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キスマークは残さないで
「俺と付き合ってほしい」と言ったのは君島光樹。
「君が好きだ」と言ったのは菅原浩介。
だから私は今、2人の男と付き合っている。
***
「安藤さんってさぁ、合コンとか興味あったりする?」
「合コン?」
いわゆる、花の金曜日。終業後のロッカールーム、念入りにメイクを直す同僚がそう口を開いた。
「いや、これからやるんだけど、友達が1人急用で来れなくなっちゃって。安藤さんさえよければどうかなって思ったんだけど、どう?」
「ごめん、今日はもう予定が……」
「だよねー。急に変なこと言ってごめんねえ」
同僚はポーチから口紅を取り出す。あんなに小さいポーチなのに、たくさんのメイク道具が入っているのは純粋にすごいと思ってしまう。私の鞄の中には最低限のものしか入っていないのに。口紅と、あぶらとり紙と、コンドームと替えの下着。あとは財布とスマホ。
私は会社の制服を着替えるため、ブラウスのボタンを外していく。
「安藤さん、もしかして、デート?」
「え?」
「あ、不快になったらごめんね」
女同士でもセクハラってあるもんね、と同僚は付け加える。私は「まあ、そんな感じ」と答えた。
「わ、まじ。てか、彼氏いたんだ! ……あ、これも失礼だね」
「いいって。そんなの気にしてないから」
「ごめんね、なんて言うか意外で」
鏡に映る私の姿は、黒髪のセミロングにあまりはっきり化粧を施していない顔面。そして眼鏡。見るからに地味、男っ気なし。同僚がそう思っても仕方ない。私は微笑んで、申し訳なさそうに眉を下げる同僚をフォローした。
「でも、安藤さんみたいな人が堅実な男と付き合って、幸せな結婚するんだよね。私の高校の時の同級生もそう」
「へー」
「どんな人なの? 彼氏」
「別に、フツーの人だよ」
私が少しだけ言葉を濁したのを彼女は気付かなかったみたいだった。私はカットソーにフレアスカートという大して代わり映えのしない服に着替えて、会社のロッカールームを出た。スマホを見ると、グループトークのルームに一件メッセージが来ていた。
『早く来い』
それだけ。その素っ気なさがおかしくて、愛想笑いじゃない、自然な笑みが溢れていた。
電車を乗り継いで向かうのは、繁華街の中で一番大きなクラブ。中に入るとダンスホールから騒々しい音楽と歓声が聞こえてきて、思わず耳を塞ぎたくなる。何度もここに来ているけれど、この賑やかすぎる音には全く慣れそうにない。私は真っ黒な扉の前に立つスーツ姿の男性に近づいた。声をかける前に彼が気づき、そのまま「どうぞ」と中に通される。防音のドアが閉められると、フロアの喧騒とは隔絶される。私はその奥にある部屋に進んでいった。
「ごめーん、遅くなった」
待ち合わせ場所はVIPルーム。そこにはもう2人が来ていた
「おせーんだよ」
というのは、君島光樹。このクラブをシメる半グレグループの幹部。腕にびっしりと彫られたタトゥーをこれでもかというくらい見せつけてくる。
「十和子ちゃん、お疲れ様。仕事、忙しかったんだね」
そうフォローしてくれるのは菅原浩介。有名私大で経済学の研究をしている若き准教授。最近は情報番組のコメンテーターとしての顔を持つ。
決して相容れない2人は、私を通じて関係を持つようになってしまった。
「あれ。もうないじゃん」
今日は光樹から「いいワイン入ったから一緒に飲も」なんて誘われたから来たのに、その赤ワインのボトルはすでに空っぽ。私が飲む分は無くなってしまっている。
「だって、十和子おせーんだもん」
「だからって全部飲むことはないじゃない、ちょっとくらい残してくれたっていいでしょ。楽しみにしてたのに、けち」
ソファに座った私が頬を膨らませて怒ると、浩介はお腹を抱えて笑った。
「僕の分あげるから、ほら」
浩介の近くに置かれているワイングラスの中に、一口分の真っ赤な液体が残っていた。私がそれに手を伸ばすと、浩介はその手を自身の手で絡めとる。空いている手でグラスを持ち、ワインを煽った。そのまま私を強く抱き寄せ、顔を近づけた。私は目を閉じる。
「……ん」
口の中に生温い液体が流れ込む。ゆっくり飲み込むと、華やかな香りが鼻を通っていく。本当に美味しい。もっと飲みたかったな、そう思った私は舌を伸ばす。浩介は私の腰を抱き、体を寄せて口づけをさらに深くさせる。
柔らかな彼の舌が、口内をまさぐっていく。粘膜同士が触れ合う水音すら気持ちいい。浩介の手のひらは腰だけじゃなくて、背中、首筋をゆっくり撫でていく。心地よくなってきたとき、視線を感じて私たちは唇を離した。
「何それ、2人でずりーんだけど。俺もヤりたい」
今度は光樹が少しイラッとしていた。ワインセラーからまた一本ワインを出してきて、栓を抜いたと思ったらそのままグビッと瓶ごと煽る。
「なにそれ、多くない?」
私は浩介から離れて、光樹の膝をまたぐように腰を下ろす。彼の首に腕を回し、唇を近づけた。流れ込んでくるワインは浩介よりも多い。浩介は控えめだけど、光樹は手加減しないことが多い。ワインを飲んで唇を離そうとしたら、私の体は力強く押さえつけられた。
「ん、んんぅ……ぁ、んん」
光樹はいつだって強引だ。でも、めちゃくちゃなキスなのに、それに慣れた私から力がふにゃりと抜けていく。それに気づいた光樹は唇を離し、口の端から漏れたワインを指で強く拭った。
「どうだ? これもうまいだろ?」
「うん、とても」
私は膝から降りて光樹から離れる。空いている浩介のグラスと、用意されていた私のグラスにワインを注ぐ。
「でもさ、エロいことしに来たつもりじゃないんだけど。私は美味しいワインを飲みに来たの」
「あれ? しないの?」
浩介が身を乗り出す。光樹はニヤニヤと笑っている。
「……まあ、気分次第かな」
「じゃあするんだね。よかった」
浩介の手のひらがスカートの中にすべりこみ、私の太腿を這うように撫でる。光樹が近づいてきて、私の手からグラスを奪った。
「もー。なんなのよ」
「俺が飲ませてやるよ」
「そうやっていっぱい飲ませるんでしょ? 私酔わせてどうするつもりなのよ」
お酒は好き。だけどアルコールには弱いからすぐに酔ってしまう。
「そんなの、ひとつだけだろ」
そう言って、光樹はまたワインを口に含んで私の唇を塞ぐ。そのすぐそばで、浩介のネクタイを解く音が聞こえてきた。
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