30:屋上

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 たぶんワチコがあんなに『失恋大樹』にこだわっていたのは、自身もセトくんの名前を書こうとしていたからなのだろう。結局、ワチコが名前を書くことはなかったけれど、それでもおなじ罪の十字架を背負い続けていたのだ。  セトくんが学校に来なくなって寂しいだとかいう自分の憂鬱なんて、ワチコの胸に重くのしかかる苦悩とは比べようがないくらい軽いものだったのだ。 「チャー、大丈夫?」  奈緒子が心配そうに見つめてくる。  慎吾は曖昧な笑顔で、 「ごめん、ちょっと屋上に行ってくる」  と言って、207号室をあとにした。  屋上のドアを開けると、切ったばかりのオシャレな髪を夏の風が(あざけ)るようにクシャクシャにしていった。屋上へ出ると中央に青いバケツがあり、中を見ると、ほとんど蒸発しかかった黒い水に花火の残骸が何本も浸かっていた。 「一緒にできなかったね」  声に振り向くと、奈緒子が長い黒髪をなびかせて微笑んでいた。 「うん」 「やりたかった?」 「うん……まあね」 「こっち来て」  言って屋上の端へ行った奈緒子が、なにを思ったのか、そのまま柵を飛び越えた。 「ちょ、ちょっと奈緒子、危ないよ」 「平気だって。チャーも来なよ」  幅の広くない(ふち)に座り、足をぶらつかせながら慎吾へ手招きする奈緒子。 「……分かったよ」  慎吾も恐る恐る柵を乗り越えて、奈緒子のとなりに腰を下ろした。 「怖い?」 「怖くないよ」 「でもここから下を見てみて。意外と高いんだよ。落ちたら死んじゃうかも」 「や、やめてよ、そういうこと言うの……」 「……セトくんのこと、もう大丈夫?」 「……大丈夫じゃないよ。ずっと気になってたし、それにさっき会いに行ったときも、ぼくが思ってたより……なんていうか……すごくあっさりお別れを言っちゃったんだ。もっとホントはいっぱい話したかったのに、なんにも言えなかった。それをこれからずっと、あれで良かったのかなって考えちゃうと思うんだ」 「しょうがないよ、それは。でも会いに行かなかったら、もっともっと後悔することになってたと思うな。これで良かったんだよ、きっと」 「……そうだね」  奈緒子の言うとおりだ。  これからさき、何度もセトくんのことを思い出しては胸が痛くなるのだろう。 「今日の夜は、《バラバラ女のイタズラ》はやめよっか?」 「う、うん。明日は?」 「明日もいいかなあ。でも夜はここに来てほしいんだけど」 「なんかやるの?」 「うん、ちょっとね」  はぐらかした奈緒子が、意味ありげな笑みを浮かべながら柵を掴んで立ち上がる。 「立って」 「う、うん」  へっぴり腰で立ち上がると、遠くに町が一望できた。 「知らなかったでしょ?」 「うん、なんか、すごいね」  ここから見える町のすべてがちっぽけで、慎吾はもっとちっぽけだった。
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