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30:屋上
廃病院へと続くフェンス迷路を歩きながら、慎吾は隣を歩くワチコをそっと見た。セトくんの家をあとにしてからワチコはずっと押し黙っていて、足取りも重いように感じた。
ワチコに合わせてゆっくりと歩いているうち、胸に「ほんとうにセトくんに会いに行ってよかったのだろうか?」という不安が湧いた。セトくんの心の痛みを抉り、ワチコの隠していた秘密を晒けださせ、それらに「元気でね」という白々しい言葉だけでケリをつけてしまったんじゃない
だろうか?
「なあ」
ワチコが急に立ち止まり、顔を上げた。その瞳が、赤く腫れ上がっている。
「な、なに?」
「これでよかったんだよな?」
「う、うん。分からないけど……たぶん、よかったんだと思う」
「そうか、そうだよな」
断言なんか、できなかった。
廃病院に着き、奈緒子にどうやって報告すればいいかと考えながら207号室へ入ると、いつの間に来たのか直人もいて、奈緒子の「血塗れナースはいるかもしれない!」という話を、小バカにした笑みを浮かべながら聞いていた。
「今日は来たんだね」
「あ、おかえり」
「じゃあ、キャッチボールやろうぜ」
ふたりの気持ちを知ってか知らずか、呑気に笑った直人が言う。少しムッと来たが、ふとそれが、実は直人の優しさなのではないかと思い直した。
「う、うん」
「よし、じゃあ行こうぜ」
グローブを慎吾に放り投げて、直人が207号室を出ていった。
直人に続いて中庭へ出ると、すぐにボールが飛んできた。
「久しぶりだな、キャッチボール」
「そうだね」
何気ない会話を交わしながらキャッチボールを続けているうちに、いつの間にか上達しているのに気づく。
「家で練習でもしてたのか?」
「ううん、してないよ。なんでだろう?」
「おれに聞かれても分かんねえよ」
「アハハ、そうだね」
「成長したんじゃないか?」
成長、したのだろうか?
分からない。だけど、そんな気もする。
「これでもう、キャッチボールは大丈夫だな」
「うん」
力いっぱい放り投げたボールが、直人のグローブに気持ちのいい音を立てて収まる。
ふと、セトくんとはキャッチボールなんかしなかったなと寂しい気持ちになった。
ついさっきのことなのに、セトくんの部屋のドアの木目さえおぼろげになっている。そういうものなのだろうか? あれだけ気にして緊張して悲しくなったのに、かつての親友の顔すらよく思い出せないなんて。
もしかしたら、自分はとんでもない薄情者なのかもしれない——
——気づくと、世界が滲んで見えていた。
「大丈夫か?」
目の前で、滲んだ水彩画みたいな直人が心配そうにしている。
頬に流れる涙を左手で拭って見ると、陽光にきらめいていた。
「大丈夫だよ……でも……なんでだろう……止まらないんだけど」
涙を、止めることができなかった。
拭っても拭っても、尽きることなくあふれ出してくる。
なんで泣いているのか、自分でも分からなかった。
悲しい気分じゃないのに、ぜんぜん止まらない。
夏休みに入って、もう何度目の涙だろう?
心配する直人に促されて鼻を啜りながら207号室に戻ると、ワチコが奈緒子の胸に顔を埋めて泣いていた。
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