのヒロインを演じなければいけないのだ。
雑巾を置いてスカートの埃を叩いて落すと、ニーナはクラリッサの隠れる柱へ向かった。
「こんにちは。クラリッサ様」
「わ、私に何か用ですか?」
慌てる美少女というのも、絵になる。
言っても仕方ないとはいえ、クラリッサがヒロインで王道乙女ゲーム展開にすれば良かったのに、と思ってしまう。
おかげでアイーダの苦痛の緩和ができているので、ありがたいと言えばありがたいのだが。
「あの、一般論についてお聞きしたいのですが。沢山の男性に好意を向けられた女性はどうあるべきだと思いますか?」
「ええ?」
「意中の方以外には目もくれず、冷たくあしらうのでしょうか。それとも、皆平等に優しく対応するのでしょうか」
クラリッサは突然の質問に混乱しているらしく、言葉が出てこない。
「あくまで、一般論をお聞きしたいのです。私は平民なので、ものを知らなくて」
目を伏せて、戸惑っているように振舞うと、クラリッサはようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「そ、そうですね。一般論としては、ディー……意中の方以外に良い顔をする必要はありません。けれど、冷たくすることもないでしょう。ほどほどにキープ……いえ、普通に接するのでは?」
焦ったせいか、ディーノの名前を出しそうになっているし、キープとか本音が漏れている。
「そうなんですね、わかりました。ありがとうございます」
失言には気付かないふりをすると、ヒロインらしく微笑んで掃除に戻る。
やはり男性には声をかけられたが、クラリッサの承諾を得たので安心してあしらえるのが良い。
「わからないことは聞くのが一番ね。一般論って、大事だわ」
一通り手すりを拭いたニーナは、大変に満足した。
バケツを片付けようと歩いていると、ディーノの畑が見えてきた。
そう言えば、いくら王子とはいえ、学園に畑を勝手に作って良いのだろうか。
それとも、学園の畑を王子が手入れしているのだろうか。
「どちらにしても、珍しいわよね」
近寄ってみてみれば、雑草がちらほら見える。
何となくそれをむしっていると、つい夢中になってしまう。
今日は掃除と草むしりばかりしている。
これでは雇われヒロインというより、雇われ清掃員だ。
でも、ヒロインらしく男性には声をかけられたし、クラリッサに対応は確認できたのでまあ良いだろう。
「ニーナ? 何をしているの?」
いつの間にか背後に立っていた青藍の髪の美少年は、不思議そうにニーナを見下ろしている。
「ディーノ様こんにちは。草むしりをしています」
「……君は草むしりが好きだね」
そう言って隣にしゃがみこむディーノの手を見たニーナは、目を瞠った。
ディーノの右手の薬指にあったのは、シンプルな銀色に小さな青い石が埋め込まれた指輪。
「……契約者の指輪?」
「あれ。ニーナも?」
ディーノは互いの指輪を見ると、ため息と共に苦笑した。
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