蒼の御使い

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蒼の御使い

『わたしは かみさまの みつかい。あなたを しあわせに するために きたのです』  誰もが読んだことのある絵本。わたしたちを幸せにしてくれる、空より舞い降りる天使さま。  そんなものは(おとぎばなし)だ。 「大丈夫、あなたは天使さまになるのよ。そうして、ね、私達をお迎えに来てね」  村の大人たちが見守る中、母さんの痩せた手が励ますように俺の両肩を掴む。柔く押す力は、次第に強く、強くなって俺を前へ押し出させる。鎖の鳴る音。手足に嵌められた罪人のような鉄枷が重い。  あと一歩進めば湖がある。底の見えない澄んだ湖。太陽の下できらきらと輝く水面(みなも)もあんなに綺麗だったのに。 「……うん……」  今更もう全部遅い。最後は自分から、真っ白な顔を映す湖に足を踏み入れた。 □■□  おかしいと思ったことは一度もなかった。 「大丈夫。天使さまが助けてくださるわ」  何かにつけてそう口にする母さんへ、ふと尋ねてみる。 「天使さまって本当にいるの?」 「もちろんいるわよ」 「でも俺、見たことない」 「天使さまはね、幸せじゃない人のところに現れて幸せをくださるの。見たことがないのはあなたの幸福の証よ。母さん嬉しいわ」  笑顔になる母さんを見ながら、そうなのかと思う。  母さんがいて、友だちも、村のみんなも優しい。これが「幸せ」なのかはわからないけれど、多分幸せじゃないことはない。  そうか、これが「幸せ」。 「いつもありがとう母さん」 「なあにどうしたの突然」 「なんだか言いたくなって。そういえば、エデルはどこにいる?」  照れてきてしまって立ち去りたい気持ちから妹の所在を聞けば、見透かしたような微笑みで、けれどそれには触れずに答えてくれる。 「あの湖に行くって言ってたわよ」  村のそばに広がる森はとても深く、まだ子供である俺は幹の目印を辿って行ける場所しか知らない。迷ったら村の大人でも見つけられないかもしれないからだ。  俺の知っている場所は、村の神様が祀ってある古びた小さな祠と一年を通して花が代わる代わる咲き乱れる不思議な空間、そして。  最後の目印を進み、開けた視界に飛び込んでくる蒼。体の何倍もある広大な湖だ。  ここだけ切り取られたように一帯に木はないためエデルはすぐに見つかった。 「エデル!」  振り向いたその顔がぱっと華やぐ。 「お兄ちゃん! お兄ちゃんも見に来たの?」 「まあな。お前がちゃんと戻ってこれるか心配だし」 「もー、わたし八さいになったのに。お兄ちゃんだってたった二こ上じゃん」 「そうだな」  年齢ではあまり変わらなくとも、可愛い妹にはお兄ちゃん面したくなってしまう。直せないのだから許してほしい。  不満そうなエデルの頭をよしよししてやると、ふにゃりと嬉しそうに崩れるのが可愛い。 「ねーお兄ちゃん、ここって天使さまのみずうみなんだよね」 「うん」  この蒼い湖は、天使さまの休むところ。太陽の光が当たっている時に見える湖面のきらきらが天使さまの癒しになるらしい。だから触っちゃだめ、入っちゃだめと小さい頃から言われている。  昼間で空も晴れていて、今日は少し眩しい。 「きのうよりきらきらしてる。天使さま、今ここにいるかなあ」 「どうだろう。俺たちがいるから、今はいないかも」 「ゆっくりお休みしたいから?」 「そう」 「うーん、じゃあしあわせじゃない時しか会えないね」  残念そうにエデルの眉が下がる。 「エデルは会いたい? 天使さまに」 「うん! お兄ちゃんは?」  天使さまに会うということは、母さんの言ったことを思えば、実は良いことじゃない。その時俺は幸せじゃないってことだから。  でも、最初から幸せってことがあるんだろうか。俺が「幸せ」なのは、天使さまが一番最初に「幸せ」をくれたから、なのかもしれない。  きっとそうだ。だって、天使さまは俺たちに「幸せ」をくれるから。 「俺も会いたい」  そして、天使さまに、ありがとうを言いたい。  しかし今、湖の中で沈みながら思うのは全く逆のことだ。  天使さまに会いたいのは会いたい。けれど、もし会えたら、伝えるのはありがとうなんかじゃない。 “ 殺 し て や る ”  心の奥底からどす黒いものが沸き起こる。容量を超えて、溢れて、身体中に満ちる。水は冷たいのに全身が熱く煮えたぎっている。  こんな湖など干からびてしまうほどに。 「っ……」  口内に留めていた空気がとうとう一気に逃げてしまう。  俺にはなんの力もない。湖も深いまま。まるで底がないかのようにどこまでも落ちていく。  いるかもわからない天使さま。俺は幸せじゃないよ。あなたのせいで、あなたになれると信じた村のみんなに、母さんに殺されるんだ。 『いつまで待っても天使様は現れない……なら、私たちで天使さまを作ればいい。そういうことになったの。村のみんなで決めたのよ。大丈夫、あなたはきっと天使さまになれるわ。天使さまになって、私たちを助けてちょうだいね』  ――……。  違う。  違う違う違う。  天使さまじゃない。俺を殺すのは、天使さまじゃない。  俺を殺すのは、殺したのは、天使さまのくれる「幸せ」をほしがっている――  村の大人たちと、母さんだ。  ぷつりと何かが切れる音がした。 ■□■  気がつくと、見慣れた景色の中に俺はいた。  あの湖のある空間だ。広大なそれを前に、ひとり佇んでいる。  一瞬夢だったのかと思った。だが何か、変な感じがある。自分の体が、自分のものじゃないような。自分の知っている体とは違うような。  なんだか背中が重い。見てみよう、と横向きに立って、湖に映る自分の後ろ姿に目をやった時。 「あっちゃー、遅かったか」  遠くから知らない声が降ってきた。  大きく見上げれば、空から男の人が二人降りてくる。  背中に生えた二つの白い羽を羽ばたかせて。 「……え?」  二人の男の人は、俺の前に音を立てず着地した。  林檎のように真っ赤な髪の人と、枯葉のような色の髪がとても長い人。二人して俺を上から下までじろじろ見てくる。  そうして赤い髪の人が喋り出した。 「ダメだ、完璧に出来上がって(、、、、、、)んな。この前のやつと随分違うけど」 「共通点を探すな。もし分かりでもしたらお前消されるぞ」 「わァってるよ」  何がどうなっているのか。この人たちは誰だろう。というか人なの? この人たちの羽、絵本で何度も見た天使さまの……。 「天使、さま……?」 「ン? オウ、天使サマだけど」 「おい――」 「天使さま!!」  誰かが何かを言いかけた気がするが気にしている余裕はない。俺は必死の思いで赤髪の天使さまに願いを口にした。 「お願いです、俺たちに『幸せ』をください。食べ物がなくて、死ぬ人も出てきて、みんな『幸せ』じゃありません。お願いします天使さま、俺たちに『幸せ』を……」  顔の前で組み合わせた手が緊張と恐怖でカタカタと震える。ここには俺しかいない。俺がお願いしてだめだったら終わりだ。せっかく天使さまが現れてくれたのに、そんなのはだめだ。  お願いします、どうか、どうか。 「……こいつ何言ってんだ?」 「記憶が混濁しているようだ。この様子だと、自分がしたことも覚えていないだろうな」 「まじか……コース一択じゃん」 「……天使さま?」  俺の声が聞こえていないのだろうか。もっと大声で言うべきか。  すうっと息を吸って赤髪の天使さまを見上げる。天使さまは少し悲しそうに笑った。 「ごめんな」  ドッ、と首に衝撃。  俺は吹っ飛ばされた。突っ立った体を残して。 □■□  赤髪の天使は地面に落ちた少年の首へ歩み寄り、髪を掴んで片手で持ち上げた。 「上手くいけば後輩になれるかもしれなかったのになァ」 「上手くいった例など過去にないだろう。人為的な天使なんて、完全であるはずがない」 「俺らだって不完全だよ。……ンで、“記録”を引き出さねェとな」  赤髪の天使が少年の額に手のひらをかざす。  刹那、少年の脳に刻まれた記憶が赤髪の天使へと濁流のように流れ込む。  人間の覚えていることは多くないが、必要なのはあくまで天使になった前後、つまり直近の記憶なので、そこさえ得られれば問題ない。  あっという間に湖に沈められたところまでたどり着く。そこで赤髪の天使はあることに気付いた。 「こいつ、今朝の記憶が――」 “ 殺 し て や る ”  脳内に突如、恨みを沸騰し煮詰めて尚燃え上がっているような、限りを知らない憎悪の声が響いた。 「!!」  悪寒が背筋を駆け上り、赤髪の天使は咄嗟に少年の首を投げた。長髪の天使が驚いて少年の首を拾いに行こうとする。 「何してるんだ、私たちはあれを持ち帰らなければ――」 「拾うな!!」  鋭い声が耳を劈き思わず止まる。 「あれに触るなトーマ。燃やされるぞ(、、、、、、)」 「は……? 何言っ」  声の主を振り返る時、片腕を不自然に広げているのを見た。自然の火など効かない天使の、右腕の指先から手首までが――赤黒い炎で燃えていた。 「……は!? お前っ、なんだそれは!」 「どうやらあいつの仕業らしい」  火が燃え移らないよう右腕を気にしつつ顎で指したのは、先程投げ捨てた少年の首。  トーマは信じられない顔をするが、信じがたくともそれが真実だと気付いていた。燃える腕を視界から外さない同僚の目が状況を受け入れていたからだ。  微かに火花を散らす赤黒い炎を眺め、恐る恐る口を開く。 「シエラ……それ、消えそうか」 「どうだかな。あ、右手死んだ。骨まで燃えんのかすげェな」 「軽く言うな!! くそっ……あの湖につけてみろ! 癒しの湖のはずだ、せめて火は消えるはずだろ!」 「それマジなのか? いやそうか、こいつが出来た(、、、)んだからマジ……」  シエラは不意に言葉を止めた。陽光を浴びる蒼の湖へスタスタと近付く。  膝をついて右腕を突っ込むと、きらきらと輝く無数の光が吸い寄せられるように集まって次々潜っていき、炎を剥がしながら水中で元あった右手を形作る。光が霧散した後に現れる、単なる「癒しの力」では本来有り得ない光景。  さらに、少年の“記録”に見たあの熱情。  導き出した結論がシエラの口元を緩ませた。 「トーマ。こいつさァ」  シエラは右手で(、、、)少年の髪を掴み、持ち上げた。  先程と同じ動作で、先程とは違い楽しげな笑みを浮かべて。 「上手くいけば後輩になれるかもしんねェわ」 □■□  鎖の鳴る音が聞こえた気がする。  どこかで聞いたような。手足に感じる重みも、既に知っているような。  どこで……? 「ガキ、起きてんなら目ェ開けろ」  聞き覚えのある声がした。今度は確実に。  反射的に従ってしまい目を開けると、見覚えのある赤髪と枯葉色の髪の天使さまがいて、その奥に鉄格子が見えた。 「……え」  辺りを見回そうとし、じゃらりと近くから鳴った鎖の音にハッと自分の体を見下ろす。まるで罪人にするような鉄枷が両の手首と足首に嵌っていた。対になる枷同士が短い鎖で繋がれているせいで動ける範囲が狭い。  石造りの壁や床など、見える限りのものは汚れがなく綺麗だが、あの鉄格子からしてここは。 「牢屋……」 「お、すごいなオマエ。牢屋わかんのか。入れられたことあるとか?」 「おい……」 「本で読んだことあって……あの、天使さま。みんなに『幸せ』はくださいましたか……?」  急いて騒ぎ立つ心臓を服の上から押さえ、赤髪の天使さまに尋ねる。  天使さまはニコッと明るく笑った。この顔はきっと――。心が安堵に晴れ渡っていく。 「今この時からオマエは俺の後輩だ。俺は案外面倒見いいから安心しろよ。今日はここにいてもらうけど明日からはちゃんと部屋用意しといてやるから我慢しろな」 「え……? あの、俺の質問は!?」 「……お前、まだ気付いていないのか?」  目にかかる前髪の隙間から俺を見ながら、長髪の天使さまが言う。  言われたことの見当もつかないのに、なぜか胸の奥がざわつく。 「なん……のこと?」  赤髪の天使さまがニヤッと笑う。 「お前も“天使さま”になったんだよ」  どうやって出したのか、見上げるほどに大きな鏡がいきなり目の前にドンッと立てられる。俺が立っていたとしても全身が入るであろうその鏡は天使さまの手によって斜め向きになり、床に座り込む俺の背中側が映し出された。  これこそ夢だ。夢じゃなかったらこんなのおかしい。  俺の背中から、すごく小さいけれど、天使さまのような二枚の羽が生えているなんて。 「なにこれ!? なにっ、いたい!」 「おい引っ張るな! 痛いに決まってるだろ! というかその状態で届くのか柔らかいな」  長髪の天使さまが、肩の上から背中にまわしていた俺の右手を掴んで引き上げる。最後に何かぼそっと言われたが聞き取れなかった。  いつの間にか鏡は消えて、こちらに笑いかける赤髪の天使さまだけになっている。 「そー、生えてんの。わかった? オマエは俺らと同じ“天使サマ”。神サマの御使い」 「……そんなわけ……」  こんな時に、母さんの言葉が蘇る。 『大丈夫、あなたは天使さまになるのよ。そうして、ね、』 「っ……」  花瓶が割れたような頭痛がして頭を押さえる。頭の中の触れないところで、何個も何個も割れていく。頭が真っ白になる。  痛い、いたいよ、だれか、助けて―― 「よっ」  頭の上に手のひらの感触がした。  直後ぴたりと頭痛が止み、俺は固まってしまう。あんなに痛かったのに、手のひらを感じた瞬間、嘘みたいになくなった。  無意識に丸めていた体から頭を上げ、目の前を見る。 「大丈夫か?」  太陽のような笑顔の、赤髪の天使さま。  天使さまが、俺を助けてくれた……? 「……大丈夫、です」  赤髪の天使さまは喜ぶように笑ってくれた。お礼を言い忘れたことに気付いたが、もう天使さまが喋り出してしまった。 「ン。そんじゃ話の続きな。オマエ、湖の中で沈みながら天使サマを恨んだだろ?」 「……うん、確か」  また頭が痛む。今度は弱かったけれどつい目を瞑ると、天使さまが俺の頭に右手を乗せた。するとさっきのようにすぐに頭痛が消え、やっぱり天使さまが助けてくれたんだと思った。 「あの湖は天使サマを癒す湖だった。だからその中で天使を恨んだオマエは、天使を消す力を持った天使になったってわけだ」 「……天使を消す、って」  その意味の想像はつく。すっと血の気の引いて冷たくなった体が、初めて人じゃないものに思えた。  俯いた俺の耳にもう一人の天使さまの声が入ってくる。 「天使は死なないのだ。私たちはもちろん、お前みたいな人為的……人から天使になった奴もな。だが人が急に天使になるとそいつらは大抵おかしくなり、人に災いをもたらす。お前の村が急な食糧不足や自然災害に苦しんだようにな」 「っ……!?」 「あーれ言っちゃってんじゃん。まあいっか、偉い方々には黙っといてやるよ」  赤髪の天使さまが認めた。それはつまり、俺の村がああなったのは天使さまのせいだということ。あの時俺が憎んだ通りだったということ。  全部本当に「天使さま」のせいだったのだ。  ……そっか。 「そういう天使を殺す力が、俺にあるの?」 「オウ、だから――」  顔を覗き込んできた赤髪の天使さまの目が一瞬揺れたように見えた。  胸の奥であの時よりもずっとずっと強い炎が心を超えて燃えている。 「わかった。全部、殺すよ」  村を滅ぼした天使だけじゃ足りない。悪い天使は殺す。全部全部全部殺す。  そうしたら、ね、迎えに行くよ。大丈夫。俺はみんなを、母さんを助ける、天使さまになったから。 ■□■  牢屋を後にしたシエラとトーマは、長い長い通路を共に戻っていく。 「上手くいったな(、、、、、、、)。俺によく懐いたかわいい後輩欲しかったんだよなァ」  上機嫌に零すシエラをトーマは複雑な表情で見やる。 「確実な信頼を得るために小芝居までするとはな。あの頭痛はお前が仕込んだくせに」 「だってあんなヤツ瓶詰め保管するとかもったいねェだろ? いい加減保管庫もパンパンだし。首だけでも力残ってるせいでその辺にゴミ捨てもできねェし、マジ人間どもクソだよなー」  先程までとは明らかに声色の異なる声。少年のいない今、化けの皮は剥がれ、本性が露になる。  トーマはシエラの言葉を聞こえていないふりをした。 「だがやはり危険だろう。お前の腕を癒した湖、あれはそれなりに広大だった。しかし」 「“シエラ()が報告してる間に様子を見に行くと、水一滴も残らず干上がっていた(、、、、、、、、、、、、、、)”。だろ?」  周知の事実を述べるような口調で、見せつけるように悪戯っぽい笑みを浮かべる。  トーマの顔にほんの僅かな驚きと、苦さが滲んだ。 「……知ってたのか」 「いンや予想してた。炎は水に消されるんじゃなく剥がれて(、、、、)いったからな。あいつの炎は俺の腕から水中に燃え移った(、、、、、、、、)んだ。ンで干からびた後の土地は水深五メートルもなかったんだろ」 「……ああ、五メートルどころか二メートルもなかったよ」 「けどあの時俺らにもあの水溜まりは深く見えた。何より天使()の手を作った。かなり良い設備だったな。惜しいことしちまったかァ?」  口先では惜しがりつつ、シエラの楽しげな表情にも飄々とした雰囲気にも乱れることのない歩速にも、どこにも未練は見当たらなかった。  実際シエラに未練はなかった。あの強力な湖が再び天使の製造に使われでもしたら大変だし、天使たちで管理するのも手間だし、それに一番の理由は、作り直された右手に湖の癒しと、制裁の力が宿ったからだ。  もちろん一身にその力を受ける少年には劣るが、まだ幼く力の弱い少年相手には十分だった。憎しみの対象が天使でなくなるような記憶に触れそうになると制裁の力が働く。それは細工をしたのと同じ右手の癒しの力でなければ治せない。少年を自分に繋いでおく、見えない枷。  もっともシエラが手を加えなくとも、人から天使になった少年は他の例と同じく壊れていた。少年が正常であれば、人により生み出された天使――人為的作為天使の殲滅を誓うより先に村へ行こうとするはずだ。村が滅んでいることは少年に言っていないのだから。  しかし覗き込んだ少年の目には殺意しかなかった。かえって魅入ってしまうほどの純粋な殺意。少し面食らってしまったが、あれはむしろ好都合だ。  あれくらい盲目なら、人為的作為天使の本当の影響に気付くこともない。 「まァ上手くいったんだから、間違っても“あのこと”は言うなよー」  気の抜けた喋り方に騙されてはいけない。シエラの纏う空気の変化に気付けなければ、すぐにでも己はなくなる。 「……ああ、分かっている」  天使には生まれながらに神より与えられた天命がある。天命を全うすることは天使の責務であり、生きている限り縛られ続ける。また天命を果たすまで天使は死ねない。  シエラはこれを逆手に取って、天を治むる主君である神と交渉した。  すなわち、神よりの天命を果たせば天使は死ぬ。故に天命を持たぬ人為的作為天使の少年にここで天命を与え、約束された死を課せばいい。加えて天命をシエラの使用目的と同じくすれば、途中で少年が心変わりした場合の不安要素もなくなる。よって神はシエラの申し出を受け入れ、意識を取り戻す前の少年に天命を与えた。  少年の天命は――「他の人為的作為天使の抹殺」。  ()の彼も望んでいる天命だが、もし記憶の直ることがあれば。 「……どちらにしろ、救いのない話だ」  トーマの呟きを拾ったシエラは、からかうようにニヤリと笑う。 「なに、同情してんの? 生き残りの妹の実験にも真顔だったもんなオマエ」 「……お前は、何をするつもりだ」  己たる感情を表から消し、機械的にトーマは問う。  きょとんとした顔になったシエラは次いで悩むようにうーんと声を出し、果てに明るく笑った。豊かな表情という嫌味だった。 「天命の忠実な遂行?」 「シエラさまとトーマさまか。二人も俺の名前、覚えてくれたかな」  少年の名はレアン。蒼き湖の使い御う、壊れた人為的作為天使。  望むより先に与えられた天命も、その先の不可避な死も知らずに、笑った。
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