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いつしかどこからかついて来た犬らしき生物と、何故かも知らず、良く判らぬ浜辺の様な場所に居る。
己は最早正気では無いらしい。
或いは、脳が半ば溶け落ちて仕舞っているのか、腐りつゝあるのか。
思考が働かぬ。進むも戻るも無い、昨日も明日も無い、漫然としたこの浜辺の風景の中に、丸きり閉じ込められて仕舞ったかの様に、ぼんやりと只管に時を潰しているだけだ。
ざざん、ざあ、ざざん、ざあ。
何も教えようとはせぬ、たゞ打ち寄せるだけの波。
何処までも続いていく、広々と開放的に見えてその実完全に行き止まりの、たゞのっぺりとした空と海。
そして矢張り後方を制圧して居る、あの生物。物言わずぢっと此方を見つめる、得体の知れぬ深く黒い瞳。
理由も判らず、何も考えられず、生きたまゝ死んでいるかの様では無いか。
如何して己はこんな鈍詰まりの状況に気付かず、漫然と受け入れていたのだろうか。
気が触れて仕舞いそうだ。もう、耐えられぬ。
……ううぅおおおおおおおお!!!
堪え切れず、己は遂に、砂の上に座り込んで、叫び声を上げた。
自分のものどころか、人のものとも思えぬ、畜生の様な轟きが、一帯に響き渡る。……然し、瞬く間にのっぺりとした風景の内に呑まれ、波音に砕け、消えて仕舞う。
然し、己は遂に耐え切れず漏らした自らの慟哭によって、微かに、頭の中に何かを手繰り寄せた。バラバラに崩れ少しも手掛かりを見出せなくなっていた記憶の、或る程度まとまった断片に、触れた様な気がした。
己には、こんな風に取り乱して叫んだ事が、在った筈だ。
いつだ?
何処でだ?
少なくとも、此処ではない。
失われ、或いは封じられて全く引き上げられなかった過去に、確かに、こんな経験が在った筈だ。
思い出せ。
想い出せ。
憶い出すんだ。
己にとって、大事な人の記憶だろう。
忘れてはならぬ相手の事だろう。
あゝ、そうだ。
余りにも深い哀しみ故に、
余りにも苦い苦しさ故に、
自ら、蓋を被せて仕舞って居たのだ。
一生を添い遂げようと誓った相手を。
この身を捧げても惜しくは無い、そう選んだ想い人を。
その、顔を。
その、声を。
その、温もりを。
重ねた日々を。
培った情愛を。
そして、その終焉を。
永遠に喪失して仕舞った、その受け止め切れぬ出来事が為に。
今の今まで、ごっそりと自らを削ぎ落として仕舞い乍ら。
流れ流れて、空っぽのまゝで過ごして来たのだ。
再び己に、唸り声の様な吐息が抑え切れず込み上げて来る。
真実の尾を掴んだ途端に、堰を切った様に溢れ出す、大切で、それ故に悲痛な記憶が、漆黒に包まれたこの身体に押し寄せる。為す術無く翻弄される。
然し、総て受け止めねばならぬ。受け入れねばならぬ。
もう、二度と、忘れてはならぬ。
ざざん、ざあ、ざざん、ざあ。
辺りには、たゞ、波の音だけが響き渡るだけだ。
己は、最早ぼろぼろと零れ落ちる嗚咽のまゝに、全身をのた打ち回らせ乍ら必死で手繰り寄せる。やっと取り戻した、美しくも辛く、哀しくも暖かい、喪われた日々の思い出を。
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