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8 あくまでも、天下無双です
「……とりあえずわかったのは、クラリッサ様はマメだということね」
ニーナは階段を磨きながら、ため息をついた。
定期的にやってくるクラリッサに、どうにかヒロインらしく対応しているつもりだ。
表情で可否がわかりやすいのはありがたいが、ちょっと頻回なので何とかしてほしい。
あと、ネタがないなら来なくて良い。
というか、ヒロインが悪役令嬢に嫌がらせされたと吹聴するのではなかったのか。
クラリッサが嫌がらせを自作自演して、それにニーナとディーノが合わせる形になっているのだが、これで良いのだろうか。
指輪の補正も入らないし、当選者本人がやっているのだから、問題がないと言えばないのかもしれないが。
大体、公衆の面前で一人で転んだのは、どう頑張っても草むしりしていたニーナのせいにできないと思う。
遠隔で転倒させたと言っているが、そんなことができるはずもなく、ディーノもちょっと困った顔で見ている。
いちいち絡まれるニーナも疲れるが、その度に現場で意見を求められるディーノも大変だ。
遠隔転倒のフォローが「ニーナはそんなことができるなら、遠隔で草むしりしてるよ」というのはどうなのだろう。
何が凄いかと言えば、周囲も何かを察して特に異を唱えないことだ。
完全に三人の滑稽な芝居状態なのだが。
これは本当に正しいヒロインの在り方なのだろうか。
悩みながらも階段を磨く手は緩めない。
隅の汚れが綺麗に取れると、気分も晴れやかだ。
もう、こんなところに癒しを求めている時点で、疲れていると言って良い。
「でも、お母さんの調子が良いのは、このおかげだから」
実際、アイーダの調子は良い。
病気自体は進行しているとわかってはいるが、それでも笑顔で花壇を手入れしたり家事をこなす様子を見ると、こちらも笑顔になってしまう。
アイーダのためにも、立派なヒロインを演じ、立派にざまぁされるのがニーナの役目だ。
気合を入れなおして階段を磨いていると、聞き慣れた声が近付いて来る。
どうやらクラリッサが、またやってくるらしい。
「……そう言えば、契約文には『嫌がらせをされたと吹聴し、悪役令嬢は孤立する』ってあったわよね。ということは、私が嫌がらせをする必要はないけれど、嫌がらせをされたとアピールする必要はあるわけね」
ならば、それもこなしておいた方が良いだろう。
今回は何をされるかわからないが、アピールしやすいものだと良いのだが。
「あら。ニーナさん、だったかしら。床に這いつくばっているのがお似合いですね」
「はい。ありがとうございます」
とりあえず返答しながら、周囲を見渡す。
数人の生徒が様子を見ているが、目当ての人物はまだ見当たらない。
今はまだ、アピールするべき時ではないということだ。
「大体、階段を磨くなんて、制服が汚れるではありませんか」
「上手に磨けば大丈夫ですよ。コツを教えましょうか」
「必要ありません。私を誰だと思っているんですか」
誰かと言えば。
ラッキー転生キャンペーンの当選者にして、才色兼備の悪役令嬢。
「天下無敵のクラリッサ・テッサリーニ様ですね」
「てん……? 妙な呼び方をしないでください」
美しい顔を曇らせるクラリッサの向こうから、疲労の色を隠せないディーノがやって来た。
これは、アピールチャンス到来である。
「そんな! 私は、そんなつもりじゃありません!」
周囲とディーノの気を引くために、わざと大きい声を上げる。
一瞬怯んだクラリッサだが、すぐに期待に満ちた眼差しをニーナに向けてきた。
「どういうことですか。もう一度言ってください、ニーナさん」
ノリノリのクラリッサがニーナを挑発してくる頃には、ディーノがすぐそばまで来ていた。
「クラリッサ様は、天下無双のクラリッサ・テッサリーニ様ですよね? 天下無敵と間違えて言って、すみませんでした」
「え?」
周囲の生徒とクラリッサが目を丸くしている中、ディーノだけが笑いを噛み殺している。
「……クラリッサ。君が天下無双のクラリッサだということは、皆知っている。それくらいの間違いは許してあげたらどうだい?」
「ええ? ディーノ様、これは。いえ、その。……そんなつもりでは……?」
クラリッサはどうにか嫌がらせを吹聴されたという対応を取ろうとしているらしいが、混乱が勝っていて上手く返答できていない。
ここは、ヒロインとして悪役令嬢を助けなくては。
「ディーノ様、良いんです。怒るのは当然です。クラリッサ様は世の中につりあうものが存在しないほど優れているのですから、天下無双でなければいけないのです」
「ニーナ。そんなに思いつめなくて良いよ。無敵でも無双でも、ほとんど変わりはないのだから」
どうにか笑いを堪えたらしいディーノが、主旨を理解してニーナに合わせてきた。
「そんな、いけません、ディーノ様。私が悪いんです。クラリッサ様は無双なんです」
「そうか。君がそう言うのなら信じよう。クラリッサは今日から天下無双のクラリッサだ」
「ディーノ様、ありがとうございます」
「……ということで、天下無双のクラリッサ。そんなに怒らずに、ニーナを許してあげてくれ」
「え? 私は、そんなつもりでは……?」
正解を見失ったらしいクラリッサが、手探りで言葉を紡ぐ。
「そんなに天下無双が嫌なのか。もっと広い心を持つべきだと思うがな」
ディーノはそう言いながら、ニーナの手を取りバケツを持ってその場を立ち去る。
困惑するクラリッサを遠巻きに見ていた生徒の顔には、「関わりたくない」と書いてあった。
「……何なんだい、天下無双って」
階段を離れ、空いている教室に入ると、ディーノはひとしきり笑った。
「いえ、そろそろ嫌がらせをされたと吹聴しておこうと思ったんです。いっそ、バケツの水をかぶっても良かったのですが、あまりに丸見えなのでどうかと思いまして」
「それで、何で天下無双?」
「ちょうど、天下無敵のクラリッサ・テッサリーニ様と呼んでいたので。もう、これしかないかと。……どうでしょう。上手くいきましたか?」
「まあ、どうでも良いことでニーナに怒っているという形にはなったし、ある意味孤立したんじゃないかな」
「なら、良かったです」
これで、契約内容はとりあえずこなせたのだろう。
また一歩、ざまぁに近付けた気がする。
ニーナは満足して微笑んだ。
「……聞いていた通り、面白いな」
「え?」
「いや、何でもない。……今日はそろそろクラリッサも店じまいだろう。またね、ニーナ」
麗しの王子はそう言って手を振り、立ち去る。
確かに、今日も十分にヒロインしたことだし、早めに帰っても罰は当たるまい。
ニーナは夕方からのバイトに備えて、家で一休みすることにした。
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