§アル・フィーネ

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 仕事の内容や依頼人について、アンドリューが家族に話すことはなかった。妻も守秘義務を理解している。  だが、仕事だと言って毎週外泊することに、妻が疑問を抱いていないはずもない。  アンドリューの心が別の場所にあることを、妻も家族も察しているのかもしれない。  結婚記念日には、バラの花を買って帰った。  二人で郊外のレストランにも出かけた。  ところが妻と二人きりになると、会話が続かない。  眠る前には毎晩、お休みと言って妻にキスをする。  声のトーンもキスの角度も、まるで何かの儀式のように、寸分たがわぬ繰り返しだ。  二人で身を寄せ合っていても、アンドリューの心はわずかも動かなかった。体も反応しない。  義務を果たした安堵からか、このところアンドリューは妻を抱けなくなっていた。彼女の方も、夫に対して何故できないのかと問い詰めるような、無神経な女ではなかった。  アンドリューは眠ったふりをした。しばらくして押し殺したような妻の嗚咽が、背中越しに聞こえてきた。
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