クラウド・ナイン

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 私が「無理、嫌だ、今すぐ離れて」と言った場合、いったい安達はどうするつもりだっただろう。選択肢なんて、あるようでない。くそ、最悪だ。  最寄り駅に着いた頃には、安達のやさしい香りが私にまで移ってしまったんじゃないかと思うくらいだった。ホームに降り立ち体を伸ばす。私たちの横を通り過ぎ、改札口へと向かう学生の群れを見た安達は、 「二度とこの時間に帰らねー」  と、照れ臭そうに笑って言った。離れてしまった距離が余計に羞恥心を盛り上げる。安達につられて、私の笑顔もひきつった。 「疲れたから、ちょっと休憩して帰る」  と言ったのは、別に何も、ホームから見える沈む夕日が綺麗だからだとか、潮風が運ぶ春の匂いに包まれたかったからだとか、そんな理由ではない。ただ、そう言えば、もう少し安達と一緒にいられるのではないかと思った。  私がホームの椅子に座ると、「じゃあ俺も」と安達が隣に座った。  人が去ったホームは静かだった。ゴミだらけの線路を鳩が歩き、駅前の大きな公園の木々をゆるい風が揺らしている。やさしい春の匂いには包まれない。まだ、シャンプーの香りが傍にいる。アナウンスが流れる。轟音を鳴らしながら行く貨物列車が通過したら、言おう。 「中学って、ほんとに最低だったね」  私が言うと、細い川と大きな海が繋がっていることが当たり前であることと同じように、安達は「うん」と頷いた。  彼も、この瞬間を待っていたのだ、と思ったときにはもう止まらなかった。 「どこまで知ってる?」 「どこまでって?」 「たとえば、竹内さんが、ひどいいじめに遭ってたこととか」 「千田さんの好きな人に竹内が告白されてそれでいじめられて、転校したってところまで」 「全部じゃん」 「そうなのかな」  夏休みに入るまでは、竹内さんは上手くやっていた、と思っていた。けれど二学期が始まると、いつの間にか一人になっていた。トイレでたまたま聞こえてしまった話では、 「美月ってかわいいけど、合わないよね」 「つまんないし」 「話通じないしね」  ということらしい。 「そんなに言うほどかわいい? 男子ってほんと、わかんないよねー」  そんなことも言われていた、気がする。  夏休みが終わり、竹内さんは一人になった。とは言っても、元々いたグループから外れたくらいで、クラスの皆から無視されるというほどのことはなかった。
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