35人が本棚に入れています
本棚に追加
散歩なんて、大して好きじゃなかった。
もともと、体を動かすことも好きではないし、運動で体が喜ぶあたりの年齢も、とうに過ぎ去って久しい。
多少歩いたところで疲れるだけで、決して体に良いこととも思えなかった。そういうことは、色々なものに満ち満ちている若い段階でなければ、逆に体が悲鳴を上げるだけで、何の意味も無いと思っている。
にも関わらず周囲は、運動しろ、運動しなければいずれ体も衰える、とうるさい。自分以外の体に対して何故そんなに興味が持てるのかはわからないが、そもそも、そういうことは体が衰える前に言ってほしい。ただ、私を心配しての言葉だと思えば、無下にもできないというのも本音ではある。
幸いにして、一応まだ体自体は充分に動く。外を出歩いて心配される程の年齢でも頭の状態でもない。それに1日中、家でのんびりしている程の気の長さも無いので、退屈しのぎとしては良い時間潰したとも思い、私は周囲の口車に乗って、散歩に出かけることにした。
しかし当然、何一つ楽しくはなかった。
珍しくも新しくもない景色の中を、ただ延々と歩く。目的もなければ、歩く理由も無い。
何が楽しくて無駄に歩くのか、ほとほと疑問は尽きなかったが、嫌々ながらも続けるうちに、いつの間にか散歩自体が日々の習慣となってしまい、なんだか止める機会を失ってしまった。
楽しくもない習慣ではあるが止めるきっかけを失ってしまった、そんな状態が長い間続いている。
毎朝7時から30分程。毎日決まった経路を練り歩く。何かをするわけでもなく、ただただ歩く。それ自体には何の楽しみもないけれど、私はただただ歩いていた。
最初のコメントを投稿しよう!