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10年後の初秋の夕方、帝都理科大学のキャンパスの隅のベンチに女子学生が座っていた。
そばを遠山准教授が通りかかると、一羽のカラスが女子学生めがけて舞い降りるのが見えた。遠山は急いで背後から女子学生に駆け寄った。
「おい君、大丈夫か?」
女子学生は右肩の上にカラスを止まらせた格好のまま、驚いて振り返った。
「あら、生物学の遠山先生。どうかしました?」
「いや、カラスが君に襲いかかったんじゃないかと」
「ああ!」
女子学生は左手に持ったライムギパンをカラスの口元に差し出しながら笑う。カラスはそのパンをくちばしで突っついて食べ始めた。
「この子は私になついているんです。時々こうやって餌をあげに来ているんです」
遠山は呆気に取られて行った。
「君が飼っているのか? そのカラスを」
「いえ、飼っているわけじゃありません。野良ですよ。私は鳥、特にカラスに好かれるらしくて」
カラスがあらかたパンを食べ終えると女子学生はベンチから立ち上がり、指でトントンとカラスの脚をたたく。カラスはパンの最後のかけらをくわえたまま、大きく羽ばたいて空に飛び立った。
遠山は飛び去って行くカラスを見上げながらつぶやいた。
「カラスは特に知能が高いと言うが、ここまで人間に慣れるものなのか」
女子学生は遠山の前に来て姿勢を正し、ちょこんと頭を下げた。
「私は理学部2年生の稲垣沙也加と言います。あの、ひとつお願いがあるんですけど。遠山先生は地学研究科の渡教授とお親しいと聞いたもので」
「ああ、渡先生ね。まあ、親しいと言うか、一緒にいろいろ活動した事はあるんだ」
「私を渡先生に紹介していただけないでしょうか? 渡先生のフィールドワークに同行させていただきたくて」
「え? そりゃまあ、引き合わせる事ぐらいは出来るが、どうしてなんだい? 君は渡先生のゼミ生というわけではないんだろう?」
「今回渡先生が行かれるのは岡山県の山ですよね。10年前にあそこで飛行機事故があったのをご存じですか?」
「ああ、僕はまだ学生だったから詳しくは知らないが、原因不明の旅客機墜落事故だったかな。生存者はわずか数人だったとか」
「実は私はその中の一人なんです。あの事故の生存者の一人だったんです」
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