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思わず路面へ視線を落とすと、ちょうど女の両足のあいだに赤黒いしみのようなものが見てとれた。不気味に思いながら女の内腿に視線を移すと、ワンピースの裾から、赤い液体が伝い落ちていた。
………血だ。
根拠も無く確信し、まさか経血ではあるまいかとバカなことを考えながら視線を戻すと、女の首筋には乾いた血がこびりついていた。慄然とした私は、今になってようやく、女の着ている赤いワンピースが真っ白な生地に赤黒い血が大量に付着しているものだという事実に気づかされた。
「……いや……芸術とやらには興味が無いので……見るのは……やめておくよ」
「そうですか。仕方ありませんね。強制はわたしの趣味ではありませんから。でもやっぱり残念です。あなたになら作品の素晴らしさを十分に理解して頂けたと思うのですが」
残念そうにする女に底知れぬ恐怖を覚えた私には、風に揺らめく赤いワンピースがもはや悪魔より邪悪なものにしか思えなかった。
「いや、本当に申し訳ない」
「はい……あの、最後にひとつだけよろしいですか?」
「う、うん。なにかな?」
「ヘビとクモ、どちらがお好きですか?」
「え?」
「地を這うヘビと糸を生むクモ。どちらがお好きですか?」
女の質問に、なぜか覚えがあった。
「えっと、どちらかというとクモかな。いや、よく分からないけどね」
「……そうですか、ありがとうございます。あなたのその言葉を、わたしはもういつだったのかも忘れるほど昔から待ちわびていたのです。クモ、クモ、クモ……」
クモと唱え続ける女から目を離せないまま、何か重大な過ちを犯したのではないかと、暗澹とした気分になる。
「う、うん。よく分からないけど、それは良かった……じゃあ……これで」
私は逃げるように走り出し、商店街へ抜ける道までたどり着いてから振り返ると、ビルのあいだから首だけを突き出してこっちをじっと見つめる女の顔が見えた。
女の口は、まだ動いていた。
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