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笑い疲れた慎吾は、ベッドから這い出して奈緒子に手を差し伸べた。
「ありがと」
その手を掴んで這い出した奈緒子が、また笑った。
「あの人たち、大丈夫かなあ」
「大丈夫でしょ、ウソなんだから」
「そうだね。でも、おかしかったー」
「ホント、おっかしかったー」
また笑いがこみ上げてきて、慎吾は腹を抱えた。
こんなに笑ったのは久しぶりだった。
奈緒子が心の底から笑うのを見るのも、久しぶりだ。
「あーあ、ワチコちゃんたちもいればよかったのに」
「そうだね」
ふたりに聞かせてやったら、さぞ羨むにちがいない。
ふと、部屋の入り口から視線を感じた。
だれか戻ってきたのかと思って目をやると、血よりも赤いナニカが揺らめきながら廊下を横切っていった。
「え、いまの……」
「なに?」
「あ、赤いのが、とおり過ぎたんだけど」
「ちょっと……やめてよ」
「で、でもホントに」
「だからやめてってば」
さっきまでの空気が一変して、にわかに恐怖が包み込む。
見間違いのような気もするけれど、たしかにナニカが横切った。
「血塗れナース、かな……?」
つぶやく奈緒子は、恐怖で青ざめていた。
「や、やめてよ」
タローたちのけたたましい咆哮が、まだ遠くから聞こえる。
気づくと慎吾は、奈緒子の手を引いて走り出していた。
絡みつく闇の中を必死に走り続ける慎吾の脳裡には、「握り返してくる、この柔らかく壊れそうな手だけは、絶対に離さない」という、目羅博士の台詞が何度も鳴り響いていた。
「ハア……ハア……でも、なんだったんだろ……?」
外へ出て、息も絶え絶えに膝へ手をついた奈緒子の言葉が、暗闇に力なく消える。
慎吾は息を切らしながら振り返り、廃病院を見上げた。天を衝くほどの不気味な威容に、膝が笑う。
「ホントに見たの?」
「たぶん……」
自信なんてないけれど、あの刺すように冷たい視線はたしかに本物だった。
「やっぱり、血塗れナースかな?」
「そこまでは分からないけど、赤いナニカは通っていったと思うんだ」
「でも見るの今日が初めてだよね。いままでは、なんで出てこなかったんだろ?」
疑問に答えを出せず眉間にシワを寄せると、
「チャーってば、なんか変な顔になってるよ」
と、奈緒子に笑われた。
「でも、よかった」
「なにが?」
「チャーが一緒に来てくれて」
「え?」
「ひとりだったら、どうなってたか分からないもん」
「あ……そ、そうだね」
右手に残る感触に頬を赤らめ、不器用に笑みを返すことしかできなかった。
「帰ろ」
「う、うん」
夜空は曇りで、星はひとつも見えない。
だけど今は、星なんていらなかった。
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